第53話 受入れ易き疑惑
ハプスさんとの激闘から三日が経っていた。
そこで負った怪我はすっかりと全快し、僕はハプス派のアジトにいた。今日もグラシューとトレーニングに行こうと、彼女の到着を待っていたところであった。
広間のテーブルに座っていると、ハプスさんとリチャードさんが奥の部屋から出てきた。
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第53話
アルサヒネ歴 八六六年二月九日
月村蒼一は異世界で頂点に挑む
「あ、おはようございます」
「おはよう。来てたのね、ソーイチ」
ハプスさんは、いつもの無表情で挨拶を返してくれた。
「ラクティ殲滅及び、フェーム奪還計画だが、三日後に決行することになった。ハプス派のクエスターを全員集められるよう、調整も付いたところだ」
リチャードさんはしたり顔を示し、僕に言った。
「おお、とうとうですね!」
僕もその言葉に心踊らせ、快活な口調で言葉を返した。
「ラクティの構成員は、調べたところ凡そ五〇名。ハプス派は約三〇名。数では私達が劣ってるけど、一人一人の質は格段に私達が上回ってるはず。自信を持って臨みましょう」
「はいっ!」
「ところでソーイチ」
僕が威勢良く返事をすると、ハプスさんは表情を引き締めた。
「何でしょう?」
「ハッキリさせておきたいことがあるの。気を悪くしてしまうかもしれないけど、正直に答えてくれないかしら?」
彼女の目付きが、徐々に鋭くなる。
「え? 何ですか急に⋯⋯別にいいですけど」
僕は少し戸惑いつつも、その依頼に承諾した。
「結論から言うとね、私達はこの国の精霊、つまりサフィローネ様を心から信用していない。数年前から、彼女に疑いの目をかけている」
僕はその言葉に、目を見開いた。
「そ、それはまた⋯⋯随分と唐突ですね」
「精霊を疑うってことはつまり、自分が精霊の使いなどと言い張る君のことも、完全に信用してないってわけ」
「まあ⋯⋯サフィーさんを疑うってことは、そういうことですよね。ただ、なぜ今になってそんなことを?」
ハプスさんとリチャードさんは、追い詰めるような目で僕を見てきた。
「お前はハプスを超える実力を身に付けた。実に頼もしいことだが、それはお前が本当に信用のおける人間であることが前提だ」
そのリチャードさんの言葉を聞いて、僕は何となく話が見えてきた。
「⋯⋯なるほど。俺はいつでもハプス派を潰そうと思えば潰せるってことですよね? それで、俺がもし、兼ねてからゴルシ派のスパイだったとしたら、ハプス派にとっては壊滅的な打撃を受けるということになる」
「そこまで理解出来たなら、話が早いわ。早速、私たちの質問に答えてほしい。君は本当のところ何者で、サフィローネ様はいったい何を考えてるのか」
ハプスさんは相変わらずいつもの無表情だが、その目の圧力に、僕は押し潰されそうになっていた。
ただ、そうなるのも仕方ない。
よく考えてみれば、ハプス派を長年引っ張るこの二人にとって、僕のような存在は危険極まりない存在。僕は厄介な立場にいることを、思い知らされた。
「質問の答えによっては、君と初めて会った時にかけさせてもらった呪いを解放するからね」
「呪い⋯⋯?」
僕はその言葉を聞き、自身の記憶を辿った。
そう言えば、確かハプスさんと初めて会った時、手が青白く光り、裏切ったら激痛が走るみたいなことを、彼女に言われた気がする。
「こんな風にね」
「うわっ!」
ハプスさんが右手の指を弾いたかと思うと、僕の右手に激痛が走った。
「いてっ! いててててててっ!」
「どうやら、いくら凄いマナを持ってるとはいえ、この呪いは簡単には破れないみたいね」
「わ、わかったから止めてください! 喋ります! 何でも喋りますからっ!」
「ああ、ゴメンね」
ハプスさんは再び右手で指を弾くと、僕の右手の痛みはおさまった。
「ふうっ⋯⋯本気ですね。俺を疑ってるってのは」
「うん、ゴメンね。三〇人近くの命を預かっている以上、感情に流されるわけにはいかない立場なの。頭の良い君なら、わかってくれると思うけど」
僕は痛みの走った右手を押さえながら、ハプスさんを見た。彼女は微笑を浮かべていたが、感じる圧力は変わらなかった。
「えっと⋯⋯俺からも一つ聞いていいですか? 何も知らないまま疑われるのは、公平でない気がするんで」
「ええ。何かしら?」
「基本、この国の人々は、精霊を絶対的に崇拝していると聞いたことありますが、それを破ってまで、サフィーさんを疑う理由はなんですか?」
ハプスさんは僕を凝視しながら、間を置いた。
「クエスターになる為の洗礼は、精霊によって行われる。そして、クエスターを志願する者は、生来備えたマナの量、そして、私欲を肥やす為にその力を利用しない精神、この両面が精霊によって認められて初めて、洗礼を受けることが出来る」
「はい。それは知ってます」
「じゃあ気付かない? どうしてこんなに我欲の強いクエスターがこの国に蔓延してるのか。それは精霊が欲深い人間に対し、洗礼を受けることを認めているからと考えるのが、自然じゃないかしら?」
「あ⋯⋯」
僕は思わず声を漏らした。
「つまり、強欲で争いの絶えない世を生み出している根源は、国のさらに上に立つ精霊、君の直属の上司にあたるサフィローネ様にあると」
僕は腕を組み、俯いて考え込んだ。
確かにハプスさんの言うことはごもっともである。そもそもサフィーさんが、ちゃんと洗礼を受けるべきものを見極めていれば、ゴルシ派などという強欲な集団は生じるはずがないのである。
彼女は本当のところ、そんな世の中を望んでいるのか。
いや、そんなはずはない。
彼女は僕の『ただ、生きてさえいればいい』という考え方に対し、理想的と言っていたはずだ。
「そう考えると、お前が俺たちにエラく協力的なのは矛盾している。だったら、お前はゴルシ派、いや国の、さらに言うと精霊が送り込んだスパイだと結論づけるのは、至極自然な流れというもの」
「⋯⋯わかります。言いたいことは、すごくわかります」
僕はリチャードさんの台詞に、ひたすらそう答えるしかなかった。
「とにかく、私たちはいくら天下の精霊の意思とはいえ、欲に塗れた争いの絶えない世界になる様を指を咥えて見ている程、お人好しじゃないってわけ。さて、私たちは質問に答えたわよ。精霊の使いの弁明を聞こうかしら?」
僕は変わらず俯きながら、何を言うべきか考えた。
「⋯⋯じゃあ、俺がサフィーさんから言われたことを、ありのまま喋ります。これが俺の裏切るはずがない証拠になるかは、全くわかりませんけどね。ただ、今から喋ることはオフレコでお願いしたいんですけど」
僕は二人の顔を見た。
「内容次第だけど、善処するわ」
「微妙な答えですね⋯⋯まあ、いいか」
僕は一息深呼吸を入れ、語り出すことにした。
「サフィーさんは俺をこの世界に連れてきては、こう言いました。一年後か二年後に、この世界は滅んで無くなってしまうと。それを救うことが出来るのは、俺しかいないと」
明白な口調で語った僕は、ハプスさんとリチャードさんの反応を見た。
二人はとりわけ驚く様子を見せず、平然としていた。
「ただ、どんな危機が迫っているかは、教えてくれませんでした。それを知るには、まだ時期尚早だと。とにかく、俺がやれと言われていることは、アルサヒネで一番強いことを示せ、ということだけです」
僕が言い終えると、二人は目を見合わせた。
「どう思う?」
「いや、全く話が見えてこないな」
二人がブツブツと言い合っていると、ハプスさんは僕の方を向き、開口してくる。
「じゃあ、何でサフィローネ様は欲深い人間でも洗礼を受けさせているのか、ソーイチは何も知らないわけ?」
「ですね。そんなの初めて知りましたし。出来ることならサフィーさんをここに呼びつけて、説明させてやりたいくらいです。といっても、あの人をこっちから呼ぶのは、俺でも出来ません。突然現れてはフッと消えてしまうし、そういえば俺も洗礼を受けた時以来、彼女と会ってないですしね」
僕が淡々と説明すると、二人は考え込むような仕草を見せた。
「これは俺の想像ですけど、ゴルシ派っていうのは、俺の力を引き出す為に用意したんじゃないかと。俺が嫌いな欲深い者達を敵として仕立て上げることで、俺の闘争心を煽ってるんじゃないかと」
僕のその台詞に、再び二人は目を合わせた。
「⋯⋯ここ数年の異様な国の情勢は、全てソーイチがやって来るのを見越した上で、敢えて作り上げていたってこと? それがソーイチの力を引き出す為、ひいては世界の危機を救う為の布石だとしたら⋯⋯」
「たしかに⋯⋯それなら筋が通った話ではあるな」
二人が考え込む時間は長く取られ、僕はただ徒然なるままに立ち尽くすしかなかったが、重い空気に決まりの悪くなった僕は、その沈黙を引き裂くことにした。
「⋯⋯あの、何よりもですね、精神論は通じない場面だとは思うんですが、今まで良くしてくれたお二人に、疑いの目をかけられるのは、かなり心情的に堪えるんですけど⋯⋯」
僕が細々と訴えると、二人はこちらを振り向いた。
「俺を疑うこともまた、リスクだと思うんですよね。せっかくここまで育て上げた俺に対して、裏切らせるきっかけを、わざわざ作ってるようなものだと⋯⋯」
「言われてみれば、たしかにそうね」
ハプスさんは、あっさりとした表情で返答をくれた。
「ゴメンね、ソーイチ。君をハナから疑ってたわけじゃない。君の目を見ていれば、悪意に満ちた行為をしないことくらい、判然としてる。ただ、さっきも言ったけど、私は三〇人のクエスターの命を預かる立場。万に一つでも起こる組織崩壊のリスクは、一つでも消し去っておきたかった。それだけは信じて」
僕はハプスさんの澄み切った瞳を、食い入るように見た。
「⋯⋯分かりました。じゃあ、俺からも信じて欲しいことがあります。サフィーさんは決して今のこの国の情勢を望んでいない。俺の『ただ、生きてさえいればいい』っていう考え方にも同調してくれたし、その時の彼女の目は嘘偽りのないものでした。だから、サフィーさんを疑うことをやめて、彼女も俺と同様に信じて欲しいです」
すると、ハプスさんは僕に歩み寄り、ニコリと笑った。
「うん、わかったわ。正直に話してくれてありがとう」
その珍しい笑顔に、僕は少し魅せられ、気恥ずかしくなり、下を向いた。
「それにしても、精霊と対面で話せる人間が目の前にいるなんてな。なかなか信じ難い話だが、実際、サフィローネ様ってのはどんなお人なんだ? 俺も洗礼や大礼拝の時くらいしか、その声を聞いたことはないが、やっぱ普段からあんな堅苦しくて近寄り難い感じなのか?」
リチャードさんも同じく僕に歩み寄り、先程とは一変して朗らかな口調で語りかけてきた。
「えと⋯⋯すごくフランクな人です。むしろ堅苦しい雰囲気は嫌いな人で。何て言ったらいいか⋯⋯ハプスさんとグラシューを足して二で割ったような性格って感じですかね?」
僕がそう言うと、リチャードさんは吹き出していた。
「ははっ! どういう性格だよそれ! まるで正反対の二人じゃないか」
「いやあ⋯⋯何かいい例えようが無くて。ハプスさんくらい頭脳明晰で冷静沈着ではあるんですけど、ノリはグラシューくらい軽くてキャピキャピしてるというか⋯⋯」
「だれがキャピキャピだって?」
突如聞こえたその声を方を向くと、グラシューがそこにいた。