第23話 精霊との忖度

 ヌヴォレのすぐそばに、広大で美しい湖『シンセーロ』が広がっている。シンセーロの周囲は小高い山の森林で覆われている。

 ヌヴォレを出発し、森林の中を約二〇分ほど歩くと『立入禁止』のバリケードが張られた場所に出た。ジャスタさんはそれを強引に跨ぐように突き進み、僕もそれに倣って無理矢理歩を進めた。

 バリケードの奥は木が密集し、太陽の光が殆ど遮られ、朝方とは思えない程の薄暗い光景が広がっていた。地面には、僅かに人が通った跡が見受けられるも、未開の地を歩いているような心地が止むことは無かった。

 人の気配どころか、生き物の気配すら感じられない。静かで不気味な、また神聖な雰囲気も同時に感じさせる場所だった。

 

『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第23話

アルサヒネ歴 八六五年一〇月一二日
月村蒼一は異世界で洗礼を受ける

 さらに数分、ジャスタさんと共に道を切り分けるように進むと、不気味な雰囲気を醸し出す洞窟の入り口が、目の前に姿を現した。

「この洞窟の奥に、洗礼場がある。洞窟の中もまた少々歩かなきゃなんねえが、辛抱してくれねえか?」

「はい、俺は全然構いませんが。それにしても、不思議な雰囲気を感じるところですね」

「ああ、そらぁ精霊様が住むっちゅうくらいだからな。何も知らないヤツがこの辺りに来ると、方向感覚が狂わされて、一生この森と運命を共にすることになる。立入禁止の看板が立ってるのはその為さ」

「それは⋯⋯怖いですね」

「まあ、オレについてくればそんな心配は無用だ。今は余計な心配はしねえで、黙ってついてきてくんな」

「はい、ありがとうございます」

 僕とジャスタさんは足並みを揃え、洞窟の中へと入っていった。

 洞窟の中は広く切り開かれており、所々に人工的な灯りが備え付けられていて、人の出入りを意識した作りになっていた。とはいえ、不気味かつ神聖な雰囲気は相変わらずで、むしろその強さは増していた。下手すると、意識を失うかのような心地の悪さもしてくる。

「うぅ⋯⋯何か凄い雰囲気ですね」

 僕は居心地の悪さに、思わず声に出した。

 それに反応したジャスタさんは、こちらを振り向いた。

「大丈夫かい? だんだんと結界の濃度が濃くなってきやがるからな。マナ解放前の人種は、ここに来るとだいたい気分の悪さを訴える」

「ああ⋯⋯そうなんですね」

「洗礼はもう始まってると思ってくんな。オレが前に教えた苦しみを抑えるコツ、覚えてっか?」

「あっ、ハイ。『呼吸法』ですね」

「ああ、そうだ。腹を動かすことを意識して、出来る限りゆっくり息をする。腹に空気が溜まった感覚と、腹の中が空っぽになった感覚も、同じく意識するようにな」

「そうでしたね。よし⋯⋯」

 僕はゆっくりと息を吸い、お腹を大きく膨らませた。

 お腹に空気が完全に充満したのを確認し、ゆっくりとその吸いきった空気を吹き出した。

 膨れあがった腹太鼓が、徐々に縮んでいく感覚を得る。

「よおし、そうだ。よく練習してやがったな」

「ふぅ⋯⋯あ、何となく楽になってきた気がします」

「ははっ! そうかい! この呼吸法はクエスターとして、基本になってくる動作だからな。これからも普段から意識しておくといいぜ」

「はい、承知です」

 僕は呼吸法を続けつつ、ノシノシと歩くジャスタさんの後ろにつき、薄暗い洞窟の奥へと足を運んだ。

 静まり返った洞窟の中を歩き続けていると、目の前に大きな扉が現れた。横幅は人が同時に四〜五人は通れる程の広さで、高さはジャスタさんの倍はある。恐らくは鉄の一種と思われる素材で出来ており、全体的に少し錆びついていた。

「このデカイ扉の向こうに、洗礼場がある」

「そうなんですね⋯⋯」

 僕は扉から放たれる荘厳な気配に、圧倒されていた。

「オレはお前さんを連れてきたことと、洗礼の準備を神官たちにお願いしてくる。ソーイチはあそこに待合室があるから、そこで少し待っててくれや」

 ジャスタさんは、大きな鉄扉の手前にある扉を指差した。その扉は一人分がやっと通れるくらいの、小さなものだった。素材は木だと思われるが、急に取って付けたような貧相な印象が否めない。

「わかりました」

「悪いな、すぐに呼びにくるからよ」

 僕はその小さな扉を開け、その奥へと入っていった。

 扉の奥には、四畳半くらいのスペースがあった。一つの灯で仄かに照らされ、薄暗さは相変わらずであった。また、二人分ほど座れる、木で作られた長椅子があり、僕はそこに腰かけた。

 奇妙な雰囲気も相変わらずだが、呼吸法を繰り返していたせいなのか、単純に慣れたせいなのか、軽い目眩のような気分の悪さは、感じられなくなっていた。

--やっぱり呼吸のおかげなのかな? マナの解放後も大事になってくるって、ジャスタさんは言ってたけど。そもそも、マナって何なんだろう? ゲームとかでもよく聞く言葉だけど。それを操れるようになると、魔法とか使えるようになるのかな?

 僕は期待を胸膨らませ、都合の良い想像を頭の中で巡らせていると⋯⋯、

「!?」

 辺りが一瞬光ったような気がして、僕は思わず反応し、周囲を見回した。

 すると、目の前に一人の女性が立っているのが確認できた。

「ちゃおーっ、元気?」

 彼女がいきなり目の前に現れるのは、何度目だろうか。

 僕をこの世界に連れて来た張本人であり、この国の精霊とされている、サフィーさんこと、サフィローネ様が、手を振ってこちらを見ていた。

「あ、こんにちは」

 僕は立ち上がり、冷静に挨拶をした。

「一週間ぶりくらいかな? ねえねえ、寂しくなかった?」

「えっと⋯⋯寂しかったと言われた方が嬉しいですか?」

「むっ⋯⋯ってことは別に寂しくなかったってことね。ヒドいヤツ」

 サフィーさんは腕を組み、僕を睨め付けるように見た。

「ご⋯⋯ごめんなさい」

「ははっ、ウソだって。っていうか、言葉もちゃんと喋れるようになってるね。この短期間にすごいわ」

 サフィーさんは無邪気に笑っていた。

「まあ、たまに訛りマすけどね」

「いやいや、でもすごいって」

 彼女の格好は、この前ヌヴォレの図書室で会った時と同じだった。白を基調としたローブを纏い、神聖な雰囲気を醸し出していた。

 しかし、彼女は相変わらずフランクに喋りかけてくるので、その雰囲気がブチ壊しである。

「いよいよ洗礼だね、ソーちゃん。どう? 緊張してる?」

「そりゃあ、まあ。これからどんな苦しみを味わうのかと思うと、気が気でないですよ」

「ですよね〜。とは言っても、ソーちゃん、呼吸法もきちんと出来てるし、何より考え方もしっかりしてるし、難なくクリアできると思うけどね」

「そう言われると、心強いですね」

「ふふっ、そんなに気張らずに、リラックスして臨んで欲しいな。ところでソーちゃん、ちょっとお願いしていいかな?」

「はい? 何でしょう?」

 彼女のセリフに、僕は少し身構えた。

「洗礼の時、私はまたあなたの前に現れることになるんだけど、その時はこうやってフランクに話せないわけね」

「ああ⋯⋯そうなんですか?」

「他人行儀でお堅い感じになるけど、気持ち悪ッとか思わないでね。いちおう、私、世間的にみたら崇拝されてる精霊様だからさ。みんなの見てる前では、それなりに格好つけなきゃいけないわけよ」

「はあ⋯⋯別に俺は構わないですけど⋯⋯」

 僕は腰が抜けたような心持ちがした。

 改めて何をお願いされるかと思えば、そんなことだったのかと、拍子抜けした。

「そ、よかった。その時は、ソーちゃんもそれなりに偉い人に話しかける雰囲気でいてくれると嬉しいな。今みたいにフランクに話しかけるのはNGね」

「わ、わかりました⋯⋯。だったら、普段から俺にも精霊っぽく接した方が、いいんじゃないですか?」

「え〜、それはイヤ。私、堅苦しいの好きじゃないから。この世界でこうやってフランクに話せる機会、そう多くないのよ。あなたといる時は、けっこう貴重な時間なわけ」

「はあ⋯⋯そうですか。じゃあ、何で俺がサフィーさんと気軽に話してもいいのか、すごく気になりますけど、それは聞かないでおくことにします」

「さすが物分かりが良い! それはあなたが『精霊の使い』だからってことにしておいて。それを知るのはまだ早すぎるから。ソーちゃんは特別な存在ってことだけ、認識してくれればいいから」

「は、はい。よくわからないですけど、そういうことにしておきます⋯⋯」

「うん! それじゃ、ヨロシクね! そろそろ準備もできるだろうから、もう少し待っててね」

 サフィーさんは、軽く僕の二の腕のあたりを叩いた。すると一瞬、眩い光が立ち込めたと思うと、彼女の姿は消えていた。

「こういうところは精霊っぽいんだけどなぁ⋯⋯」

 僕はそうボヤくと、再び椅子に腰掛け、時が来るのを待った。

 

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