第34話 ほろ苦い緒戦
店の外に出ると、慌しく駆け抜ける数人の男女を確認できた。
「向こうに逃げて行ってるってことは、あっちにいるってことだねっ!」
グラシューは、逃げ惑う人たちが走って行った逆方向を指差した。
「おしっ! 行くぞっ!」
「うん! わかった!」
僕は駆け出すグラシューの後をついて行った。
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第34話
アルサヒネ歴 八六五年一〇月一三日
月村蒼一は異世界で仕事をする
しばらく走っていると、狼らしき生物の姿が視界に入って来た。
「いたっ! あいつだっ!」
その生物の目の前に移動し、僕ら二人は立ち塞がった。
アージェントウルフだと思われるその生物は、全身銀色の毛並みを纏っていた。また、ライオンと馬の中間くらいの体高で、狼にしてはなかなか大きいという印象を受けた。
そして何より、剥き出しになった前歯は鋭く伸びており、僕の視界に強く刻まれていた。噛まれたら一溜まりも無さそうで、尋常でない攻撃力を持っているのはすぐに窺えた。
ウルフは僕らを威嚇するように、唸り声を上げていた。
「どうやら大人しく帰る気はなさそうだねっ! 悪いけど、ちょっと痛ぶってやる必要があるなっ!」
「そうだね⋯⋯! とりあえず、どうしたらいい?」
「ソーイチは離れてマナを溜めてて! まずはアタシがお手本を見せてやっから!」
「わ、わかった⋯⋯!」
グラシューは僕の目の前に堂々と立った。僕は彼女の頼もしい背中を見ながら後ろに下がり、呼吸に集中した。
グラシューは身構えると、ウルフを凝視した。ウルフは相変わらずウーウーと低い声で唸っている。
次の瞬間、ウルフが彼女の下へ駆け出し、飛びかかった。
しかし、彼女は目にも止まらぬ速さでそれを躱し、短剣を鞘から引き抜いていた。
「ちょっと痛いけど許してねっ!」
グラシューの放った一閃の太刀筋は、ウルフの右後脚を切り裂いた。ウルフはその痛みに反応したのか、悲痛な叫び声をあげていた。
再び、グラシューは素早く移動し、僕の近くまで来ていた。
「さて、若干動きは封じられたかな。ソーイチ、マナは溜まってる?」
「ああ、うん。準備はできてるよ」
「そいじゃ、リスヴァーグをお見舞いしてあげて。いい? かるーくやるんだよっ!? あのコを殺さないようにねっ!」
「わ、わかった⋯⋯!」
僕は腰の鞘に収めていた短剣を引き抜き、リスヴァーグを放つ構えを取った。
「これくらい⋯⋯かなっ!」
僕は慎重に剣を振るい、波動を発動させた。放たれた剣圧は動きの鈍っていたウルフに直撃した。
「あれ⋯⋯?」
確かに剣圧はウルフに直撃したはずだが、ウルフは何事もなく立っていた。
「さすがに弱すぎじゃね? それじゃそよ風だよ」
グラシューは僕の方を見て言った。
「そ、そうか⋯⋯。じゃあもう一回⋯⋯」
僕は再び剣を構えると、ウルフが僕の方を見て威嚇していた。
「おや、さっきのそよ風でターゲットが変わったみたい。いい機会だ。リスヴァーグは止めて、あのコにソーイチを襲わせよう」
「えっ!?」
僕は意図せず目を見張り、グラシューの方を振り向いた。
「さっきアタシがやった高速移動をマネして、あのコの攻撃を躱してみて」
「また実戦形式ですか⋯⋯。今回は相手が悪くない?」
「ウダウダ言わないっ! いいからやれいっ! 何かあったらアタシが助けっから、心配すんなっ!」
「うぅ⋯⋯わかったよ⋯⋯」
僕は渋々前を向き、ウルフの方を見た。
「イメージするのは、周りの時が止まってて、自分だけ違う時空を動いている感じね! はい、行ってらっしゃい!」
「うわっ!」
僕は前のめりになり、転びそうなところを踏み止まった。背中を押されたような感触を覚えたが、恐らくスパルタな師匠の仕業であろう。
僕は呼吸に集中しつつ、ウルフに歩み寄った。ウルフも僕を敵と認めたようで、牙を剥き出しにして、僕を鋭い目付きで睨み付けていた。
「自分だけ違う時空を動いている⋯⋯か」
僕はウルフを凝視しつつ、グラシューに言われた感覚をイメージした。
すると、徐々にウルフの動き一つ一つがスローモーションに見えてきた。また、風に揺られる周りの木々なども、同じようにコマ送りされたような動きを見せていた。
ウルフが一際大きな動きを見せた。恐らく、僕を襲いかからんといているのであろう。あまりに動きが遅く感じるので、そう判断出来るまで、僕の中の体内時計では、時を要せざるをえなかった。
僕はその攻撃を避けようと、真横に飛びのいた。
「うわっ!」
しかし、勢い余って飛び過ぎたようで、僕は五メートルほど離れたところの柵に激突していた。
「いってぇ⋯⋯」
気付けば、先ほどの周りがスローモーションに見えた感覚は無くなっていた。恐らくは激突した痛みで集中が切れ、マナが消えてしまったからだと思われる。
僕はフラフラと立ち上がり、ウルフの方を見た。ウルフは一瞬にして視界から消えた僕を探していた。
「こっちだ!」
僕はパンパンと手を叩き、大声をあげてウルフを挑発した。
ウルフは再び僕の方を見ると、鋭い目付きを作り、襲いかからんとする雰囲気を醸し出した。
--よし、もう一回集中だ。周りが止まって見える感覚は何となく掴めたぞ。
僕は再び呼吸に集中したが、ウルフはそう易々と待ってはくれなかった。
「!?」
マナが溜まる前に、ウルフは僕に襲いかかってきた。さきほどのスローモーションのような感覚を得る前だった為、ウルフの動きは恐ろしく速く感じ、数メートルあった間合いはあっという間に詰められた。
「やべっ⋯⋯!」
僕は飛びかかってきたウルフに馬乗りにされ、その牙は僕の首を狙っていた。
「うおっ⋯⋯! ちょっと待てって⋯⋯いてぇ!」
鋭い爪が僕の肩を引っ掻いていた。相変わらずウルフは僕の喉元をかっ切ろうとしているが、僕はそうはさせじと必死に抵抗した。
ただ、体重に勝るウルフに馬乗りにされては、僕はまともに身動きが取れない。完全に防戦一方となった僕は、死の恐怖が迫っていることを感じ、身体中から妙な汗が吹き出し始めていた。
「!?」
次の瞬間、目の前のウルフが何かに吹き飛ばされた。
「うーん、素早く動いてはいたけど、あんなにふっ飛んじゃ意味ないなぁ。どうも、マナがあり過ぎて上手くコントロールできないみたいだね〜」
グラシューが淡々と語りながら、僕の方に近づいて来ていた。
どうやら、ウルフを吹き飛ばしてくれたのは彼女のようだ。
「あと、やっぱマナを開放するのに時間かかり過ぎ。まあ、洗礼受けたのが昨日今日の話じゃ仕方ないんだけど」
「ご、ごめん⋯⋯。いてててっ⋯⋯」
僕は起き上がろうとするも、肩から感じる痛みに襲われた。
「ありゃあ、けっこう深く引っ掻かれたなぁ。これ以上闘うのは危険だね」
「そ、そんな⋯⋯まだやれるよ⋯⋯!」
僕は肩を押さえながら、地に足を付けて立ち上がった。
「いやいや、やめとけって。無理して死なれたりしたら、困るから」
グラシューは僕の肩に手を添えた。
「つっても、もう闘うことはなさそうだね」
彼女は吹き飛んだウルフの方を見ていた。僕もその視線の先に照準を合わせると、ヨロヨロと立ち上がるウルフの姿があった。
ウルフは僕らの方を暫く見ていると、振り返り、立ち去るように駆けて行った。
「一応、追いかけよう! 村の外に出るとは限らないし! ソーイチは無理しなくていいからね!」
「大丈夫⋯⋯! 走るのは得意だから!」
僕らはウルフの後を追った。
◇
「森の中に入って行ったね。どうやら住処に帰ったみたい」
五分ほどウルフを追いかけると、ウルフは村の柵を越え、深い森林に姿を消して行くのが確認できた。
「おし、ひとまず酒場に戻りますか。このままじゃ食い逃げになっちゃう」
「そうだね」
僕らは振り返り、歩き出した。
「にしても、なーんかあのアージェントウルフ、妙な感じだったなぁ」
グラシューは腕を組み、考えを巡らせるように首を傾げていた。
「妙って?」
「何か⋯⋯気迫はすごいものを感じるんだけど、動きは鈍くてさ。アージェントウルフの力はあんなもんじゃない。単純にこの辺のウルフが弱いとか、そういう問題じゃない気がする」
「⋯⋯あれで、鈍いんだ」
僕はポツリと呟いた。
「まあ、ソーイチの訓練はボチボチ進めるとして、問題はウルフがどうしてこの村に現れるようになったかってところだね」
「そっか⋯⋯」
力になれなかったことが悔しかった僕は、俯きながら弱々しく呟く他なかった。
「なーんか、ヤな予感しかしないんだよなぁ⋯⋯」
グラシューは相変わらず考え込みながらブツブツと言っているが、悔しさに溢れる僕の耳にはあまり入ってこなかった。
次こそは自分の力で追い払うと、僕はひたすら心の中で宣言しながら、静けさに満ちる夜道を歩いていた。