第49話 音速の魔術師による不可解な罠
僕ら三人は、ハプス派が贔屓にしている訓練場へと足を運んだ。
そこは訓練場とは名ばかりで、特にトレーニングの為の道具などが揃っている訳ではない。単純にアジトから近く、障害物もない草原というだけである。
だだっ広い草原の真ん中で、僕とハプスさんは対峙した。少し離れたところで、リチャードさんが芝生の上に座っている。
「それじゃあ、いつでもかかってらっしゃい」
「はい! お願いします!」
僕は威勢良く返事をし、短剣を引き抜いて構えを取った。
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第49話
アルサヒネ歴 八六六年二月六日
月村蒼一は異世界で頂点に挑む
ハプスさんの戦闘スタイルは、マナを巧みに操って爆炎や突風などの超常現象を起こして相手を攻撃する、いわゆる魔術師タイプ。この手のタイプは、腕力や体力は他に比べて格段に劣り、普段の仕事における役回りは、先陣に立つクエスターの後方支援に徹することが多い。
またその特徴は、一対一の勝負には不向きであることも意味する。遠隔射撃が身上の魔術師タイプは、ひとたび接近されてしまえば、為す術が無い。
しかしハプスさんは、こうした一対一の勝負においても抜群の強さを示すことを、僕は知っていた。
僕はマナを開放し、ハプスさんの懐に飛び込んだ。
「!?」
瞬時に彼女の懐に飛び込んだと思ったが、その姿は視界から消えていた。
「そんなものなの?」
僕の後方から声が聞こえ、その方向に振り向くと、幾つかの火の球が僕に向かって飛んできていた。
「ぐあっ!」
僕は咄嗟に盾を構えたが、そのうちの一つの球が僕の脚を直撃していた。
「そんなスピードで、私を捉えられると思ってるのかしら?」
ハプスさんは表情を崩さず、冷たい眼差しで僕を見ていた。
魔術師タイプは身体的能力に劣るが、彼女はそれを補うに余る程のスピードを持っている。彼女が一対一の勝負でも抜群の強さを誇るのは、このスピードがあるからこそである。
懐に入られれば為す術の無い魔術師タイプだが、ハプスさんの高速移動術は、それを許す隙を与えない。彼女と対決することになった相手は、その姿を全く捉えられることなく、彼女の放つ遠隔射撃の餌食となる。僕は彼女と対する者が、そうして地に伏せていく場面を、何度も目の当たりにした。
僕も相手の懐に飛び込み、手数で勝負する短剣使いなので、マナを活かした高速移動術は得意とするところである。しかし、ハプスさんの繰り出すそれには、まだまだ及ばないようである。
--くそ、やっぱり速いな⋯⋯。だからといってこれ以上スピードを上げて無理に捕まえにいっても、スタミナ切れになっちまう⋯⋯。
「来ないんだったら、こっちから行かせてもらうからね」
ハプスさんは考え事をしている僕に向かって言うと、右手を前に差し出した。
すると、何かエネルギーが凝縮されたような光輝く球体が、夥しい数をもって僕に襲ってきた。
「うおっ!」
僕はすぐさま横に飛び退き、それらを躱した。
空を切った球体の群は、次々と爆発を起こしていた。その様子を、僕は唖然としながら見ていた。
「余所見してるヒマなんかあるの?」
「え?」
その声が聞こえた方へ咄嗟に振り向くと、晴れ渡る空の上から何の前触れも無く、複雑に絡み合う何本かの稲光が僕の頭上へと襲ってきた。
「ぐうっ⋯⋯!」
その雷撃を僕は何とか盾で防いだが、その衝撃から伝わる痺れが身体中に充満していた。
「どうしたの、そんな守ってばかりで。勝つ気があるのかしら?」
ハプスさんの無機質な口調が僕の耳に響き渡り、それは僕の心を動揺させるには十分な効果があった。
◇
ハプスさんが放つ、狂気の猛獣が吠え暴れるような攻撃が、しばらく続いた。
聳え立つ炎の壁、
吹き荒ぶ猛吹雪、
猛々しく巻き起こる旋風、
全てを無と化そうとせん爆轟、
彼女の起こす超常現象の数々は、掌で数えるには追い付かない。そしてそれらは、常人が受ければ死は逃れられない威力であることに、疑いようが無かった。
しかし、僕は仮にも精霊の使いとも称される存在。そして、常軌を逸した早さで昇進を遂げているクエスター。
彼女の恐るべき攻撃は、一〇分もあれば僕の目を慣れさせるには、十分足りるものであった。
ハプスさんは雷撃を放ってきたが、僕はそれを難なく躱した。
「それ、二回目ですよね?」
僕は明るい口調で言い、ハプスさんの顔色を窺うと、彼女の冷静な表情は少し崩れたように見えた。彼女は息を大きく吹き出し、その呼吸を整えている様子が感じられた。
「なるほど。ただ逃げ回ってたってわけじゃ無かったみたいね。私の引き出しを開けつつ、自分の目を慣れさせる。そして私のマナも消耗させ、動きが鈍ったところを攻撃する⋯⋯と。なかなか合理的な考えを持って闘ってるじゃない」
僕の作戦は、大体読まれていた。
ハプスさんの神速的な動きは、まともに捕まえようがないので、彼女のスタミナ切れを待つ他なかった。
しかし、僕の持ち味は粘り強さだと思っている。
たとえハプスさんが相手でも、消耗戦の我慢比べに持ち込めば、良い勝負が出来るとみていた。
「そんなこと言ってる余裕、あるんですか? 今の威力には、もう慣れました。あれくらいなら、何発撃たれても避けられる自信ありますよ。早く本気を出した方がいいんじゃないですか? それとも、既に本気を出しているんですか?」
僕はハプスさんを消耗させたいが為に、さらに力を引き出させようと、彼女を強気な口調で挑発した。
「ふふ、生意気なこと言ってくれるじゃない。じゃあ、こんなのはどうかしら?」
ハプスさんは微笑を浮かべたかと思うと、右手を空に向かって上げ、指を弾いて音を鳴らした。
すると、辺りが薄暗くなり、妙な音が耳に入ってきた。その音は闘いの緊張感をあっという間に解すような癒しの旋律で、ハプスさんがよく奏でているハープの音に酷似していた。
「ん⋯⋯? なんだこれ?」
僕はキョロキョロと周囲を見回し、声を漏らした。
--ソーイチ、聞こえる?
眼前に立つハプスさんの口は開いていないが、彼女の声が脳に響くように聞こえてきた。これはハプスさんの得意とする、いわゆるテレパシーのような技で、声無しでコミュニケーションを取ることが出来るもの。僕が彼女と初めて会った時もこの技を見せられ、その不思議な感覚に魅了されたことは鮮明に覚えている。
--何でこんなことを?
僕は、ハプスさんに返事をするように念じた。
--返事をしてくれるってことは、しっかりと私の術にハマってるってことね。ふふ、やっぱりお子様はチョロいわ。
ハプスさんは、如何にも僕を挑発するような台詞を投げ掛けてきたが、僕はそれに惑わされまいと、冷静に頭を巡らす。
--特に身体に違和感は感じないようですけど。そんなにすごいんですか? この技。
--それをわかってないから、お子様だって言ってるのよ。
そう挑発するハプスさんは、右手を差し出し、幾つかの火球を繰り出して来た。
その威力やスピードは、この妙な空間が作られる前と変わらない。
僕は素手で、その攻撃を弾いた。
--今日は随分と俺に当たりが強いですね。何か気の触るようなこと言いました?
--そうね、君には本当に失望したわ。
その言葉に、僕は少し心が揺らいだ。
そんな僕を尻目に、ハプスさんは変わらず攻撃を繰り出してくる。
--失望って? 何がですか?
攻撃を躱しつつ、僕は問い返した。
--幼稚染みた友情ごっこに付き合って、私たちの大事な組織を潰しかねない危険な仕事を受けたいだなんて、どこまでお目出度い頭の中をしてるのかしらね。
--ゆ、友情ごっこって⋯⋯。
僕は眉間にしわを寄せ始めた。
彼女は決して本心では無く、僕の動揺を誘う為に、わざと言っていると思いたい。
--私は君の冷静なところを買ってたのよ。常に物事を合理的に考え、問題解決に向けて最短ルートを選んで行動する姿勢。秘められたマナとかより、私がソーイチに対して魅力を感じていたのは、そこだったのに。
ハプスさんはそう念じつつも、攻撃の手を緩めない。
彼女の手から放たれた光の球体は、威力もスピードも格段に増していた。
「おっと!」
僕も少しギアを上げて、その攻撃を躱した。
--やっと本気を出し始めましたね! でないと面白くない!
--何言ってるの? さっきと変わらない力で撃ってるんだけど。
「え⋯⋯?」
僕は意図せず声を漏らした。
--だから言ったでしょ? 君はこの術にハマってるって。
「うあっ!」
僕の頭上に雷撃が現れ、一直線に僕の身体に襲ってきた。
凄まじい速さを誇る稲光を、僕はまともに受けてしまった。
身体中に痺れが回る。
僕は、蹲るように膝をついていた。
「ぐうっ⋯⋯さっきと変わらない力だって⋯⋯? そんなバカな⋯⋯」
--君みたいなお子様には、一生かかっても謎は解けないでしょうね。
少し離れた位置から、僕を冷え切った瞳で見てくるハプスさんの攻撃は止むことがなく、僕は彼女の手元から放たれた夥しい火球の群の直撃を、次々に受けていた。