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教育格差は何が問題か

教育格差の存在そのものは、資本主義社会において問題では無い。問題なのは格差が「生まれ持った能力」ではなく「生まれ持った環境」で決まってしまうことだ。

わかりやすく表現すると「生まれ持った環境」で格差が生じると、言葉は悪くなるが、以下のような問題が発生する。

・貧乏生まれの天才が工事現場で働く。
・金持ち生まれのバカが社長になる。

教育格差をなくすには?

金持ち生まれのバカ社長が蔓延

 

上記は極端な例だが、つまり、能力のある者が資本家ではなく労働者に、能力の無いものが労働者ではなく資本家に、という矛盾が生まれる。

資本主義社会の利潤追求の前提条件に「商品経済の広範な発達」というものがある。しかし、能力の無い者は、総じて自身の利益に執着する。社会全体の経済発展などということは頭の中に一切ない。能力の無いものが資本家になる、わかりやすく言えば「バカが社長になる」ことによって、その前提が崩れているのが、今の日本ではないかと危惧する。

一万円札の肖像画に選出され、世間の認知度が飛躍的に向上した渋沢栄一。

彼は倫理と利益の両立を掲げ、富は全体で共有して社会に還元すべきと説いたが、今の世の中、そのような理念を持った高尚な経営者は稀有な存在と思える。

多くのバカ社長を生み出してしまったのは、塾や私学を認め、金持ち生まれなら誰でも偉くなれるシステムを構築した日本の教育が諸悪の根源。日本の資本主義経済は、社会全体の発展という前提が忘れさられている。私欲を肥やさんとする輩が富を独占するが故、経済発展に非効率な格差を生み出していることは、日本の衰退を意味している。

 

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教育格差と貧困

私欲を肥やす輩が多くなれば、当然ながら貧しさに喘ぐ者が多くなるのは世の常だ。

貧困の数値的な定義は、親子2人世帯が月に約14万円以下で生活していることを指すようだが、日本においてそのような境遇にさらされた子供の割合は、7人に1人であるという。

教育格差をなくすには?

子供たちを救う為にすべきことは?

 

月収14万で子供を育てようという気概が生まれることに、思わず疑問を呈してしまうが、そこに至るまでに複雑な理由があったということにしておこう。兎にも角にも、子供は親を選べない以上、生まれた環境が運任せになってしまうシステムは、経済を回す上で実に効率が悪いことは先の述べた通り。

教育格差は経済支援で済む問題か?

貧困に苦しむ子供たちを救うためには、経済的支援が最善の方法なのだろうか。

下記、NPO法人を経由し、個人でも月額1,000円から寄付が可能である。

認定NPO法人カタリバ

たしかに、不公平な境遇に生まれてきてしまった子供たちに満足な教育を受けさせるためには、直接的な経済的支援は即効性があるだろう。ただし、長期的な視点で言えば、ボランティアは付け焼刃に過ぎないと考える。

紛争地帯で飢餓や病気に苦しむ子供たちを根本的に救うのは、寄付だろうか。否、戦争を終わらせることである。

では、親の経済状況で満足な教育を受けられない子供たちを救うのは、寄付だろうか。否、誰もが公平な教育を受けられるシステムの構築である。

本当に子どもの貧困を救うと考えるならば、金持ち出身の子供たちばかりが優遇される塾や私学の存在をなくすことが先決だ。寄付を募るのは結構なことだが、誰もが公平な教育を受けられるよう、政府に訴えかけるような活動もまた精力的に行ってほしいところである。

 

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教育格差と受験制度

金持ちばかりが塾に行って勉強を教えられる、いや受験にパスする為の情報を得られるのは、何も今に始まった話ではない。古くからその悪しき習慣は存在していた。

中国に、現代日本の大学受験や公務員試験に大きな影響を及ぼす「科挙」という官僚登用制度の中核を担う試験制度があったことは、周知の事実かと存ずる。

教育格差をなくすには?

今も昔も猛勉強

教育格差もまた歴史を繰り返す

科挙は6世紀の隋の時代に導入され、1904年の清朝末期に廃止されるまで、1300年以上続いたペーパーテストの成績で官僚の登用を決定する制度である。

18世紀くらいまでのヨーロッパにおいては、高官は貴族の世襲が当たり前であり、家柄や出自に関係なく国を動かせる身分になれる科挙は、歴史上画期的な制度として評価されている。

しかしこの科挙も、時代の流れと共に機能不全を起こすようになる。

宋(960年~1279年)の時代までは、出題範囲が広く、優秀な官僚を生むに相応しい問題が揃っていたそうだが、明(1368年~1644年)の時代になると、暗記ものが主な内容に変わったとのこと。

宋代まではあらゆる人間にチャンスがある科挙であったが、明代以降は親がお金持ちで、子供の頃から対策に勤しむことのできる人間しか合格の道が開けなくなった。狭い見聞ばかりの官僚が国を動かすようになったその後の中国は、清代でアヘン戦争に敗れ欧州の軍門に下り、さらには小国日本に日清戦争で敗れて朝鮮を奪われるなど、悲惨な末路をたどった。

科挙とは何か――あらゆる制度は自己目的化し、腐敗する

戦後の日本においても、ペーパー試験を突破して優秀な大学を出ることが、一流企業に就職する、または高級官僚になる為の道となった。そんな試験制度も、高度経済成長期は誰にでも高官になれるチャンスがあったが、今では金持ち貴族だけに限定されてしまった。

その点、森永卓郎氏は実体験をふまえて指摘している。

教育格差をなくすには?

森永氏は東大卒らしいです

 

ずいぶん前から、東大生の親の平均年収は1000万円を超えています。僕が入学した1976年当時はまだ駒場寮というのがあって、そこに地方出身の文房な秀才というのが住んでいたんです。しかし、今では取り壊されてしまって、駒場寮はないんですね。親がある程度のお金を持っていて、子どもの頃からきちんとした教育環境を整えておかないと、子どもが公立の小・中学校に行って、そのまま塾にも何も行かないでストレートで東大に入学できるという構造ではなくなっている。

格差社会の真実 どこへ行くニッポン社会(小学館)

 

人間というものは、手に入れた富は独占したがる精神構造が今も昔も変わらないということか。私欲を肥やす資本家層が国のトップに居座る限り、日本の暗い将来が目に見えてわかる。

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