第100話 想像を超えた存在

 ハプスさんの演奏が始まり、一分ほど経ったその時。

「!?」

 目の前が徐々に暗くなり始めた。

 

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『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第100話

アルサヒネ歴 八六六年五月二七
月村蒼一は異世界で恋に落ちる

 僕以外、誰もが視界から消え失せた。

 そして、星空のような小さな光が、辺り一面に広がった。

 辺りからの雑音は一切消え失せ、一方、ハプスさんが奏でていると思われる音色は、ボリュームを増して耳に入ってくる。

 宇宙空間に誘い込まれ、ただひたすら浮遊しているような感覚に溺れ始めた。

 眼前に広がる幻想的な景色⋯⋯。

 天国に誘われるが如く、美しく響き渡る音色⋯⋯。

 この空間にいるだけで、何もかもが癒される感じがした。

--課せられし運命は

「!?」

 ハープの音色に加え、歌声が聞こえ始めた。

--不条理に与えられし刹那の時

--儚く虚しい時の中で

--世界に癒しを与えん

 これは、ハプスさんの声に間違いない。

 僕は彼女から、何度もこうして心に語りかけられた経験があり、その事実は疑いようが無い。

 しかし、言葉の内容は、明らかに一人の人間に向かって放たれる類のものではない。

 会場全員に向かって、語りかけているのか?

 そして、会場全員が、この幻想的な景色を見ているのか?

 つまり、ハプスさんはこの会場全体にマナを放出しているのか?

 仮にそうだとしたら、何とも恐ろしい力である。

 そもそも、マナは戦闘の為に使うという観念に囚われていた僕は、こうした娯楽に応用するという発想へ至ることに、感銘を覚える。

 実は、ハプスさんは力を隠しているのではないか?

 実は、人間はおろか、精霊すらも超越した存在なのではないか?

 そんな彼女の存在の大きさを感じつつ、僕はこの空間に癒され続けた。

 徐々に真っ暗だった空間に光が差し込み、コンサートホールの風景が映し出されてきた。

 そして、壇上にいるハプスさんは、演奏を終えていた。

 その後、会場から割れんばかりの拍手と歓声が鳴り響いた。

「いつもありがとう!」

「今日も素敵だったわ!」

「また頼むぜ!」

 賞賛の声が、延々とステージに向かって響き渡っていた。

 ハプスさんはいつもの無表情のまま、観客に向かって一礼すると、ステージから降りて行った。

「⋯⋯何だったの、アレ⋯⋯」

 グラシューが呆然とステージを見つめながら、こぼれ出すように口にした。

「やっぱり、グラシューも?」

 グラシューは僕の方を振り向いた。

「え、まさかソーイチも? 急に目の前が暗くなって、キラキラした景色が広がって、ハプスさんの歌声が聞こえて⋯⋯」

 僕はコクコクと頷いた。

「クレアもそうなの!?」

 グラシューは一ノ瀬さんの方を向き、慌てた様子で聞いた。

「⋯⋯うん。たぶんいっしょだと思う」

 一ノ瀬さんも気の抜けたような様子で、唖然とした声を発していた。

「すごく綺麗な音色と歌声⋯⋯、それに幻想的な景色⋯⋯。まるで魔法にかかったみたい⋯⋯。ただ、きっと魔法⋯⋯っていうか、マナの力なんだろうけど」

 彼女が言い終えると、僕らはしばらく黙り込んでしまった。

「とにかく! ウチらのリーダーは事情聴取決定! ほれ、二人とも行くよっ!」

 ズカズカと人並をかき分けて歩いて行くグラシューに、僕と一ノ瀬さんはその背中を追った。

 演者の控え室の入り口付近に、僕ら三人はハプスさんを待ち構えた。

 しばらくすると、竪琴を持ったハプスさんが入り口から出てきた。

「あ! お疲れ様です!」

 グラシューは彼女が出て来るなり、快活な声で挨拶をした。

「あら? やっぱりアンタ達だったのね」

 ハプスさんは、僕らに歩み寄って来た。

「恥ずかしいところ、見られちゃったわね。私が出ること、知ってたの?」

「いや、友達が出演するので、応援にと思って来たんですけど、まさかハプスさんがいるとは⋯⋯」

「ふーん、そういうことね」

 ハプスさんは僕らを見回すように目線をを動かすと、彼女のそれは一ノ瀬さんに照準が向けられた。

「あら? あなたはたしか⋯⋯」

 ハプスさんに見つめられた一ノ瀬さんは、決まりが悪そうな顔色を見せた。

「クレア、だったかしら?」

「⋯⋯はい」

 一ノ瀬さんは弱々しく返事をしたが、すぐに顔を引き締め、勢い良く開口し始める。

「あの、ハプス様⋯⋯! 大変失礼いたしました!」

 一ノ瀬さんが力強くその言葉を放つと、ハプスさんは目を見開いた。

「私が怒りのあまりに酷く罵ったり、降参なさっているにも関わらず首を締め続けたり⋯⋯。何とお詫び申し上げたら良いか⋯⋯」

 申し訳なさそうに語る一ノ瀬さんに対し、ハプスさんは微笑みを見せた。

「謝ることはないわ。互いに全力を出し合った結果。勝負事に熱くなるのは、仕方のないことよ」

 温和な口調で諭すハプスさんだが、一ノ瀬さんは目線を逸らしたまま、何も言えずにいた。

「それにしても、あなたの荒んだ表情、ずいぶんと晴れやかになったものね。どこぞやの勇者様が、呪いでも解いてくれたのかしら?」

「え⋯⋯?」

 呆気に取られながら疑問符を発する一ノ瀬さんを尻目に、ハプスさんは不敵な笑みを浮かべつつ、僕を一瞥した。

「え⋯⋯?」

 ハプスさんの妖しい視線に、僕も一ノ瀬さんと同じような戸惑いの疑問符を漏らすしかなかった。

「まあ、とにかくよかった。元気そうで。ソーイチとも仲良くやってるようだし。これからも活躍、期待してるわ」

「は、はい⋯⋯! こんな私の為に、ありがとうございます!」

 一ノ瀬さんは、深々と頭を下げた。

「ところで、ハプス様⋯⋯」

「ん? 何かしら?」

「私、先ほどの演奏、感動しました! 大変美しい音色と歌声で⋯⋯まるで、魔法にかかったかのような気分でした」

「あら、そんなこと言ってくれるなんて。お世辞でも嬉しいわ」

「ええっ? お世辞だなんて⋯⋯そんなこと⋯⋯」

 一ノ瀬さんは戸惑っていた。

「いや、マジですごかったから」

 グラシューが割って入るように、二人の間に口を挟んだ。

「ハプスさん、やっぱりマナを使ったんすか? っていうか、観客全員に向かってマナを放出したってこと?」

「まあ、そういうことね」

「でもそれ⋯⋯めっちゃ疲れないですか? 戦う以上の体力を使いそう⋯⋯」

「そうでもないわよ。私の演奏を聞きたいと思って来てくれてる人達の心に入り込むなんて、そんなに難しいことじゃないわ」

「とはいえ、あれだけの人数だし⋯⋯」

 僕は恐る恐る口にした。

「まあ、それなりに疲れるけど、慣れちゃったわ。それに、私の演奏を聴いてくれる人達には、少しでも良い気分になってもらいたいし」

 平然と答えるハプスさんを前に、僕は改めて畏怖を覚え、立ち尽くすしかなかった。

「じゃあ、私はもう行くから。アンタ達、お友達の演奏、聴きに来たんでしょ? 戻らなくて平気?」

 ハプスさんにそう言われ、唖然としていた僕は、我に帰った。

「あ、そういえば、そろそろバリーの番⋯⋯!」

「マジかっ!? やべー、行かなきゃ! じゃあハプスさんっ、おジャマしました!」

「はいはい。じゃあ、またね」

 僕らは、小走りで観客席へと戻って行った。

 観客席に戻った僕らの目線の先には、弦楽器らしきものを持って壇上に立つバリーがいた。

「ふうっ、何とか間に合ったみたいだね!」

「だなっ! おーいっ! バリー!」

 大きな歓声が飛び交う中、グラシューはバリーに向かって飛び跳ねながら手を振ったが、彼は手にする楽器の一点を見つめていた。

「集中してるね、バリー」

「そだね。何か、いつもと違う顔」

 バリーの精悍せいかんな表情を見ていると、僕にも緊張が走ってきた。

 賑わっていた観客の声が静まると、バリーが演奏を始め、音色が響き渡った。

 バリーは弦楽器らしきものから発せられる音色と共に、自然に囲まれたコンサートホールに、その歌声を響き渡らせた

 彼の演奏は活気盛んで、ハプスさんの内心に忍び込んで心奪われる感覚とは違い、外界から心を揺さぶられるような心地を得る。

 ハプスさんの演奏に比べると、だいぶ荒削りなのは否めないが、違った趣を感じさせ、胸を打つものであることには変わりない。

 失った故郷

 不器用な自分への嫌気

 出来ることは、歌い続けること

 孤独な自分を慰めるもの

 それもまた、歌い続けること⋯⋯

 彼が訴える歌詞を要約すると、こんな感じであろうか。

 故郷であるフェームをラクティに奪われた悔しさが、彼の歌声を通して存分に伝わってくる。

 歌い続けることでしか、それを晴らせないと聞くと、彼はどこかで人を不信に思う節があることを感じてしまう。

 バリーの闇は、深いところにある。

 彼を救い出すには、まだまだ時間がかかる。

 真剣に歌い続けるバリーの姿を見て、また彼のことを一つ理解することが出来た気がする。

 演奏を終え、憔悴し切ったバリーに対し、賞賛の拍手が送られていた。

 僕もひたすら、手を叩き続けた。

「おーつかれー!」

 控え室から出てきたバリーに、グラシューは元気良く声をかけた。

「いやー、緊張したし、マジ疲れたわ」

 弱気に声を漏らすバリーだが、彼は安堵の笑顔を浮かべていた。

「カッコよかったよ! いつになく真剣な顔で! やればできんじゃんって感じ!」

「悪かったな、いつもヘラヘラしてて」

 バリーは笑いながらも、少し怒気を含ませた口調で言った。

「さて、この後どうしようか?」

 僕は集まった四人の輪に向かって言うと、若干の考える間が生まれた。

「あ、そういえば今日、満月⋯⋯」

 グラシューが、思い出すように呟いた。

「ああ『ワンスインナムーン』か。今日は晴れてるし、いいのが見られるかもな」

 つられるように、バリーも口を開いた。

 すると、一ノ瀬さんは首を傾げ、僕らを見ていた。

「満月⋯⋯? それにその『ワンス』なんとかって⋯⋯?」

「ああ、えっとね⋯⋯」

 僕はすかさず、疑問符を浮かべる一ノ瀬さんをフォローした。

 晴れた満月の夜、非常に透明度の高い湖であるシンセーロは、その水面に満月の姿を鏡のように映し出し、果てしなく幻想的な姿を露わにする。

 シンセーロ周辺の住民には、その光景を『ワンスインナムーン』と呼ばれて親しまれている。

 僕もバリーを始めとする知り合いに誘われ、何度か目にしているが、その度に、透き通った水面に投影された月面と、周囲に反射される月明かりに、吸い込まれるような感覚を得る。

 そんなワンスインナムーンは、何回見ても飽きない不朽の逸品だと、僕自身も胸を張って言える。

「えーっ、素敵! 見たい!」

 僕の説明を聞いた一ノ瀬さんは、顔の前あたりで手を合わせ、目を輝かせながら声を張っていた。

「よーーしっ! クレアにもシンセーロ自慢の景色を見せてやるっ! バリーとソーイチも行けるよねっ!?」

「おう!」

「問題ないよ」

「おっしゃ! そうと決まればシンセーロに戻るよっ! 日も沈み始めてるし、今から行けばちょうど良い時間だねっ!」

 グラシューの威勢の良い声の元、僕ら四人はシンセーロへと向かうことにした。

 

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