承認欲求が強すぎて困っているという人や記事をよく見かけます。問題提起をしておいてなんですが、私自身、承認欲求が強くて困ったことはないです笑。そんな人間の意見を聞いたところで何の説得にもならないかもですが、他では絶対に言ってない解決策を提示する自負はあります。なので、そこら中にあふれる無難な意見に辟易としている方はご参考にまでに。

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承認欲求って何ぞや?

「人に認められたい欲求」と言えば答えは簡単ですが、もっと本質的なところに問題があると思うのです。かの有名なマズローの欲求5段階説によれば、4段階目に位置する人間において高次元なものです(マズローの欲求5段階説をご存じない方はこちら)。

生理的な機能を持ち(息が吸えて食事ができて)、安全が確保され(雨風しのげる家に住み)、社会の一員として適合して(家族・学校・職場に所属して)、その後ようやく求めたくなるもの、それが承認欲求。この日本で生きていれば最初の3つは難なく確保できるものと思われます(確保できない方もいらっしゃる現実があり、そうした方々を救う義務が我々にあることは間違いないですが、今回はひとまず置いておきます)。

社会の一員となり、その後に人として求められるものとは何だろう?様々な意見がぶつかるところかと存じますが、私はここを「成長」を捉えることとします。承認欲求とは成長したい欲求ではないかと推察するわけです。社会の中で揉まれて自分自身を高めていくことが、人間が他の動物と違って求められていることであると。

承認欲求の強い人とは?

5段階目の自己実現を達成するために、成長は欠かせません。しかし自己実現をしたいと思わない人、要するに「目標が定められない人」って結構多い気がします。自分は何がしたいんだかわからない、そんな声をよく聞きます。認められたいと思うことが目的になっている、自己実現へ上手く移行できていないことこそが、承認欲求が強いことの根本的なところなのかなと思うところです。

子供のころ褒められた記憶のない人?

私は幼少期からめちゃくちゃ親に褒められた記憶があります。親は自分をとても認めてくれる人という位置付けがあります。すごくいい親に育てられたねと嫉妬深いご評価をいただくかもしれませんが、個人的には毒親の要素の方が強いかなと思っています。褒めてくれるというところ以外でかなり擦れている部分があると思っているので。

・・・という個人的な思い出はさておき、私は目標に向かって生きるという点に関して優れているところは自部している部分であり、親に感謝せねばと思っている次第です。目標が見つからない、やりたいことが見つからない、それはつまり「褒められた経験が少ない」というところに本質的なところがあるのではないかと。

褒められることが目標なんです。やりたいことが見つからない、もとい承認欲求が強いということは、つまりそういうことなのではと意見申し上げたく。

承認欲求をなくしたいなら親のせいにしよう!

私が自身の性格でコンプレックスを抱く部分については「育てた親のせいだから仕方ない」という感じにしています。別に恨んでいるわけでもなく、そのように育てられたという事実があると認識するだけです。そうした自分を受け入れるだけです。まあそれが難しいところではあるのですが・・・。

最近読んでいるこの本には、嫌な自分を受け入れられるヒントがあるような気がします。

この本の内容をこの夏に極めたいとほんのり思ってます。他にもヒントになりそうなところがあれば随時共有して参りたいと思っております。

さて、なぜ自分自身、承認欲求を抑えられないのかという問題に対しては、まず育てられた親に原因を求めてみようというところから始めてみると、ひとつの解決に繋がるものと考えています。だからといってすべて親のせいにしろ、親を恨めと言っているわけではありません。「育てられた環境だから仕方ないね」と認めるところを目標にしようというわけです。

「〇〇だから仕方ない」

「〇〇だから自分のせいではない」

これを思えるようになると、メンタルはめちゃくちゃ強くなります。自責にもせず他責にもせず、ただ事実をあることを受け止めて受け流す。私自身にも言えることですが少しづつ練習が必要ですね。

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