第51話 手駒に過ぎない存在
「まだ生きてたの? ここまでくると、感心を通り越して呆れてきたわ」
ハプスさんは苦笑いしながら、心を通じて意思疎通をするのを止め、僕に吐き捨てるように口を開いてきた。
彼女は右手の掌を、僕の方に見せるように掲げてきた。
トドメの一撃を放つつもりだろうか?
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第51話
アルサヒネ歴 八六六年二月六日
月村蒼一は異世界で頂点に挑む
身動きの取れない僕は、まさに絶体絶命と言う他ない。
「こんな形でソーイチとお別れになるとは、思ってなかったわ。君には期待してたのに、本当に残念」
そう言う彼女だが、その顔から悲しさが全く感じられない。
「精霊の使いだか何だか知らないけど、クエスターとしてはあまりに心が未熟すぎた。サフィローネ様には悪いけど、仕方ないわよね。こんな出来損ない、生かしておくのは実に憚られる。それにしても、君が死ぬかもしれない緊急時に姿を現さないってことは、彼女、きっと君のことを見放したのかもね」
酷い罵声を浴びせられている気がするが、僕の耳にはほとんど入ってこなかった。
「ソーイチ、君は所詮、駒にすぎなかったのよ」
「⋯⋯お、俺が⋯⋯こま⋯⋯?」
僕は、声を絞り出すように発した。
「そう、君は私の手駒。私の言う通りにしか働けないお子様。すごい早さで出世したけど、結局、それは私の指示通りの仕事をこなしたからこその芸当。今まで君がやってきた仕事に、君自身の意思はない」
そう言われ、薄れゆく意識の中で、僕はこの世界に来てからのことを回想していた。確かに、自分の意思でこれをやりたいと思った仕事は、一度もなかった。
ただそれは、一番にならなければという思いに駆られ、言う通りに動くことが、それを達成する近道だと思ったからである。
「友達の故郷を救いたい、なんて思いも、中途半端だったってことよね。結局、君は友達に嫌われたくなかっただけ。若しくは、強くなった自分を友達に見せつけたかっただけ。その程度の自分勝手な思いに過ぎない。友達を助けたいだなんて、これっぽっちも思っちゃいない」
「ち⋯⋯違う⋯⋯! 俺は⋯⋯!」
僕は必死で声をあげた。
死んでも、この点だけは絶対に譲れなかった。
「ふーん。まあ、どうでもいいけど。どっちにしろ、君は言われたことしか出来ないただのお子様で、私の手駒。言うことの聞けない手駒は、捨てられるだけ」
ハプスさんの掌が、白く輝き出した。
無情な一撃は、いつ放たれてもおかしくない。
--言われたことしかできない⋯⋯そんなこと⋯⋯そんなこと⋯⋯。
僕は瞬時に、頭の中を様々な記憶で複雑に絡ませた。
「⋯⋯あるな」
「ん?」
僕の呟いた一言に、ハプスさんは不思議そうな目で反応していた。
そんな非情な彼女はともかく、僕は自身の過去を振り返っていた。
ハプスさんに言われた通り、僕は今まで自分の意思で何かをこなしたいと、思ったことはない気がする。全ては周りの期待に応える為、やってきた。
生まれつき脚が速くて、僕が速く走れば周りの大人が褒めてくれた。僕が陸上を続けた原動力は、それだったのかもしれない。今更ながら、僕自身が試合で勝ちたいだなんて、思ったことがない気がした。周りの喜ぶ顔が見たいから、試合に勝ちたかった。そして、周りに失望されたくないから、試合に勝ち続けるしかなかった。
この世界に来てからも、僕の意思はなかった。アルサヒネで一番になる、世界を救うなんていうのも、全てサフィーさんに言われてやっていることだ。きっと僕は、サフィーさんに褒められるのを待っているだけなのであろう。
ただ、生きてさえいればいい。
欲が無いのが理想。
そんな考え方も、周囲の顔色を窺うことが全てである自分自身が、投影された結果なんだと思う。
「俺の⋯⋯本当にやりたいことって⋯⋯」
何故か自然と、僕は言葉を口ずさんでいた。
「どうしたの急に? ぶつぶつと言い出して。命乞いかしら?」
ハプスさんの声が何となく聞こえていたが、ほとんど耳に入ってこなかった。ひたすら上空を見上げ、物思いに耽っていた。
僕はこのまま殺されてしまって、いいのだろうか。
僕はハプスさんの言う通り、価値の無い人間なのであろうか。
僕がこの世から消えて沢山の人が幸せになるのであれば、喜んで受け入れるが、どうもそれは道理にあっていない気がする。
この世界に来て、世の均衡を保つクエスターとして活躍し、それなりの数の人達の期待に応えてきた。僕自身も楽しかったし、役に立っている実感があった。
それに、この世界で一生を終えるとは考えていない。出来ることであれば、元の世界に戻りたい。家族や友達にも何の断りも無くここへ来てしまったし、決して多からずだが、僕のことを心配してくれる人がいるはずだ。
このままじゃ殺される。
それも、この世界で信頼していた人の一人に。
しかも、困っている友達を助けたいという思いを抱いているだけなのに、殺される筋合いがあるのだろうか。
ラクティがどれだけ恐ろしい力を持った組織であることを、僕は全く知らない。僕自身の勝手な思いの為、無謀な戦いを挑み、ハプス派の同志たちに迷惑をかけてしまうのかもしれない。
なぜ今、バリーの期待に応えることに拘っているのか?
大口を叩いた手前、後には引けないと思っているだけか?
いや、そんな理由であれば、今は無理だったと謝ればいいだけ。
僕の力は、まだ伸びる可能性がある。ラクティですら問題ない力を身に付ける可能性が。ハプスさんはそれを伝えたいのだろうか? よく考えれば、まだ成長途上の僕が、ラクティ殲滅の命を受けるのは、合理的でない。
それでもやはり、譲れない何かがある。
僕は今ここで、自分自身が大きく変わらなくてはと、思っている。
「ハプスさん、違うよ」
「は?」
「俺は、あなたの手駒じゃない!」
自然と口から言葉が出てくると、急に身体が火照りだした。
「きゃっ!」
ハプスさんの柄に無い女性らしい悲鳴が聞こえるのと同時に、僕の周りから爆風が吹き荒れた。ハプスさんは、それによって吹き飛ばされていた。
僕は傷付きながらも立ち上がった。痛みは感じるが、それ以上に、いつでも浮き上がるのではないかと思うくらい、羽が生えたような身軽な感覚を得ていた。
「す⋯⋯凄いマナ⋯⋯。まさかこれ程までとは⋯⋯」
尻餅を付いていたハプスさんは、表情を一変させ、目を大きく見開いて僕の方を見ていた。
いや、彼女がどんな顔をしていようが、今はどうでもいい。
とにかく、彼女を倒さないことには、先には進めない。
「何と言われようと、俺はバリーの力になりたいんです! 彼の本当の笑顔を見ることが、俺の幸せなんです!」
僕は力強くそう叫び、短剣を握り締め、ハプスさんの懐に向かっていった。
「なっ⋯⋯! はやっ⋯⋯!」
僕はハプスさんとの間合いを詰めると、彼女が驚愕の声を上げるのを聞いた。
ハプスさんは直ぐに僕から距離を置いたが、僕はその姿を完全に視界に捉え、再び彼女との距離を詰めた。
「うっ⋯⋯!」
僕は短剣を横に薙ぎ払い、ハプスさんの腹部の辺りを斬り裂いた。
その直後、僕は再び距離を取り、短剣を持つ手に力を込めた。
「バリーは暗い過去を隠していた。それを押し殺して、いつも明るい笑顔を見せてくれていた! 彼をそんな辛い思いから解放してあげることの⋯⋯」
蹲っていたハプスさんは、腹部を手で押さえたまま顔を上げ、僕の方を見た。
「何が悪いって言うんですかっ!」
僕はリスヴァーグを放った。
ハプスさんへと一直線に向かっていった光の筋は、彼女にそのまま直撃した。
ハプスさんの小さな身体が後方へと吹き飛び、そのまま地面に叩きつけられた。
僕はこの機を逃すまいと、倒れるハプスさんの下へと接近し、彼女に短剣を突き立てた。
「機械になれだなんていうあなたの考え、誰かついていけますかっ!」
僕が叫び声をあげ、ハプスさんの胸元に短剣を突き刺そうと思った瞬間であった。
「おっと、この辺にしとこうか」
「え!?」
僕は、短剣を持っていた右腕を掴まれた。
横を見ると、笑顔を浮かべるリチャードさんがいた。
「それ以上やったら、ウチのリーダーが死んじまうな」
「え⋯⋯あっ⋯⋯!」
僕は我に帰り、仰向けに倒れるハプスさんの方を見た。
「うううっ⋯⋯」
彼女は目を瞑り、顔を酷く歪ませていた。
「全くハプス⋯⋯お前って奴は。コイツの力を引き出す為とはいえ、随分と手荒なことをするもんだな」
「え⋯⋯俺の?」
僕は再び、リチャードさんの方を見た。
「し⋯⋯仕方ないじゃない。ソーイチをみすみす死なすわけにはいかないし⋯⋯。それに、いつかはやらないとって、思ってたし」
ハプスさんは苦しげな表情を見せ、声を発していた。
「とにかく、勝負はここまでということで。今後のことは、アジトに帰って決めるとしようか」
二人は僕に対し、共謀していたのだろうか?
僕の頭の中には、ひたすら疑問符が彷徨いていた。