甲子園がブラック企業を生む?

日本の宝は長い目で見つめよ

 

甲子園は夢の舞台だが、人生のゴールではない。

大船渡高校監督の起用が英断か愚行だったかは個々の判断に委ねるところだが、少なくとも日本人が考えるべきことはただ一つに絞られる。

甲子園に感動を覚える気質こそが、ブラック企業を誘発していると。

ブラック企業を生み出しているのは、日本人そのものだった。

 

甲子園はブラック企業の卵か

大船渡高校のエース佐々木朗希投手が、高校野球岩手大会決勝で登板せず、チームは大敗。そのことを受け、同校野球部の國保陽平監督の起用法をめぐり、苦情が殺到している。

多くの著名人が國保監督の起用を英断と評価する一方、学校に苦情の電話が鳴り止まなかった事実がある以上、将来云々無理してでも投げさせるべきだという思いを持つ人が少なからず存在するのは明白。

地獄のような環境での熱戦を強いられる球児たち。そしてそれを観て感動を覚える日本国民。そんな甲子園が夏の風物詩とされる風潮がある以上、ブラック企業とそれに酷使される人間が生まれる下地が整え続けられる。

長時間労働が問題視される昨今、高校野球のような過酷な環境が非難される傾向にある。そもそも、真夏の炎天下での連投はおかしいという声は、なぜ今になって聞こえてくるのか。いや、なぜ今まで生まれてこなかったのかと言うべきか。

 

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甲子園がブラック視されるのはなぜか

高校生にして160km以上の球を投げる佐々木投手が、将来の日本球界を背負って立つ存在になり得ることは、どんな凡人であろうと想像が容易に立つ。そんな彼が夢舞台の直前である地方大会決勝において、故障も無かったのに投げなかったことは、従来の日本人としての価値観をもってすれば異様である。

しかし、真夏の炎天下で何連投もすることは、実に非科学的であることが周知の事実になりつつある。むしろ異様だったのは、甲子園という過酷な環境が美談を盾に存在していたことに移り変わっている。

昭和の根性論は完全否定される傾向にある現代だが、それはいかに今の日本が苦しいことを象徴しているように思える。

がむしゃらに働くだけで良かった時代

高度経済成長期からバブル崩壊まで、日本のGDPはただひたすらに鰻上り。がんばって働けばお給料も比例して上がるような、民衆も好景気を大いに実感できていた時代と、平成を駆け抜けた吾身は想像している。

そんな古き良き時代は、たとえどんなに苦しいことがあっても、その対価があったから乗り切ることができた。報酬が充実していたからこそ、封建的な主従関係、精神論で乗り切るというグローバルスタンダードに反する異様な価値観を黙認することができた。

しかし、バブル崩壊後、景気が悪くなると多くの企業は人件費を割くことに追われた。ゆえに長時間労働と残業不払い、非正規雇用などという言葉が当たり前のように存在する社会となった。さらにはブラック企業における過労自殺など、人権をも踏みにじるような事態にまで発展し、多くの国民が困窮する世になっていることは、少なからず賛同の声を得られるものと存じている。

つまり、今の世の中、根性論で乗り切れるほど簡単な時代ではなくなったと主張したい。ただ頑張れば結果がついてくる時代は終わりを告げ、個々の創意工夫が問われる高度な社会へ変遷してきている。

下記「偏差値」という概念も、精神論と共に衰退するものだと論じさせて頂いているので、興味があれば是非参考にされたい。

 

 

 

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甲子園はブラック課外活動

甲子園とは多くの日本人を感動させる一大エンターテインメントだが、よく考えればその実態は大変醜悪なものだ。

主役となるのは課外活動で身体を酷使する高校生たち。彼らに報酬など一切ない。遠征費やら用具は当然ながら自費。いつものように思うが、高校野球を生観戦する際、入場料を取ることに強い違和感を覚える。

成人前の若者たちによるアマチュアの試合。そしてチケットを売りさばくのは制服を着たあどけないJKたち。課外活動を盾に、高野連は無給で彼らを働かせ、多額の報酬を受け取っているものと思われる。せめて彼らの努力によって生まれた売り上げの一部を、遠征費などの部費に充てられれば救われる話かと思うのだが、そんな話は聞いたことがない。

高野連というブラック企業の存在も大変許し難いものだが、彼らが運営するエンターテインメントに感動を覚える日本国民の気質にも一石を投じなければと強く思う。

「佐々木くんを甲子園で見たかった」

「高校球児の涙は感動する」

多くの日本国民がそう思う限り、ブラック企業が根絶することなく、また長引く不景気も終わることはない。

唯木絢斗@oaonly180415をフォロー