第52話 マナの根源
僕ら三人はアジトへの帰路を辿っていた。
僕の服はボロボロになっており、全身は火傷やら切傷だらけで、激痛に耐えなければならなかったが、何とか歩くことは可能だった。
僕をそんな状態まで陥らせた張本人のハプスさんはというと、その小さな身体をリチャードさんに横抱き、いわゆる、お姫様抱っこをされ、目を瞑っていた。
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第52話
アルサヒネ歴 八六六年二月六日
月村蒼一は異世界で頂点に挑む
どうやら、ハプスさんはかなり消耗していたらしい。
闘っていた最中は平然とした顔をしていたが、それなりの力は出していたようだ。
それを全く気付かせない彼女のポーカーフェイスは、賞賛に値するなんて表現では済まされない。そんな疲れた状態で、僕の新たに目覚めた力をまともに喰らったのだから、気を失うかのように眠ってしまうのも無理はない。
「俺は、そこまでする必要は無かったと、思ってたんだかな」
リチャードさんは突如、口を開いた。
「そこまで⋯⋯とは?」
「さっき言ったかと思うが、俺たちには、既にラクティを倒すだけの戦力があったと見ている。わざわざ、お前の力を強引に引き出すまでもなくな」
「え? 俺の力を強引に?」
「お前とハプスとの脳内でのやり取り、俺も実は聞かせてもらってたんだが、なかなか面白かったぞ」
リチャードさんは、こちらを見てニヤついた顔を見せた。僕は、顔から上の体温が上昇する感覚を得た。
「き⋯⋯聞いてたんですか。何か恥ずかしいっすね」
「すまんな。お前達の闘いの経過を観察する上で、どうしても必要だった。随分とハプスはお前に酷いことを言っていたな」
「そ、そうですね。かなり心を折られました⋯⋯」
「ははっ。まあ、それもお前の秘められた力を呼び起こす為に、嫌われ役を買ってやったと思って許してやってくれ」
「まあ⋯⋯ハプスさんは意味も無く、悪口を言う人じゃないですし。ところで、俺の力を呼び起こした要因って、やっぱり俺の怒りを買わせるとか、そんな類ですか?」
僕はリチャードさんに問い掛けると、彼は少し間を置いた。
「近いものはあるが、厳密に言うと、それが全てではないな」
彼は僕から視線を離し、どこか遠くを見つめながら、再び語り出す。
「マナの根源は『何かを成し遂げたい』と思うところにある。その思いが強ければ強いほど、マナは高まっていくとされる」
「何かを成し遂げたいと思う⋯⋯なるほど、俺の友達を助けたいという思いを、利用したわけですね」
僕がそう言うも、リチャードさんは相変わらずどこか遠くの一点を見つめていて、すぐに反応は返ってこなかった。彼から深く考えを巡らせている感じが窺えた。
「⋯⋯元々、クエスターの強さやランク、若しくは仕事や役割といったものは、生まれ持った素質、即ち生来備えたマナの量で決まるものだった。それが浮世の均衡を保つ為に、神々が生命を創り出した時に定めた秩序とされている」
「はあ⋯⋯」
意味深な発言をするリチャードさんに対し、僕は唖然とした反応を示す他なかった。
「ハプスがトップクエスターとして、この国だけでなく、様々な国々の高難度案件を担う大役を果たしているのも、このチビに生来備えた素質があるからに他ならない。お前もよくこいつに言われたかと思うが『人はそれぞれの力量に応じて運命が決められる』とは、天地開闢以来、普遍的な概念としてこの世に浸透してきたものだ」
リチャードさんは、抱きかかえたハプスさんを一目見たかと思うと、再び語り出す。
「しかし、近頃はその概念が薄れつつある。何かを成し遂げたいと思う心、それはつまり『欲望』と言い換えることも出来る。マナには欲望の強さに比例して大きくなる性質があるが故、強欲なクエスターは、生来備えた素質を超えた役割を担うことが出来るようになった。己の物欲や支配欲を刺激し、持つはずのない力を持った多くのクエスター達、それが俺たちと敵対するゴルシ派というわけだ」
僕はリチャードさんの話に対し、首を縦に振りながら聞いていた。結論は見えてこないが、僕の興味を掻き立てるもので、気付けば真剣に耳を傾けていた。
「欲望にも色々な形がある。金を稼いで贅沢な暮らしをしたいというのは典型的だが、お前の言う友達を助けたいというのも、欲望に他ならない」
「たしかに⋯⋯言われてみればそうですね。ハプスさんにも、子供染みた友情ごっことかディスられたけど、俺は自分の欲望のままに行動していたということですね」
「そんなに気にすることでもないさ。お前のそういった他人の為に尽くしたいという欲は、膨れ上がる力に欠ける。一方、欲の中でも物欲や支配欲といった類は、膨れ上がる力が凄まじいとされる。ゴルシも元々備えていた素質自体は大したものでは無かったと聞く。奴のとてつもなく強大な欲望が、その力を何倍にも膨れ上がらせ、トップの座に上り詰めさせたことは間違いない」
「なるほど⋯⋯」
「つまり、お前のそうした欲望は、従来あるべき世の道理に即したもの。ハプスもそれがわかっていたからこそ、お前をしつこく痛め付けては批判し、何とか秘められた力を引き上げようとした。結果として、お前が欲望を爆発させた時に得たマナは、たとえ膨張に欠ける類であったとしても、想像を絶するものであったというわけだな」
僕は眠りに耽るハプスさんを見て、その小さな身体が、改めて大きな存在として認識された。
「このチビが何としてでもお前の力を引き上げたかったのは、恐らくラクティを倒す為だけではない。何度も言うが、俺はラクティ程度なら、いつでも倒せると思っていたからな」
再び、僕はリチャードさんの顔を見た。
「お前が友達を救いたいと、珍しく欲を見せて案件票を持ってきたことは、ハプスにとってお前の力を引き上げる願っても無いチャンスだと思ったことだろう。ハプスはお前の為に、一ヶ月後の闘技会で倒すべきゴルシは勿論、その先にある未知なる闘いに向けて、この勝負を提案したのだと、俺は思っている」
僕はそう言われ、下を向いた。
「⋯⋯なんか、感謝の気持ちで一杯ではあるんですけど、少し情けない気にもなりますね。結局俺はハプスさんの言う通り手駒というか、彼女の掌で操られてる気がして⋯⋯」
「ははっ! 気にすることはねえよ。このチビに知恵比べで勝とうなんざ、どこぞの下手な神様でも出来ないだろうと、俺は思ってる。ソーイチ、お前はそんなこいつを良い様に利用するくらいの図々しさを持って構わないと、俺は思うぞ」
軽快に語るリチャードさんの歩くスピードが、少し増していた。
少し遅れて歩く僕は、彼の背中が異様に大きく見えていた。
◇
僕ら三人はアジトへと戻ってきた。そこにはグラシューをはじめ、何人かのクエスター達が各々くつろぐなり、身支度を整えるなりをしていた。
「あ! リチャードさん、ソーイチ、お疲れっす!」
相変わらず快活な声で、グラシューは挨拶をしてきた。
「あれ、ソーイチ、何かすっげぇケガしてない? それに、リチャードさんに抱えられてるのって⋯⋯?」
グラシューは、リチャードさんに抱えられているハプスさんを覗き込むように見た。
「えっ!? ハプスさん!?」
彼女はアジトに響き渡るように声をあげ、周りにいたクエスター達もそれに反応し、僕らの下に寄ってきた。
「ハプスさんをこれだけ痛め付けるなんて、いったい誰が⋯⋯まさか、ゴルシが!?」
グラシューのその言葉に、周囲から騒つく声が聞こえた。
「まあ、落ち着けって。ちょっとコイツらが仲間割れしただけだよ」
「は!? 仲間割れ!?」
リチャードさんのその説明に、グラシューは驚愕の声をあげ、周りの雑音もさらに大きくなった。
「ちょっとリチャードさん⋯⋯! 誤解を招くようなことを言わないで下さいよ⋯⋯」
僕はリチャードさんの方を、眉を顰めて見た。
「ははっ、悪い悪い! それにしても暇つぶしにしちゃあ、なかなか面白い闘いが観られたな!」
グラシューはその言葉に、首を傾げていた。
「お、面白い闘い? 何があったわけ?」
「えーっとね⋯⋯話せばちょっと長くなるんだけど⋯⋯」
埒が開かなくなったと思った僕は、これまでの経緯を説明することにした。
◇
「え⋯⋯? ってことはソーイチ、あんたハプスさんに勝ったわけ?」
「そ、そういうことです」
僕が説明を終えると、周囲は異様な雰囲気に包まれ、僕はクエスター達から妙な視線を浴びていた。
「だ、だからって、俺に気を使わなくていいからさ。戦闘力では俺が上なのかもしれないけど、ハプスさんの方が経験とか、知恵とかは全然上だし。この組織のトップが、ハプスさんであることに変わりはないし、俺はあくまで一人の構成員であることも、変わらないから」
僕はたどたどしくグラシューに説明した。
「まったくもう⋯⋯アンタはどこまで凄くなるのやら。アンタに剣を教えるの、マジでバカらしく思えてくんだけど」
「ええっ⋯⋯いや、そこは関係ないでしょ? 師匠、お願いしますよ⋯⋯」
僕はグラシューに懇願するも、彼女は白々しい目で僕を見ていた。
「オイ、お前ら、ソーイチがハプスに勝ったって話だけじゃないぞ!」
リチャードさんは手を叩き、周囲の雑音を遮るように大声をあげた。
「大事なのは、ハプスはラクティを倒すだけの力を測る為に、ソーイチとの決闘を申し出たこと。ソーイチがハプスに勝ったということは、俺たちにはラクティを倒すだけの力があると、ハプスが判断する材料になり得る!」
クエスター達はリチャードさんの言葉に対し、食い入るように耳を傾けていた。
「つまり、俺たちとラクティとの決戦は近い! 数年、野放しにしてきた卑劣な集団に、ようやく鉄槌を下す時がきたわけだ!」
「おおっ! そういうことかっ! ついにこの時が来たんですねっ!」
リチャードさんの雄叫びに、グラシューがすぐさま反応していた。
「ソーイチ、アンタが自分から案件を受けたいなんて言うの、珍しいじゃん! どういう風の吹き回し?」
「えっとね、ラクティに占拠された街のフェームって、俺の友達の故郷でさ。ほら、グラシューも前に一緒に遊びに行ったことあるじゃん? バリーっていう⋯⋯」
「バリー⋯⋯ああっ、アイツね! ウチらと同い年で、元気いいヤツ! アイツの故郷だったんだ。そりゃあ、ソーイチとしては燃えてくるよね! 何かアタシもすっげぇやる気になってきたよっ! 前々からラクティは早く何とかしたいって、ずっと思ってたし!」
グラシューのテンションが、いつになく上がっていた。
「で! で! リチャードさん、いつラクティをぶっ潰しにいくの!? 今から? 明日? アタシ、いつでも予定空いてるからさっ!」
「まったくうるさいヤツだな、お前は。今はウチのリーダーがこんな感じだ。このチビが起きたら、方針を固めていくつもりだから、それまでは大人しくトレーニングでもしとけ」
リチャードさんは呆れたようや口振りで、グラシューに喋りかけていた。
「わっかりました! おし、ソーイチ! 打倒ラクティに向けて、特訓しに行くぞっ!」
グラシューは僕の腕を掴み、引っ張るように走り出した。
「いてっ! っていうか俺も疲れてんだけどっ!」
「うるさーい! ハプスさんに勝つようなバケモノは、逆にアタシが退治してやるっ! いいからこーい!」
「い、意味わかんないからっ! リチャードさんっ! ちょっとグラシューを止めてくださいっ!」
僕は必死の形相で、リチャードさんに訴えた。
「大丈夫だろ、お前なら。しっかりグラシューにも鍛えられてこい」
「はいっ!? ちょっと待ってくださいって⋯⋯!」
「おいっ! この出来損ないの弟子! さっさと行くぞっ!」
「いてっ! だから、引っ張るなって!」
僕はグラシューに手を引かれて、疲れ切った脚で走らざるを得なかった。いつまで経っても色々な意味でグラシューには勝てないことを、僕の心の中に刻み込まれた。