第14話 誰も居ない筈の場所で
校門を抜け、自転車を駐輪場におさめると、僕は腕時計の時間を確認した。
--八時ちょうど。間に合った。よし、剣道場の裏だっけか。
僕は教室に寄らず、カバンを持ったまま、剣道場の裏へと足を運んだ。剣道場裏には、二~三〇名は収められるスペースがあり、学校では一番人っ気のないところである。
八時に登校して来る生徒は多くない。ちらほらと生徒の姿を確認できるが、数えられる程度である。ましてや、この時間に剣道場裏になど誰も行くはずがなく、案の定、僕は無人の道を歩いて行った。
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第14話
グレゴリオ暦 二〇XX年七月四日
月村蒼一は異世界に飛ばされる
「!?」
--あれ⋯⋯?
僕は剣道場裏のへ行く途中、無人の道であるはずの所に、前を歩く女子生徒の姿を発見した。
--誰だっけあの人⋯⋯確か同じクラスの⋯⋯。一ノ瀬さん⋯⋯だっけ?
全く知らない人ではなかった。
同じクラスの女子生徒で、名前は一ノ瀬 紅彩。
下の名前が特筆すべきキラキラネームなので、名前だけはしっかりと覚えていた。ただ、目立つのは名前だけで、普段は大人しい生徒と一緒にいるのをよく目にする。乱暴に表現してしまえば、地味な女子生徒。辛うじて顔は覚えられているが、とりわけ美人という印象は無い。
僕が知ってる彼女の情報はそれくらいで、喋ったことなど一度もない。
--あの人、何でこんなところを歩いてるんだろう? こんな時間に。っていうか、剣道場裏に向かってないか?
このまま僕も剣道場裏のスペースに行けば、間違いなく彼女と鉢合わせることになる。同じクラスだけど、全く喋ったことのない、しかも大人しそうな人と同じ空間。
僕はそのシチュエーションに耐えられるだろうか。
そんな懸念を抱いた僕は、気まずい感覚を持って、一ノ瀬さんの背中を追わざるを得なかった。
そして、やはり彼女は剣道場裏のスペースに到着し、そこで立ち止まった。
悪い予感はあっさりと的中した。
--やばっ、これ気まず過ぎるだろ⋯⋯?
僕は一ノ瀬さんにバレないよう、遠目でのその姿を見ていた。
--いいや、どうせ夢の中の話だし、確認なんかよく考えたら馬鹿らしいや⋯⋯。
僕は間の悪いシチュエーションを回避すべく、一ノ瀬さんに悟られないよう後ろに振り返り、戻ることにした。
しかし、僕はある違和感を覚え、立ち止まった。
--え? っていうか、なんであの人、この時間に剣道場裏に⋯⋯? 他に誰がこんな時間にここへ来るっていうんだ? 昨日見た夢でも見ない限り、こんなところへは⋯⋯。
彼女がここにいる理由が気になりだし、僕は改めて一ノ瀬さんのいる場所を見た。
「!?」
僕は眼前に映し出される光景に、目を大きく張った。
そこには、一ノ瀬さんの前にもう一人、大柄な男性が立っている姿を確認した。
そして、その男性は僕の存在に気付き、こちらを見てきた。
僕はその視線に恐怖を感じ、すぐさま振り返った。
「おい、お前! そこで何をしてる!」
--やばっ! 逃げろ!
自慢の脚で駆け抜けようとしたその瞬間、その男は僕の目の前に立ち塞がっていた。
「え!?」
「俺の姿が分かるのか? そして、俺もお前の姿を確認できるってことは⋯⋯」
「⋯⋯?」
「お前、何者だ!」
その男は僕の腕を掴み、スペースの中央付近まで強引に引っ張り、そのまま僕を地面に叩き落とすように投げ飛ばした。
「いって⋯⋯!」
投げ飛ばされたすぐそばに、一ノ瀬さんの姿があるのを確認できた。
「えっ⋯⋯! あっ⋯⋯!」
彼女は驚き、両手で口を押さえ、僕の方を見て声をあげていた。
「お前、どうして今ここにいるんだ? 誰に言われてここに来た?」
誰に言われて⋯⋯?
この男⋯⋯、あの夢に出てきた女の人と関係が?
「とにかく、俺とこの娘がここにいることを知ったお前を、タダで帰すことはできん」
男は懐にあるモノを抜き出した。ゲームで見るような、中世ヨーロッパの戦争で使われていたような、両刃の剣であった。
よく見ると、男の姿は、赤を基調とした頑丈そうな鎧を全身に纏っている。
現実から逸脱したその外見は、昨日の夜の出来事を瞬前と思い出させた。
「え!? ちょっと待って⋯⋯!」
「問答無用!」
男は剣を振りかぶり、僕の頭めがけて振り下ろしてきた。
「--ッ!!」
絶体絶命。
昨日、自ら命を落とさずとも、この世を去る運命だったのか。
僕は目をつぶり、死を覚悟した。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯
⋯⋯⋯⋯
⋯⋯
⋯⋯⋯⋯
悶えるような痛みを待っていた僕だったが、なぜか心地よい柔らかな感触が、僕の背中を刺激した。
「大丈夫?」
突然、耳に入ってくる透き通った声。
僕はそれに反応し、後ろを振り向く。
すると、昨日の夢の中の女性が僕を抱えて、にっこりと笑っていた。
「あっ! 昨日の⋯⋯!」
僕は思わず叫んだ。
「来てくれたのね、嬉しいわ。さすが私が見込んだだけのことはある」
優しい笑顔を目の当たりにし、僕の心は安心に包まれた。
そんな彼女だが、その表情はすぐに険しくなった。
「積もる話はあのバカを大人しくさせてから。ちょっと待っててね」
彼女は僕から離れると、大柄な男の方に視線を移した。どうやら、彼女は僕を抱え、とてつもないスピードで移動し、あの男の斬撃から身を守ってくれたようだ。
「やはり貴様か、サフィローネ。何を考えてる」
男は厳しい表情を作り、僕の命の恩人に向かって言い放った。
『サフィローネ』とは、彼女の名前だろうか?
「私の切り札に随分と手荒なマネをしてくれたわね、アルディン。あなたの野蛮な性格は相変わらずね」
「フン、黙れ天然バカが。何だその格好は?」
「ああ、これ? どう、似合う?」
彼女の服装は、昨日のセクシーなコスチュームから一転していた。
軽く羽織れるような紺のジャケットを纏い、その中には清楚な白のブラウスを着こんでいた。また、八分丈のベージュのパンツを履き、昨日、派手に露わにしていた美しい白肌は、踝だけに留められていた。
いわゆる、ビジネスカジュアル。
現実感を醸し出していた彼女の姿はここの教師、とりわけALTに間違われても仕方のないくらい、この学校という場所に溶け込んでいた。
「ここの人間にバレてもいいようにね。カモフラージュというヤツよ」
「バレるわけないだろう。適当な言い訳をしやがって。単に着てみたかっただけだろう?」
「はは、バレた?」
「そんなことはどうでもいい! 貴様、何を企んでる! そいつをどうするつもりだ!?」
「さあね~。あなたこそ、その女のコをどうするつもりなのかしら?」
「何だと⋯⋯!?」
『アルディン』と呼ばれた男は、一ノ瀬さんと僕の方を交互にチラチラと見た。
「まさか、貴様⋯⋯!」
次の瞬間、僕らの前方が急に歪みだした。
そこから、電流のようなものが、激しく揺れうごめく様子が見えた。
すると、青黒く得体の知れない空間が、透明な空気を切り裂くように出現した。
「はい、8時8分8.8+E24秒まであと少し。アンタの作った転送位に乗っからせてもらうから」
「いつも貴様はそうやって人の努力をッ⋯⋯!」
男は『サフィローネ』と呼ばれた僕の命の恩人を鋭く睨みつけた。
「今日こそは許せん!」
さらに男は剣を彼女の方へ差し向け、今にも襲いかからんとしていた。
一方、女性の方はというと、そんな男の形相には目を向けず、僕の手を取って喋り出す。
「ソーイチ君、あれに向かって走って!」
彼女は手に取った僕の手を引っ張るようにして、歪んだ空間に向かって駆け出した。僕もそれに反応し、脚を動かした。
「アルディン! あなたも私を襲ってる余裕なんかあるのかしら!? このままじゃ折角見つけたあの女のコ、置いてけぼりよ~!?」
彼女は後ろを振り返りつつ、そう叫んだ。
「チッ⋯⋯! クソがっ!」
アルディンという男も咄嗟に反応し、棒立ちになっていた一ノ瀬さんを強引に抱え、歪んだ空間に走り出した。
僕とサフィローネと呼ばれた女性は、例の空間の前に来た。間髪を入れずに彼女は喋る。
「さっ! これに飛び込むわよ!」
「は、はいっ!」
僕はその誘いに返事をし、彼女が飛び込んだ後、僕も同様に続いた。
突然の出来事に、僕は無心で行動するしかなかった。
僕の体は奇妙な空間に飲み込まれていった。