第37話 事故報告
「ソーイチっ!」
後方から僕を呼ぶ甲高い声が聞こえてきたが、消沈していた僕は、それに反応することなく、下を向いていた。
「うわ⋯⋯」
恐らく僕の後ろにいるであろうグラシューは、この惨状を確認したかと思われる。しばらく沈黙が訪れ、やや強めに吹き荒れる風の音だけが聞こえていた。
「グラシュー、ごめん⋯⋯」
僕は細々と呟いた。
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第37話
アルサヒネ歴 八六五年一〇月一六日
月村蒼一は異世界で仕事をする
「⋯⋯どうした? 何があったの?」
「この農場に着いたら、ウルフが既に家畜たちを襲ってて⋯⋯」
相変わらず僕は俯きながら喋り、少し間を置いた。
「それを見てたら思わず力が入って⋯⋯ウルフの首を⋯⋯」
そこまで口にすると、僕は再び黙り込んだ。
言葉を出そうにも、何か喉でつっかえるものが取れないでいた。
すると、僕は肩を触られる感覚を得た。
「仕方ないって。そんな状況だったら嫌でも力が入るよ」
僕は振り向き、グラシューの顔を見た。
「でも俺⋯⋯ハプス派の掟を⋯⋯」
「大丈夫だって。ウルフは牛や豚たちの命を奪おうとしてたんだから。殺める理由がないわけじゃないし」
グラシューは柄になく、穏やかな笑顔と優しい口調で僕を説得していた。そんな普段見せない彼女の顔を見ていると、何やら恥ずかしい思いが込み上げてきた。僕は彼女の顔を直視することが出来ず、目を逸らしていた。
「あのぉ⋯⋯もしもし?」
声のした方を見ると、農場のスタッフかと思われる中年男性が僕らの下に歩み寄って来ていた。彼は傷付いた脚を引き摺り、痛々しそうな様子だった。
「あ! ここで働いてる人!?」
グラシューは声を上げた。
「そうだども⋯⋯アンタらは?」
「あ⋯⋯えと、アタシ達はクエスターで、ウルフからこの村を守りに⋯⋯」
「ああ、そうだべかぁ〜。あんなバケモンを軽々やっつけちまうたぁ、やっぱ噂通り、クエスター様ってのはスゲぇんだな」
「いや⋯⋯でも⋯⋯」
僕は彼の言葉を遮るように口を挟んだ。
「あなたの大事な牛や豚たちを⋯⋯守れなくて。あなたにもケガを負わせて⋯⋯」
「ああん? 気にすんなって。こんなん唾でもつけときゃすぐ治るし、あんなバケモンが来て、動物らが全滅しなかっただけでもありがてぇ話だべな。」
男性の配慮に申し訳なく思いつつも、僕は心が洗われたような心地がした。
「ありがとう! おっちゃん、優しいね!」
グラシューが馴れ馴れしく感謝の意を述べていた。無垢な笑顔が何とも彼女らしかった。
「にしても、なんであんなバケモンがこの村に来るようになったんだか。」
男性は真面目な顔をして言った。
「そうそう! ウチらもそれが気になってたの! おっちゃんにも心当たりはない?」
「そげなこと言われてもなぁ。ウルフが山から下りてくるなんて今まで聞いたことねえしよ。考えられることったら、エサが少なくなったってくらいかぁ?」
「エサねぇ⋯⋯」
グラシューは彼の言葉を聞き、ボヤくように声を漏らした。
「何だか最近物騒でよ。近ごろ、いかついクエスター様があれこれやってきて賑わってるみたいだけんど、オラにゃあ何をやってんのかちっともわかんね。」
それを聞いた僕とグラシューは、目を合わせた。
「⋯⋯いかついクエスター達?」
「⋯⋯前に酒場にいた人達かな?」
僕らはコソコソと声を掛け合ったが、グラシューはすぐに男性の方を向いた。
「ありがとう、おっちゃん! っていうか、おっちゃんのケガ、手当てしてあげないと!」
グラシューは男性の肩を抱えた。
「いいっぺよ〜、たいしたことねぇから、気ぃつかってもらわんでも」
「たいしたことあるっ! いいからいいから!」
これもグラシューの優しさなのか、彼女は遠慮気味の男性に半ば強引に肩を貸して歩いていた。僕はそんな二人の後について行った。
◇
僕とグラシューはウルフに襲われ怪我を負った男性の手当を終え、荒らされた農場を後にしていた。
「他に被害が出てないといいけど⋯⋯」
二人とも満身創痍で重い足取りの中、僕は細々と声を出した。
「だね。ちょっと村を見回って行こっか」
グラシューは平然とした顔で口にした。
彼女の本心は掴めないが、見た目は気持ちの切り替えが出来ているように映った。そもそも切り替え云々、先程の惨状は、歴戦の猛者である彼女にとって、気を留めるに値しないものであったのかもしれない。
彼女は僕に遅れて農場に来たわけだが、相手にしていた二頭のウルフを殺めることなく、村から追いやったとのことだ。僕は彼女との力量差を様々な面で感じ、それもまた気持ちを沈ませる要因になっていた。
しばらく農道を歩いていると、グラシューは塞ぎ込んだ僕の顔を覗き込むように見てきた。
「元気ないね、ソーイチ。さっきのこと、まだ気にしてんの?」
「え⋯⋯そう見える?」
「うん、たぶん誰が見たって」
あっさりとした表情で、彼女は言ってきた。
「ごめん⋯⋯切り替えなきゃいけないとは思ってるんだけど」
相変わらず僕の声は小さく掠れていた。
「まあ、いいんじゃない? ソーイチみたいに神経質そうな性格だったら、無理に忘れようったって、そう簡単にはいかないだろうし」
その台詞は揶揄されているのか、慰められているのか分からないが、後者と捉え、彼女なりの優しさだと思いたい。
「むしろ、奪った命の重みってヤツを感じて、それがいい経験になったと思えば、先輩としてのアタシは嬉しい限り」
「命の重み⋯⋯そうだね」
「最近は無慈悲に命を奪うクエスターがホントに多くてさ。つまりはゴルシ派のヤツらのことなんだけど。何かそれを思うと、人間って負の塊っていうか、腐ってるっていうか、悲しくなってくるんだよね」
僕は真剣な顔をして語り始めるグラシューを見つめた。
「アタシもハプスさんに拾われなければ、今ごろどうなっていたかと思うと、怖くなってくる。あの人の教えがなければ、きっとアタシも流されて、自分の欲の為に何でもかんでも殺して⋯⋯」
彼女は珍しく沈み込むようなトーンで語っていた。今にも涙が流れ出そうな表情は、新鮮で印象的だった。
「はは! なんつってね! まー、ウチらはウチらのポリシーを持って、守るべきものは守っていこうってこと! これからもがんばっていこーではないか!」
転じてグラシューは妙に明るい口調で、僕の肩を叩きながら言った。
「そうだね⋯⋯ありがとう」
お礼を言う僕の口角は、自然と上がっていた。
◇
僕らは村の中をしばらく見回っていたが、荒らされた形跡はこれと言って無く、聞き込みをしても、ウルフが現れたという話は耳に入ってこなかった。
「襲われたのは、あの農場だけだったみたいだね」
「だね〜。早いうちに見つかって良かったよ。あの農場のおっちゃんには悪いことしたけどさ」
「たしかに⋯⋯。今後のトレーニングは、地稽古形式で消耗するのは絶対に止めよう⋯⋯」
「そだね。ほどほどにしましょ」
そんな反省の弁を漏らしつつ、村の中を歩いていると、依頼主である村長の家が視界に入ってきた。
「あ、ヘボ村長の家」
グラシューは、何の悪気も無さそうな表情で言った。
「ヘボ村長って⋯⋯。とりあえず被害を出しちゃったことは、報告しておいた方がいいかな」
「そうしますか。そもそも、三頭現れるなんて聞いてないし。むしろ文句言ってやる!」
「え〜、穏便に済ませようって⋯⋯」
そんな僕の言葉を無視するように、彼女が村長の家へと歩いて向かう速度は、心無しか増していた。
◇
僕らは村長の家の玄関を開けると、出てきた村長に招かれ、前と同じテーブルに座るよう促された。
先ほど起こった事を話すと、村長は怪訝な表情で喋り出す。
「ふむ⋯⋯三頭も同時に現れたと。そして、ファニードルさんの農場が襲われ、ご本人と家畜達に被害が出たと」
「はい⋯⋯」
僕は力無く返事をすると、村長は腕を組んで考え込むように下を向いた。
「ってか、三頭も同時なんて聞いてないんですけど。しかも前に追い払ったウルフと違うヤツらだったし」
グラシューは村長を刺激するような口調で言い放った。僕はヒヤヒヤしながら、彼女と村長の顔を窺った。
「まあ、たしかに襲ってくるウルフの数は複数とは言ってませんでしたな。今まで一頭のみで現れる目撃報告しかなかったわけで、そこは盲点だったかもしれません。」
村長は穏やかな口調で語るも、表情は険しく映った。
「被害が出てしまったのは遺憾ですが、三頭同時という事前に申し上げなかったことが起こってわけでありまして。それでも人命が奪われるという最悪の事態は避けられたということで、君たちの奮闘を讃えるべくとしておきましょう」
「申し訳ありません⋯⋯ご配慮いただき恐縮です」
僕は深々と頭を下げた。
ただし、ウルフが来る前にグラシューとの激しい訓練で消耗し、それが無ければあっさり追い払えたことは、口が裂けても言えない。
「っていうか村長、これからウルフが襲ってくる数って、もっと増える可能性があると思うんですけど」
グラシューが喧嘩腰のトーンでそう言うと、場の空気が締まり始める気がした。
「それは、否定できませんな」
村長も相変わらず厳しい表情で、彼女の問い掛けに対して返答した。
「根本的に解決しないと、イタチごっこになると思うんですけど。ウルフが現れるようになった原因、何か心当たりないんすか?」
村長はそう言われると、さらに表情が険しくなった。
「君はまたそれかね。獣の気持ちなど分からんと、前に申したであろう」
「だからって⋯⋯! このまま何もしなけりゃ、大変なことになるから!」
グラシューは立ち上がり、声を荒げた。
「グラシュー⋯⋯! 落ち着けって⋯⋯」
僕は彼女の服を軽く引っ張った。
「私もこのまま無策のままで良いなどと、思っておりませんよ。ご安心なされ。今後襲ってくるウルフの数が増えることは想定しております故、既に新しい対策は立てておりますので」
興奮するグラシューを尻目に、村長は落ち着いた雰囲気で喋っていた。
「新しい対策って⋯⋯何さっ!?」
「君たちが知る必要はない。君たちはとにかく残りの期間、護衛に徹してもらえればそれでよろしい」
「何だそれ⋯⋯! アンタはそうやってウチらを小馬鹿にして⋯⋯!」
「グラシュー、やめろって!」
僕も立ち上がって彼女の両肩を掴み、激しく制止した。
「今日はわざわざご報告ありがとう。君たちも疲れているだろうだから、今日はもう休みなされ。私も君たちの負荷を減らせるよう、尽力するから安心したまえ」
村長は淡々と語り終えて立ち上がると、その場から去って行ってしまった。
「くそっ⋯⋯あのジジイ、ウチらが子供だからって下に見やがって⋯⋯!」
「落ち着けって⋯⋯。とにかく今日はもう帰ろう。俺たちも体力を回復させないと」
僕らは村長の家を後にし、より一層重くなった足取りで、宿を目指した。