第12話 狡猾なる魅惑

「確かに、あなたが生まれるには、早すぎたのかもしれないわね」

⋯⋯?

⋯⋯⋯⋯?

⋯⋯⋯⋯⋯⋯何だ?

 

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『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第12話

グレゴリオ暦 二〇XX年七月三日
月村蒼一は異世界に飛ばされる

 ペン立てに収まるカッターを手に取ろうとした瞬間、僕は突如聞こえてきた声に反応し、部屋の中を見渡した。

「⋯⋯!? は⋯⋯、えっ!?」

 部屋の入り口近くに立っている女性の姿を確認すると、僕は意図せず、素っ頓狂な声を発した。

「だからって、この世界を旅立つのは、それこそ勿体無い話だと思うわよ」

 誰だろう⋯⋯?

 全く知らない人だ。

 いや、この人が誰かという以前に、この人の格好がどうかしている。

 紫色の薄っぺらい生地が、彼女の胸元と局部をビキニのように覆っていた。他にも前腕や大腿など、ところどころ装飾で覆われていたが、とにかく、不必要に露出が激しい。

 僕も身体は健康なティーンエイジャーなので、それなりに目のやり場には困る。

「そう、あなたの学校選びなんかよりも断然に、自ら死を選ぶことの方が勿体無い話よ」

 可笑しな格好をした女性は、何やら僕に話かけているようだ。

 頭の整理がつかない僕は、何を言われているか全く頭に入ってこないが、日本語だということは理解できる。

「ねえ、そう思わない?」

 艶っぽい声を発しながら、その女性は僕の方へゆっくりと歩み寄ってきた。そして、立ち竦んだままの僕の前にたち、僕の瞳を凝視した。

 その人の背は女性にしてはやたらと高い。

 僕は一七〇センチ半ば程の背丈があるが、ほぼ同じくらいの高さだ。彼女は顔を見上げずとも、僕と目線を合わせることが出来ていた。

「何、ボーッとしちゃって? 聞いてるの?」

「え!? いや⋯⋯その⋯⋯」

 妖艶な彼女の視線は、目を離さずにいるには堪えない代物で、僕は狼狽えるしかなかった。

 視界に入るその人は、常人を逸した美しい顔立ちをしている。

 青い瞳、艶やかな巻き髪の金髪のロングヘアー、そして透き通るような白い肌は、彼女を純粋な日本人ではないことを感じさせる。北欧系の外国人女性と言えば、彼女の見た目を一言で表現できるだろうか。

「ホラ、ちゃんとこっち見て答えなさい」

 その顔立ちでペラペラな日本語を喋られると、酷く違和感を覚える。

 彼女は僕の顎を触り、無理矢理顔を持ち上げ、目線を僕に近づけた。

 彼女の表情は引き締まっている。

「あの⋯⋯すみません⋯⋯話、聞いてませんでした」

 僕が情けなく返答すると、その女性は僕の顎から手を離し、吐息がかかる程に近づけていた顔を遠ざけた。

「そう。まあ、突然押しかけたから、無理もないわね」

 彼女は溜息混じりに言うと、さっきまで凛とさせていた表情を緩めた。

 それにしても、その人の身体に目がちらりと動いてしまう。

 正に八頭身と呼ぶに相応しいスタイルに、豊満な胸元を見せつける挑戦的な格好。

 よく見たら向かって右側、彼女の左の下乳がはみ出ていて、両方の乳頭も薄っすらと浮き出ているのを確認してしまった。

 思わず股間が熱くなる。

 健康な男子高校生に対し、彼女の見た目は刺激が強過ぎる。

「何チラチラ見てるの? しかも今キミ、勃ったでしょ?」

「!?」

 いや、わかるはずが無い。

 緩いスウェットをはいているのに、股間の変化が肉眼で確認できる筈が無い。

「無欲とか言っておきながら、そういうところはちゃっかり男のコなのね」

 女性はにっこりと笑いながら言った。

「ふふ、かわいい。ますます気に入ったわ、ソーイチ君」

「え?」

 不意に僕は声を出した。

 何を言われているか頭に入ってきていなかったものの、今、自分の名前を呼ばれたことは、明確に認識できた。

 そう言えば朧げながらも、さっきからこの人の口から『無欲』だの『勿体無い』だの、僕に当てはまる単語が聞こえてくる気がしていた。

 ようやく思考が働き出してきた僕は、その女性に向かって聞いてみることにした。

「あの⋯⋯どちら様ですか? この部屋にどうやって入ってきたんでしょうか? 僕のこと、色々とご存知のようですが、あなたと会った覚えがなくて⋯⋯」

「今、あなたがそれを知る必要は無いわ。とにかく、今から私が言うことをしっかり聞いてちょうだい」

「はあ⋯⋯」

 全く状況が飲み込め無い。

 頭が醒めてきても、この人が何を言っているのか、さっぱり理解できない。

 というよりも、何様のつもりでそんなことを言っているのだろう?

 人様の部屋に何も言わずに入ってきて、自分が何者かも知らせず、ただ話を聞けなんて。

 ある程度落ち着いてきた僕は、少ない脳味噌を働かせ、冷静に分析を進めてみた。

 その結果、これは夢である可能性が高いとの解が導き出された。

 ソシャゲのやり過ぎで、幻想的かつ色っぽい姿の人間が目の前に現れる夢を見ても、何ら不思議では無い。今日は身体的にも精神的にも疲弊したわけだし、気づかぬ内に眠りに入っていたとすることは、十分考え得る。

「ああ、今あなたに起こっていることは、夢でも幻でもないから。これは紛れも無い現実。それを踏まえて、ちゃんと聞くのよ」

 僕の心を見透かすかのように、その人は僕に向かって言い放った。

 夢なら何でも有りだなと、僕は冷静にその言葉を受け止めることができた。

「まったくもう⋯⋯まだ疑ってる! 仕方のないコね!」

 すると彼女は突然、僕の左手を握り、それを彼女の大きな胸に押し当ててきた。

「え!? あっ⋯⋯!」

 僕は理解不能な雄叫びを上げた。

 僕の左手を通じ、張りを有した柔らかな感触が、脳に突き刺さってくる。

 同時に、僕の股間もさらに熱くなり、硬直する。

「ホラ! わかるでしょ、おっぱい! こんなリアルな感触、夢なわけないでしょ!?」

 僕の頭の中が沸騰し始めた。

 とてもじゃないが、本能を抑制できない。

 身体全体が熱くなり、額から汗も滲み出てきた。

「あれ? でも、よく考えたらキミみたいな童貞クンに、おっぱいの感触なんか分からないわよね」

 彼女は握り締めていた僕の左手を離した。

 彼女は僕を酷く傷付けることを、いとも容易く言い放った気がする。

 それに対して全く反論できない自分が、実に心苦しい。

「うーん、どうしたらいいかしら」

 彼女は顎をつまみ、下を向きながら何やら考え込んでいる。

「ん? ちょっと、いつまで触ってるの?」

「え?」

 思考の停止している僕は、自分の手が彼女の胸を押し当て続けていることに、気付かなかった。

 僕は、慌てて自分の手を彼女の胸元から離した。

「ご、ごめんなさい! ボーッとしてて、つい⋯⋯」

「ははっ、なんてね。人間に向かって一回そういうこと言ってみたかったの。揶揄ってゴメンなさいね」

「は⋯⋯人間?」

「ああ、今のは忘れて。今のあなたには関係のないことだから」

 彼女は胸を触られ続けたことに、ちっとも怒りを示していないようである。

 それよりしかし『人間』やら『今のあなた』やら、彼女の放つ言葉が気になって仕方が無い。

「だーかーらーっ! そんなことはどうでもいいのっ! ね? 童貞クンっ!」

「痛っ! いてててっ!」

 突然、彼女は僕の左頬をつねってきた。

「私のおっぱい、触り続けたおしおき」

「え!?」

 彼女は顔をほころばせ、僕の左頬から手を離した。

「もう、冗談だってば。ところで、今痛かったでしょ? 夢なら醒めてるはずでしょ?」

「あ、はい⋯⋯」

 呆気に取られた僕の左頬には、ジンとした痛みが残っていて、夢とは到底思えないリアルな感触を覚えている。

 そういえば、今日、高梨先生に平手打ちを喰らった位置と同じ。その痛みもまた、思い出されたかのように、ジワジワと蘇ってくる。

 とはいえ、夢ではない証拠を示すために、僕にその胸を触らせる意味はあったのだろうか? それに比べ、頬を抓るなどという行為は何とも古典的で、最初からそうすればよかったのにと、思わず心で呟きたくなる。

 この人は天然なのか?

 それとも、ただの痴女なのか?

 頬の痛みはリアルだが、この人の存在や考え方に、現実感が全く無い。

「ねえ、ちょっと。私が現実離れしてると思うのはわかるけど、痴女はひどくないかしら?」

「!?」

 何となく気付いていたが、この人は僕の心が読めるようだ。

「はあ⋯⋯、何をやっても信じられないようね。冷静で頭が切れることは分かってたけど、もういいわ。夢だと思ってもいいから聞いてちょうだい」

 彼女は溜息をつき、俯き加減にそう言った。

「ソーイチ君、あなた、超光速次元転送位⋯⋯じゃなかった、異世界転移に興味ある? っていうか、あるわよね? オタク気質の童貞クンなら、あって当然よね?」

 この人に、気遣いという感覚は無いのだろうか。

 だが僕自身、悔しいが彼女の言う通り、爽やかスポーツマンの裏で、実はオタク気質である。異世界転移については、ラノベ等々で当然のように知識がある。

 現代っ子がファンタジーの世界に飛ばされ、圧倒的な強さでモンスターを無双し、俺TUEEEEなどと快楽に溺れ、二次元の美少女とイチャイチャ出来てしまうといった、ご都合主義満載な創作ジャンルと、僕は位置づけている。

 また、妄想の極み、廃人文化の真骨頂であり、僕自身、真ん中高めにシュート回転で甘く入ってきたストレートくらい、好きなジャンルであるということも否定しない。

 ただ、彼女が最初に言いかけた『超光速⋯⋯』云々の方も気になるが。

「まあ⋯⋯それなりに」

 恥ずかしげに僕は答えた。

「そうよね。正直でいいわ、童貞クン」

 いちいち童貞、童貞と付け加える彼女の言葉は、実に癪に触る。

「じゃあ、行こうか、異世界」

「はい⋯⋯?」

 あまりに強気で唐突に話を進める彼女の性格に、僕は感心すら覚えはじめた。

「まあ、頭の良いあなただから、簡単にはウンと言わないでしょうね。ただ、あなたにこれを断る理由なんかないはずよ」

「え⋯⋯?」

「あなた、死のうとしてたでしょ? カッターで手だか首だかを切って。あなた、私がいなきゃ、もうこの世にいないはずの人間よね?」

「それは⋯⋯」

「救ってあげたあなたの命、私がどう使おうと勝手という理屈。どう? 間違ってる?」

 僕はそう言われると、黙り込んでしまった。

 この世界の生き辛さを感じ、旅立とうと思ってしまったことは、否定できない。まずは彼女にありがとうと言っておくべきか。

「お礼なんかいいわよ。で、どうするの?」

 そうだった。

 この人は、僕の考えていることはお見通しなのであった。この人の前であれこれ考えるのは得策ではない。

 僕は思いのままに喋ることにした。

「いや、でも本当にありがとうございます。たぶん、あなたがいなかったら、僕は死んでいたかもしれません。ただ、こんな自分自身、生きていても仕方ないなって思うところもあって⋯⋯。それに、あなたの言う異世界も、ゲームみたいに楽しい世界とも限らないし、今よりももっと辛い事が待っているかもしれないし⋯⋯。あと、これが現実かどうかもまだ疑わしいし⋯⋯。すみません、考えがまとまらなくて⋯⋯」

「ふーん」

 彼女は睨み付けているのか、哀れんでいるのか、その中間のような目で僕を見た。

「まあ、そうよね。痛いところを突かれて気持ちの整理がつかないのもわかるわ。ゴメンね、無理に問いただしちゃって」

「いや⋯⋯そんなことは⋯⋯」

「とりあえず、明日の朝の八時五分、あなたの学校の剣道場の裏に来て。そうしたら、異世界に連れて行ってあげる」

「八時五分に⋯⋯剣道場?」

「もっとじっくり説得したかったけど、時間がなくてね。あまり期待しないで待ってるわ」

「はあ⋯⋯」

 彼女は後ろを振り向いた。

 その場を立ち去ろうというのか。

 ただ、何となく考え事をしているようだ。

「あとね」

 彼女がそう言ったと思うやいなや、その背中が目の前から消えた。

「もう一つ、あなたが私の誘いを断れない理由、何だと思う?」

 突然、耳元で声が聞こえた。

 消えたと思った彼女が、僕の背後に回っていた。

「正解は、私のおっぱいを触り続けたことでしたー」

 おちゃらけた声が聞こえると、僕は後ろから抱き締められた。柔らかな胸の感触を背中から存分に感じる。

 そして、彼女は僕の耳元で、今度は甘く唆すような小声を発してくる。

「あれ、立派なセクハラよね? それを合わせたら、私が不法侵入まがいでこの部屋に入ってきたことを考えても、あなたの方に貸しが一つ多いわよね?」

 心臓の鼓動が激しさを増す。

 僕は何とか、声を振るい出す。

「そ、それは⋯⋯ズルくないですか?」

「はは、冗談だって」

 彼女の締め付けが、さらに強くなる。

「いま私、どうやってあなたの後ろに回ったと思う? ねえ、魔法みたいでしょ? 向こうの世界に行けば、こんな不思議なことも出来るようになるわよ」

 彼女は濃艶な声と共に、僕の上半身を撫でるよう、ゆっくりと触りだした。

「それよりもね、向こうの世界に行けば、あなたは全てを知ることができる。あなたがこの世界に生き辛さを感じる理由も、あなたがなぜ無欲な性格なのか、そもそも世界がどういう構造なのか、全部ね」

 体が熱い。

 全身から汗が吹きでそうだ。

 彼女が何かすごく大事なことを言っている気がするが、耳に入ってこない。

「それにしても硬いお腹⋯⋯さすがスポーツマン。この時代の人間にしてはよく鍛えられているわね」

 妖しく誘惑するような台詞を吐く彼女は、僕の股間にその手を置いた。

「はぅっ⋯⋯!」

 僕は変な声をあげた。

「もう、やーね⋯⋯こっちまでこんなに硬くなってどうするのよ?」

 僕は体全体がくすぐられるように、身を震わせた。

 剥き出しになった本能が暴走するのと同時に、少しばかりの恐怖と理性が芽生え始めた。

 この人はやっぱりどうかしている。

 絶対に痴女だ。

 これ以上好きにさせると、何をされるかわからない。

「やめてくださいっ!」

 僕は強引に彼女の締め付けを振り払った。

「おっと」

「さっきから何なんですか!? いい加減にして下さいっ!」

 僕は声を荒げた。

 ただ、目の前の彼女は同様する素振りを全く見せず、平然とした様子で口を開く。

「ははっ、マジメくんね。本当にかわいいわ、あなた。同類だったら本気で好きになってるかも」

「何言って⋯⋯、もう、出ていってくれませんか!? 疲れてるんです⋯⋯!」

「わかったわかった、そんなに怒らないでよ。じゃあ明日、待ってるからね」

 彼女はそう言うと、音も立てずに一瞬の間に消え去った。

 夢から醒めた後のように、部屋は静けさで充満していた。

 呼吸の荒々しさが収まらない。

 汗も滴り落ちそうなほどに吹き出ている。

 僕はソファに腰掛け、何とか気持ちを鎮めようと試みる。

 やはり夢だったのだろうか。

 とはいえ、頬の痛みも微妙に残っており、若い女性の側を通りかかった時に漂う、甘くほのかな香りもする。夢なら細かい内容ををすぐに忘れてしまうが、先ほどまでの出来事の一つ一つを、事細かく思い返すことが出来る。

--まさか、俺はもう異世界に!?

 僕は居ても立っても居られず、部屋を飛び出し、リビングへ移動した。

 リビングにはテレビを観ている母がいた。時計の針は夜の九時半を少し過ぎたところを指し示していた。

 ここは紛れもなく現実であることを、強く感じる。

「ねえ、さっき誰か家に入ってこなかった?」

 僕は母に問うと、彼女は僕の方を振り向いて答える。

「え? 誰も入ってきてないと思うけど。美緒もまだ帰ってきてないし」

「そう⋯⋯」

 僕は冷蔵庫の戸を開け、麦茶を取り出し、ガブ飲みした。すぐさま冷ややかな感覚が染み渡るが、火照り切った身体はなかなか冷めやらない。特に左手と背中に残った柔らかな感触は、執拗に染み込んでいるように思えた。

 とにかく部屋に戻って寝よう。

 疲れた。

 いろんな意味で、体が持ちそうにない。

 

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