第30話 反則的チュートリアル
僕とグラシューは買い物を済ませた後、馬車に揺られて現場へと向かっていた。
この世界の文明における最速の移動手段としては、馬車が限界のようだ。
自分の生まれた世界の車と比べたら、スピードも乗り心地も酷いものである。アスファルトで舗装された路など、あるわけが無く、凸凹した土の悪路を、歪な車輪が大きな音を立てて回り、僕ら乗客の体を激しく揺らしていた。
ファンタジーの世界に憧れはあったものの、それを目の前の現実として捉えると、なかなかシビアな世界であることが窺い知れた。豊かな暮らしを追い求めて科学を発達させた前世の先人達の努力は偉大なものだと、この馬車を乗っていて初めて実感した。
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第30話
アルサヒネ歴 八六五年一〇月一三日
月村蒼一は異世界で仕事をする
「現場のモラレ村はキャリダットの端っこの方にあって、けっこう遠いよ。着くのは夕方くらいになるかな〜?」
グラシューは朗らかな笑顔を見せながら、僕に教えてくれた。
「そうなんだ。行くだけでも疲れちゃいそうだね」
「まあ、どの仕事もそんなもんだよ〜。でさ、次の馬車の乗り換えの町で、ちょうどいい練習ができそうだから、ちょっと寄って行こうと思うんだけど」
「ちょうどいい練習?」
「そうそう! それまでマナの呼吸法の練習でもして、準備しといて!」
「わ、わかった⋯⋯」
僕はオドオドしながら答え、深く呼吸をし始めた。
◇
僕らは『リッキー』という町に着き、馬車を降りていた。
ここから現場のモラレ村まで行くには、また別の馬車に乗り換えなければならない。次の便まで少し時間があるとのことなので、グラシューと僕は、町から少し離れた森の中に身を置いていた。
「さて、次の馬車が出るまでに、ソーイチには闘いの『いろは』っちゅーモノを教えたるからね。クエスターの仕事は平和を乱す存在を懲らしめる仕事が大半で、クエスターにおいて戦闘は避けられないワケっすな」
「なるほど」
「で、ウチらクエスターが何で選ばれた者達なのかって、それはマナを操ることが出来るに他ならぬわけで。それで、今からソーイチには闘いの基本、いわゆる、マナの使い方なるモノを教えてやろうというわけです!」
「はい! よろしくお願いします、師匠!」
グラシューの妙なテンションに合わせるように、僕はおちゃらけた感じで答えた。
「よろしい! では、早速だがっ⋯⋯」
グラシューは、彼女の右腕を差し出した。
「アタシの右手を、短剣で斬りかかってみなされ!」
「え⋯⋯?」
その指示に、僕は戸惑いながら疑問符を発した。
「遠慮せんでよろしい! いいからっ!」
「う⋯⋯」
グラシューの圧力に押され、僕は咄嗟に短剣を構えた。
「い、いくよ!」
僕は、彼女の差し出された右腕に斬りかかった。
「うおっ!」
すると、どういうわけか、斬りかかった僕の体が押し返されるように吹き飛んだ。
そして、僕は尻餅をついていた。
「てな感じでね。マナを集中させると、こういった体を守る防御壁みたいなものも作れるわけ」
「へえ⋯⋯それはすごい」
「マナは想像力さえあれば、どんなものにも姿を変えられる。今みたいな防御にも使えるし、もちろん攻撃力を高めることにも使える。火やら暴風を起こしたり、雷を落としたりなんてことも、器用な人は出来るわけね」
「なるほどね。そういえば、ハプスさんがテレパシーみたいなので心の中に話しかけてきたのも、マナの力って言ってたな⋯⋯」
「ああ〜、そうだろうね。あの人はすごく器用だから、本当にいろんなことができる。魔術師の極みだよね」
「そうなんだ」
「アタシは、あの人みたいに器用なタイプじゃないからさ。アタシのマナの使い道は、今みたいに防御を高めたり、攻撃力を上げることだけに注力してる」
「ふむふむ」
「ソーイチがどう使うかは基本任せるけど、アタシに師事する以上、アタシに似通った使い方になるんだろうけどね。みんな大体、教えられる人の傾向に寄っていくもんだからさ」
「そういうことね。何かワクワクしてくるな。で、マナって結局、どうやったら使えるの?」
僕はたまらず、心踊らされるように彼女に聞いた。
「ハイハイ、まあ落ち着きなされ。例の呼吸法をやってると、体がじわーっとあったかくなってくるんだけど、まずはその感覚を得ないとね」
「そうなんだ⋯⋯よし!」
僕は身体全体を脱力させるが如く目を瞑り、腹部の動きが感じ取れるよう、ゆっくり呼吸を始めた。
一分少々経ったくらいだろうか、頭の辺りが若干熱くなるのがわかった。
「あ⋯⋯何かキタかも⋯⋯。ちょっと熱くなってきた感じ⋯⋯!」
「ほーほー、きましたか。じゃあその込み上げてきたマナを形に変えてみようか。やりたいことをしっかり想像して⋯⋯」
「え、やりたいこと⋯⋯えっと⋯⋯」
グラシューに指示され、考えを巡らせていると、仄かに熱くなっていた身体が急に冷めた。
「あ、呼吸を乱したな!」
グラシューは叫び声を上げ、僕を注意していた。
「あ⋯⋯」
「まあ、最初はこんなもんだよね。やりたいことを考えてるうちに、呼吸が乱れてマナが消えちゃう。これは、初心者クエスターのあるあるだから」
「そういうことか、くそっ⋯⋯」
「想像するっていうのが、なかなか難しいんだよね〜。自分の力だけで、見えないモノを形にするって。だから、最初は先輩の技を見て真似をするのが一般的だね」
グラシューは笑顔を見せながら淡々と喋ると、短剣を構えた。
「それっ!」
彼女が短剣を打ち振るうと、白い光が空気を切り裂くように放たれた。
その光は、グラシューの前方にあった大きな木の幹にぶつかり、木が軋む音と共に消え去った。
光が直撃した木の幹の部分は、巨大な斧が突き刺さされた跡のように、深く抉られていた。
「おぉ⋯⋯すげぇ⋯⋯」
僕は抉られた木の幹をじっくりと眺めながら、細々と声を発した。
「これ、アタシの得意技。『リスヴァーグ』っていうんだけど、マナを剣圧に乗せて飛ばす簡単な技だよ」
「リスヴァーグ⋯⋯」
「速射性もあるし、力を込めれば詰めの一撃でも使えるし、便利な技だよ。っていうか、アタシにとっては、コレを中心に戦略を組み立てるくらい、基本的な技になってるけどね」
グラシューは楽しそうに語っていた。
「じゃ、今のを参考にやってみよっか! マナを溜めることさえできれば、そんなに難しくないから⋯⋯って、むむむ⋯⋯」
彼女は辺りを見渡していた。
「どうしたの?」
「やっぱり来たな⋯⋯」
ガサガサと草をかき分ける音が、耳に入ってきた。
「ヒヒヒ⋯⋯」
気味の悪い声と共に、三つの人影が木々の間から僕の目に映った。
三つの人影がその姿を鮮明に映し出すと、それらは二足歩行ではあるが、鼻や耳が妙に尖っていたり、歪な顔付きをしていた。
「ヒャヒャヒャ⋯⋯若いカップルがこの森に何の用かな?」
耳障りな声で、不気味な三体の歩行生物の一体が僕らに問いかけ、後の二体もそれに呼応してケタケタと笑い声をあげていた。
「この人たちは⋯⋯?」
「この森に住む魔人族と妖人族のハーフの人種。この辺りでは『ゴブリン』って呼ばれてる。この周辺の住民にちょっとイタズラすることが生き甲斐みたいで、ビミョ〜に迷惑な輩」
「ゴブリンですか⋯⋯」
僕は呟くように言うと、目の前の三体を睨みつけるように見た。
「こんな森に女をデートに誘うとは、お前もセンスがねえなぁ」
「まったくだ! ケケケケッ!」
「その女をちょっと貸してくれたら、怪我させずに帰してやるよっ!」
彼らは相変わらず下衆な笑い声を発し、微妙に卑劣な提案を持ち掛けてきた。
「だってさ〜、ソーイチ。そいじゃ、アタシをコイツらから守ってみせて」
「えっ!?」
僕は目を大きく見開き、グラシューの方を振り向いた。
「ダメそうだったらアタシが何とかしてやっからさ〜。さっき教えたリスヴァーグで、コイツらをチャチャっと追っ払ってやってよ」
「え!? だってその技、まだ見ただけじゃん! いきなり実戦でやれって⋯⋯」
「えーーいっ、ゴチャゴチャ言わんでやったらんかい! 男だろっ!? アタシゃこーみえてスパルタなんだっ! そいつら三匹といっしょに消されたくなかったら、とっととやれーーいっ!」
「う⋯⋯」
僕はグラシューの勢いに蹴落とされ、ゆっくりと首をゴブリン達の方へ向けた。
そして、短剣を鞘から抜いた。
「ヒャヒャヒャヒャーーッ! どうやら無傷で帰りたくねえみてーだなっ!」
僕は品なく叫ぶゴブリン達を睨み付けつつ、呼吸に集中した。
--だよな。仮にも世界を救う勇者としてこの世界に来た俺が、ゴブリン如きでビクビクしてる場合じゃない。こいつらはチュートリアルで倒される練習台だと思って、リラックスだ。よし、集中集中⋯⋯。
再び、徐々に身体が熱くなってくるのが感じ取れた。
--さっきグラシューが放ったように剣を振るえばいいんだな⋯⋯。よし、空気を切り裂くように、あの悪党共を一掃するイメージを持って⋯⋯。
「こらーーっ! その前に、俺の女に手を出すなとか、気の利いたコトはいえんのかぁーっ!」
--何を言ってるんだあのコは⋯⋯。えーーい、あんなの無視して集中! よっしゃ、これでどうだ!
グラシューのよく分からない叫び声に気を取られることなく、僕は短剣を持っていた右手を振り抜いた。
放たれた光は、僕の眼前から離れていった。
空間を切り裂くように飛んでいく。
だが、それはゴブリン達の頭の上を通過していった。
そして、そのまま後方の木々を次々と薙ぎ倒していった。
その際に発せられたメキメキ、バキバキといった激しい音がこだまする。
ゴブリン達の後方には、木で密集していたはずの狭い空間が、強引に切り開かれていた。
--おお⋯⋯思いの外なかなかの威力⋯⋯。ただ当たらなきゃ意味がないよな。
僕は心の中で呟いた後、グラシューの方を向いた。
「ごめん、グラシュー! 出せたけど上手く当てられなかった! 次こそは当ててみせるからっ!」
「はえ⋯⋯? い、いや⋯⋯ちょっと⋯⋯」
僕の張り上げた聞いたグラシューは、何か唖然とした表情で口を開いていたが、僕は気にすることなく、再びゴブリン達の方を向き、剣を構えた。
「覚悟しろよ! 下劣な悪党共! 今度こそ我が剣で叩っ斬ってやるからな!」
調子に乗った僕は勇者を気取り、陽気な口調で言い放った。
「ひ、ひいぃぃぃぃぃ!」
「ば、バケモンだぁ!」
しかしその直後、三体のゴブリン達は一目散に逃げていってしまった。
「あ、あれ⋯⋯?」
拍子抜けした僕は、力無く声を出した。
暫く静寂が訪れ、辺りは風で葉が揺れる音に包まれていた。
「⋯⋯どういうことか説明したまえ」
「え?」
僕はグラシューの方を振り向いた。
彼女は、なぜか鋭い目付きで、僕の方を見ていた。
「どうしてそんな嘘をつく?」
「う、嘘?」
「何が戦闘なんかしたことないだっ! あんな威力、熟練のクエスターでもそう簡単に撃てないぞっ!」
「そ、そうなの⋯⋯?」
強く睨みつけるグラシューの目が、痛いくらいに突き刺さってくる。
「⋯⋯ゴメン、あまりこの世界の勝手が分かってなくて⋯⋯」
「この世界の⋯⋯?」
「え⋯⋯。あっ⋯⋯!」
胃が痛むような間に耐えられず、意図せずに漏らしてしまった僕のセリフに対し、グラシューは、何か疑心暗鬼な目で僕を凝視してきた。
この世界の精霊であるサフィーさんとの関係や、異世界からやってきた自分自身のことを、騒ぎにならないよう、あまり多くの人に言わないようにしていたが、グラシューに言わないわけにはいかない雰囲気を、自ら作ってしまったようである。
精霊の使いとされる僕は、所謂『チート』気味な存在であることに気付かされた。
ただ、異世界転移の『あるある』であり、僕の好きな展開でもあり、悪い心地はしないが。
「ハイ、事情聴取決定! 詳しくは署で聞こうか!」
グラシューは強引に僕の手を取り、歩き出した。
「ち、ちょっと! 署って何さ!?」
「うるさーい! おまえのような詐欺師は現行犯で連行だっ! 黙ってついてこーい!」
「はいい!?」
僕は、彼女に引っ張られるようにして歩いて行った。