第54話 芽生えつつある感情
「あ⋯⋯グラシュー、おはよう」
「え、なになに? 何話してたの?」
グラシューは目を丸くし、キョロキョロと僕らを見回しながら言った。
「お前は精霊と同類だってよ」
「は?」
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第54話
アルサヒネ歴 八六六年二月九日
月村蒼一は異世界で頂点に挑む
グラシューが疑問の声を溢れ落とすと、僕はすぐさまリチャードさんの方を振り向いた。
「もう、リチャードさん! また誤解を招くようなことを言わないでくださいよ! しかもそれは、オフレコ中のオフレコです!」
「ははっ! 悪かった悪かった!」
「じゃあグラシュー、練習いくよ!」
僕は、グラシューの手を掴んだ。
「え!? ええっ?」
グラシューはその場の雰囲気について行けない感じで、慌てた声を漏らすしか出来ないでいた。
「お二人とも、もう話はいいですよね!?」
「ええ、いいわよ。いってらっしゃい」
「よし、じゃあ行くよ!」
「お、おう! 何か今日は元気いいな、ソーイチ」
僕はいつもとは逆に、グラシューを引っ張るように駆け出した。
信頼していた大人に少しでも疑いをかけられ、少し気が滅入っていた僕は、この場を早く離れたかった。
◇
「え!? そんなこと言われたの?」
アジト周辺のだだっ広い芝生の上に座り、トレーニング中の休憩に入っていた僕とグラシューは、先ほどハプスさんとリチャードさんに問い質された一連のやり取りを共有していた。
「ひっでぇな〜、ゴルシ派のスパイだなんて疑われて。アタシだったらグレてるよ」
「⋯⋯まあ、気持ちはわかるんだけどね。たしかに俺って、ハプス派にとっちゃ爆弾みたいなものだし」
僕がしんみりとした口調で言うと、グラシューは深妙な瞳で僕を見つめてきた。
「ど、どうしたの?」
その視線に、僕は狼狽した。
「アタシは、何があってもソーイチを信じてるから。ソーイチはウチらを裏切るようなヤツじゃない。これまでずっとコンビを組んできたアタシが、だれよりもソーイチのことをわかってるアタシが言うんだ。間違いない」
「あ、ありがとう」
僕は言葉に詰まりながらお礼を言ったが、グラシューは目を離そうとしない。
「⋯⋯グラシュー? どうしたの?」
上目遣いで見つめてくる彼女の視線が、僕の両目に痛いくらいに突き刺さってきていた。
「それにしても⋯⋯アタシの手を急に握るなんて、ソーイチも変わったな」
「へ⋯⋯?」
「しょうがないなぁ⋯⋯まあ、辛い時に支えになってやるのも、師匠の役目だ」
次の瞬間、グラシューは僕に抱きついてきた。
「え!? ち、ちょっと⋯⋯!」
「いいぞ、今日は特別だ。アタシが甘えさせてやる」
二の腕の辺りに、グラシューの柔らかな胸の感触を得た。お転婆で破天荒な振る舞いの絶えない彼女だが、その身体は女性そのものであった。僕の体温は急激に上昇した。
正直、異性としてみるには程遠い存在だったグラシューが、急にその距離を詰めてきたのは目に見えて分かる。そういえば最近、僕の体をやたらと触ってくる彼女の行動が目立っていた。グラシューは僕との仕事仲間、師弟関係という間柄を打破しようとしているのか。
グラシューは僕とは違う人種だが、見た目は可愛いらしいと思う。魔人族特有かわからないが、吸血鬼のように少し突き出た八重歯も愛嬌がある。ただ、彼女の女子らしからぬ元気の良さ、男勝りの勝気な性格が、異性としての視線を遠ざけていた。
グラシューは目を瞑り、仄かに笑顔を浮かべながら、僕の肩に顔を寄せて抱きついていた。彼女の今まで見せたことのない女らしさに、僕の本能は大いに刺激された。
そんな彼女の行動に意識を奪われつつあったが、グラシューと男女の関係になるのは何か違うと、なるにしてもまだ早いのではと、僕の中に潜む防衛本能らしきものが急に働き出した。
「や、やめろって!」
「うわっ!」
僕は抱きついていたグラシューを、咄嗟に両手で突き飛ばし、立ち上がった。
彼女は尻餅をついていた。
「ご、ごめん!」
すぐさま倒れたグラシューに、僕は歩み寄った。
「あ⋯⋯いや⋯⋯こっちこそゴメン。ソーイチを元気付けようと思ったんだけど、さすがにベタベタしすぎだよね」
グラシューは申し訳なさそうに笑っていたが、何となく残念そうな気概が窺えた。
「そっか⋯⋯こういうの⋯⋯あまり免疫がなくて。ホントにごめん、せっかく元気付けてくれたのに」
「いいのいいの! アタシが調子に乗っただけっ! それにしてもこんな華麗な淑女に対して、なかなか手荒い真似をしてくれるではないか!」
グラシューは僕に指を差して言った。
僕はそれに対し何を言うべきか、脳内を活性化させた。
「え? 淑女⋯⋯?」
僕はキョロキョロと周りを見渡す仕草を見せた。
「どこにそんな人いる?」
「なにぃ!?」
グラシューは、叫びながら立ち上がった。
「この出来損ないの弟子めっ! その余計な減らず口、二度と叩けないようにしてやるっ!」
彼女は短剣を引き抜き、臨戦態勢を整えた。
「ようし! 出来るものならやってみろ!」
僕もそれに同調するように、構えを取ると、その後は再びグラシューと激しく剣を交えた。
少し僕はホッとしていた。僕は彼女との師弟関係を崩したくはなかった。この微妙な距離感がある関係が、心地よかった。僕がグラシューを突き倒したことで、彼女にも何となくその意図が伝わったのだろう。
僕とグラシューの剣の交わる金属音が、爽快に周囲一帯へと響き渡っていた。