第28話 早朝からの来訪者
ふと目を覚ますと、とてつもない頭痛と吐き気に襲われていた。
昨日、薄暗い洞窟の中でも似たような感覚に襲われたが、それとは全く異質のものである。
昨日、洗礼から帰った後、僕の祝勝会と称してヌヴォレの従業員の中で宴会が催された。未成年にも関わらず、僕はお酒を飲まされた。いや、この国における未成年は、僕の生まれた世界とは一線を画していて、体格がそれなりに立派であれば、年齢に関係なく大人と見なされるようだ。そもそも、子供が酒を飲んではいけないという決まりはないようである。
酒に酔うという感覚を初めて得た僕は、それなりに調子に乗った。
気分が良くなり、進んでお酒を口にしていた。
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第28話
アルサヒネ歴 八六五年一〇月一三日
月村蒼一は異世界で仕事をする
その結果が、コレ。
所謂、二日酔いである。
これも大人になる為の『洗礼』と思い、僕はフラフラと立ち上がり、身支度を始めた。
すると、ドンドンとドアを叩く音と共に、大きな声が聞こえてくる。
「おーい、ソーイチ! 起きてっか!?」
「はーい」
僕はその声に反応し、掠れた声を発した。
「おう、起きてたか? ははっ! 随分とダルそうじゃねーか!」
部屋に入ってきたジャスタさんは、いつものように元気だった。僕の数倍は酒を飲んでいた気がするが、彼に二日酔い悩まされる様子など、全く見られなかった。
「すみません⋯⋯慣れないことをしたもので⋯⋯」
「だっははははは! まあ、たまにはこういう時もあってもいいんじゃねえかい? ところでよ、お前さんに客が来てんだが」
「僕に⋯⋯ですか?」
「ダルいとこ悪いんだが、会ってやってくんねえか? ちなみに、アイツだよ。妖人族のハプス。例の童顔の年増女だ」
「ああ⋯⋯ハプスさん。図書館で会った時以来ですね。わかりました。どちらにいるんです?」
「パブの個室に案内しといたよ。お前さんも腹減ってるだろうから、朝飯でも食いながら話をしな」
「わかりました、すぐ行きます」
僕は覚束ない足取りで歩き出し、部屋を出た。
◇
パブの個室に着くと、一人の少女が座っていた。
いや、少女ではない。
彼女は少女に見えるが、成熟した立派な大人であることを、僕は思い出した。
目の前のテーブルには食事が置かれ、その女性は黙々と食べ物を口に運んでいた。
「おはようございます」
僕が控えめな声で挨拶をすると、彼女は僕の顔を見た。
その冷ややかな視線には見覚えがあった。
僕はその人が、一週間前に図書館で会ったハプスさんだと確信した。
「おはよう」
ハプスさんは無表情なまま、小声で僕に挨拶を返してくれた。
「すみません、わざわざ出向いていただいて」
「いや、こっちこそ朝早くから押しかけてごめん。君も朝ご飯食べてないんでしょう? よかったら食べながらお話しましょ」
「あ、はい」
僕はハプスさんの向かいの椅子に、腰かけた。
座った瞬間、少し治りつつあった頭痛が蘇り、僕は頭を若干ヨロけた。
「ん? 顔色悪いけど、どうかしたの? やっぱり昨日の洗礼、キツかったのかしら?」
「あ⋯⋯まあ⋯⋯それは確かにキツかったですけど、コレは昨日、洗礼完了のお祝いでお酒を飲み過ぎたせいです⋯⋯」
僕は歯切れ悪く言うと、ハプスさんは軽く溜息をついた。
「全く、ここのスタッフは相変わらず品に欠けるわね。まあ、君は無理矢理誘われたタチなんだろうけど」
「はは⋯⋯」
夕べはそれなりに楽しんでいたので、素直に『そうですね』とは言えない自分がいた。
「ところで⋯⋯何で僕が昨日洗礼を受けたことを知ってるんですか? ジャスタさんから聞いてたんですか?」
目の前のパンを一口かじりつつ、僕はハプスさんに問いかけた。彼女は僕の方に視線を移さず、相変わらず食事を進め、しばらく口を割ろうとしなかった。
「⋯⋯つけてたの」
唐突に彼女は呟いた。
「え⋯⋯?」
「君が洗礼場を崩壊させかけたところも見させてもらったわ。前例がないわね、あんなの」
「そう⋯⋯でしたか」
僕は恐る恐るマグカップを手に取り、スープを啜った。
「君に初めて会って以来、動向を常にチェックさせてもらっていたわ。どうしても君には、私たちの力になってもらいたくて」
「はあ⋯⋯『私たち』ですか⋯⋯?」
僕には知るべき事項がまだまだ多いようで、ハプスさんの台詞には首を傾げるしかなかった。
「ジャスタから、この国のクエスター事情を聞かされていないようね。いい? よく聞いてちょうだい」
「は、はい!」
口調を強めて話す彼女を見て、僕は背筋を伸ばした。
ハプスさんは鋭い目線を僕に送りつつ、口を開き始める。
「今、この国のクエスター業界には、二つの派閥があるの。一つは『ゴルシ派』、もう一つは『ハプス派』って呼んでるわ」
「ゴルシ派とハプス派⋯⋯ですか」
「言うまでもないけど、由来はその派閥のリーダーの名前から来てる。つまり、ハプス派のリーダーは私ってことね」
「へえ⋯⋯そうだったんですね」
ハプスさんにはその可愛らしい外見とは裏腹に、威圧的な風格を感じていたが、僕はその理由が分かった気がした。
「これでも数年前までは、長いことこの国のナンバーワンクエスターだったんだけどね。ただ、今はもう一つの派閥のリーダーの『ゴルシ』って奴に、その座を追われちゃったわ」
「そんなに凄い人なんですか? そのゴルシって人は」
「武力に関していえば、私は奴にサシで勝てる気がしない。そういった意味では凄いかもしれないけど、色んな意味で褒められた人間ではないわ」
「⋯⋯と言いますと?」
「まあ、個々の考え方の問題になってくる話だと思うんだけど、五年くらい前に、この国の王が変わってね。それ以来、この国は利益偏重の社会へと様変わりした。ゴルシは力で利益を貪る、その社会の象徴的な存在」
「利益偏重⋯⋯ですか?」
「頑張れば頑張った分だけ、お金やモノが手に入る社会。そう言うと聞こえは良さそうだけど、その分、貧富の差が出てくる。そして、利益を求めた醜い争いも起こるようになる」
「まあ、それはそうでしょうね」
「それまでは、優れた人は優れた人なりに、劣っている人は劣っているなりの仕事をして、平等に利益を与えられる社会だった。争いなどは微塵もない、平和と呼ぶに相応しい世界。利益を独り占めするような輩が出るようなら、そいつをみんなでとっちめるのが当たり前っていう風潮で、私もそんな穏やかな社会が好きだった」
そう言うと、ハプスさんは言葉を詰まらせた。
その間の沈黙は、雰囲気を重くさせた。
僕はこの間をどう繋ごうか、必死に考えていた。
「⋯⋯ちなみに、僕の生まれた世界では、その『利益偏重』の考え方が当たり前でした。僕らの世界では資本主義って呼んでましたけど」
僕がそう言うと、ハプスさんは黙ったままこちらを見てきた。
その冷たい視線が気になりつつも、僕は話を続ける。
「それで、僕もあまりそういう考え方は好きじゃありませんでした。生きてるだけで十分じゃないかって、常にそう思ってましたけど、社会はそれを良しとしてくれなかった。実力があるなら上にある行け、そう大人から教えられてきました」
「⋯⋯うん、そうでしょうね」
「へ⋯⋯?」
僕は意図せず変な声を出した。
「ジャスタから君の事情や性格のことはだいたい聞いてる。で、今の君の言葉を聞いて確信した。君は私たちの味方になってくれるって」
「そ、そういうことですか⋯⋯」
僕は手玉に取られていたようであったが、悪い気はしなかった。
むしろ、僕の考えに共感を持つ強い味方がいると思い、安堵に包まれた。
「人間っていうのは、目の前に大きな餌があると、それにつられて走ってしまうように出来ているようね」
「はあ⋯⋯」
突如、意味深なことを言うハプスさんの台詞に、僕は呆気にとられた反応を取るしか出来なかった。
「贅沢な暮らしに憧れる人間が多くて、多くのクエスターはゴルシ派に流れていってしまったわ。この国の七割くらいのクエスターはゴルシ派。少数派の私たちは、ここ数年、国民から可笑しな目で見られている」
「⋯⋯ですか」
力無く僕は口にした。
「それでも、君は私たちに協力する覚悟はある? 自分の正義を貫く自信はある?」
彼女の圧迫感のある問い掛けに、僕は少し間を置いたが、答えはすぐに喉を通る。
「もちろんです。みんなが平穏に暮らす世界、僕の夢でもありましたから」
そう言うと、ハプスさんは仄かに微笑み、懐から何かを取り出す仕草を始めた。
「決まりね。じゃあこの契約書のココに手を置いて」
「えっ、あ⋯⋯はい⋯⋯」
僕は言われるがままに、彼女がテーブルの上に置いた一枚っぺらの紙に掌を付けた。
すると、その紙が光出し、僕の手形が青く印字された。
「おおっ⋯⋯すげぇ⋯⋯」
「ハイ、契約成立。これで君がゴルシ派に流れるようなことをしたら、とんでもない痛みが走るよう、呪文をかけさせてもらったから」
「えっ!?」
僕は驚嘆の声をあげた。
「あんまり手荒い真似はしたくないんだけどさ、私たちも一杯一杯なのよ。優秀な人材がこれ以上流れたら、やってられないわけ。それだけ君のことを買ってるってことだから、許してくれない? まあ、君がゴルシ派に寝返るなんてまず無いだろうから、この呪文が発動するなんて事態にはならないと思ってるけど」
「はは⋯⋯ですね」
僕は苦笑いしながら答えた。
「でね、さっそく君には働いてもらいたいんだけど、まあ、いきなり仕事って言っても、何をやっていいかわかんないだろうから、教育役を付けたいと思うわけ。君、何か武術の嗜みってある?」
「武術ですか⋯⋯いえ、まったく」
「あ、そう。じゃあ、何か得意なことってある? 何でもいいわよ、手先が器用とか、体力には自信あるとか」
そう言われて、僕は少し考えた。
「えと⋯⋯走るのは速い方かと」
「へえ、いいわね、それ。じゃあ、すばしっこく動き回れる短剣術なんて向いてそう」
「短剣術⋯⋯?」
「あ、そういえば、丁度良い教育役がいるわ。短剣の使い手で、私たちの中でも相当な実力者が。どう? 短剣使い、目指してみない?」
僕は下を向き、腕を組んだ。
短剣と言われると、正直少し地味な印象がある。
最初に飛び出して行って、やられ役を買い、敵の様子を窺わせる、といったような⋯⋯。
どうせ武器を使うなら、振り回して敵を無双する長剣やら大剣など、格好のつく物を扱いたいところだが。
「ん? あんまり気乗りしない? まあ、無理にとは言わないけど。結局、クエスターにとって大事なのはマナの強さだから。戦闘スタイルはおまけだったりする。まあ、適正があってるものを選ぶのに越したことはないけどね」
「そうですか⋯⋯。正直、短剣と言われると地味な印象があるかなと⋯⋯」
「その気持ちはわからなくはない。だからみんなやりたがらない。でも、希少な存在だから、重宝されたりもする」
それを聞いて、僕は気持ちが揺らいだ。
「そうなんですね。こういうのって自分で選ぶより、有識者の言うことを聞いた方が成功するもんですよね。わかりました、やってみます、短剣」
僕が瞭然たる口調で言うと、ハプスさんはニコりと微笑んだ。
「よし、決まりね。じゃあ、今から君の教育役を呼んでみるから」
ハプスさんは上を向き、右手の人差し指を頭に当てた。
そして、じっと動かなくなった。
--ん⋯⋯? 何してるんだろう?
しばらく待っていると、彼女は頭に置いていた指を離した。
「今から来てくれるって。ちょうど近くにいるみたいだから、すぐに着くって」
彼女はあっさりと口を開くと、僕は不意に瞠目した。
「え!? 今、その人とお話してたんですか?」
「まあね。マナを使って、人の頭の中に直接情報を送りつけるの。こんな風に」
ハプスさんは僕に目を合わせてきた。
--どう? 聞こえる?
「!?」
頭の中に声が響くのを感じた。目の前のハプスさんの口は動いていないが、確かに彼女の声が聞こえる。
--君も何かこれに向かって喋ってみて。声は出さなくていいから。
僕は言われた通りにやってみることにした。
--あ、あ、こんにちは。聞こえますか?
--うん、聞こえるわよ。
--おお⋯⋯!
「まあ、こんな具合にね」
「すごいですね⋯⋯! こんなのいったいどうやって⋯⋯!」
「まあ、マナの使い方次第って感じかしらね。マナは全ての物質の源となるもの。想像を働かせればいくらでも形を変えられる」
「へえ⋯⋯なんだか難しそうですけど」
「その内わかってくるわよ。さて、私はグラシューが来るまで、珈琲でも飲んでようかしら。君もご飯食べちゃったら?」
「はい、そうですね」
僕はハプスさんの不思議な能力の余韻に浸りながら、テーブルの上の食事を口に運んでいった。