第71話 煌々たる日々の予感

 気が付くと、僕はベッドの上にいた。

 とりわけ何も装飾のない、殺風景な石造りの天井が、視界に入ってきた。

「うぅ⋯⋯ここは?」

 ゆっくりと身体を起こすも、頭に鈍い痛みが走っていた。

 

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『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第71話

アルサヒネ歴 八六六年三月一五日、一六日
月村蒼一は異世界で頂点に挑む

「ソーイチっ!」

「わっ!」

 耳をつんざくような高い声で、僕の名を呼ぶ声が聞こえたかと思うと、僕はその声の主に抱きしめられた。

「グラシュー⋯⋯?」

 僕は抱きしめてきた女の子の名前を、細々しく口にした。

「もう! 心配したんだからっ!」

 彼女は潤んだ瞳で、僕を見ていた。

「えっと⋯⋯俺は⋯⋯?」

 僕は周囲を見渡すと、その場にハプスさんとリチャードさんもいることが、確認できた。

「お目覚めのようだな」

 リチャードさんは、笑顔で僕に話しかけてきた。

「リチャードさん⋯⋯? あれ、俺はどうしてここに? たしかゴルシさんと闘ってて⋯⋯」

「ゴルシの一撃を頭に受けて、かれこれ四〇分は気を失ってたわよ」

 ハプスさんが僕の記憶の整理の間を割ってくるように、声を挟んできた。

「よ、四〇分⋯⋯そうか、さすがに耐えられなかったか」

 僕は肩を落として言った。

「勝負は完全に君が勝つ流れだった。きっとここにいる誰もが、ソーイチが勝つものと思ってた。会場はゴルシの逆転を願ってたみたいで、結果的にはそうなったけど」

「そうですね⋯⋯すいません」

 僕は力無く答えた。

「それにしても、お前が倒れた最後の一撃、あれだけ妙に綺麗に決まったよな? 全く掠りもしなかった攻撃が、見事に頭に入るとは」

「ああ⋯⋯それはですね」

 リチャードさんの疑問に対し、僕は少し間を置いた。

「俺、わざと負けるつもりだったんです。あれ以上やると、ゴルシさん、死ぬかもしれないって思ったから。それに、もう俺の方が強いってことが明らかに分かったし、観客も俺の勝ちを望んでないなら、無理に勝ちに行く必要はないかなって」

 三人は、黙って僕の話を聞いていた。

「だから、自分の防御力を確かめる意味でも、ゴルシさんの攻撃を、わざとノーガードで受けたんです。マナを絞り出して歯を食いしばったんですけど、四〇分も気を失うとは⋯⋯。やっぱりゴルシさんの破壊力は、恐ろしいですね」

「バカっ!」

「!?」

 僕のすぐ側にいたグラシューが叫んだ。

 僕は思わず反応し、彼女の方を見た。

「何でそんな危険なことばっかりするのさっ! ラクティの時といい、さっきといい⋯⋯。アイツの攻撃をわざと受けるなんて、自殺行為だよっ!」

「ご、ゴメン⋯⋯」

 激しい形相で怒るグラシューに、僕は弱々しく謝るしかなかった。

「ソーイチは先々のことを計算して、思い切ったことを試すわよね。ラクティの時だって、ただ怒りに任せて、ゴルシにケンカを売ったわけじゃない気がする。今日のことを思って、アイツの力を測ったんじゃないかしら?」

「あ⋯⋯バレました? どれくらい鍛えておけば、ゴルシさんを倒せるか、確かめておきたくて」

 僕は、頭を掻きながら言った。

「ただ、あまり人を心配させるもんじゃないわよ。特に君の師匠は、最近、君のことを只の弟子だけとは、思ってないみたいだしね」

 ハプスさんは微笑を浮かべ、僕とすぐ側にいるグラシューの顔を見ていた。

「な、なな、何言ってんすかーっ! ちょっとーっ! 変なこと言わないでくださいよっ!」

 慌てて喋るグラシューの顔は、赤らんでいた。

「ふふっ。ハプス派は、プライベートなことは本人に任せる方向だから」

「だーかーらーっ! そんなんじゃないって! オイっ、バカ弟子! いつまでくっついてんだ、このっ!」

「いてっ!」

 なぜか僕はグラシューに身体を押され、彼女との距離を無理矢理引き離された。

「いてて⋯⋯ところでハプスさん、俺の次の試合って、ハプスさんの出番じゃなかったでしたっけ? こんなところにいて大丈夫なんですか?」

「ああ、君が寝ている間に終わらせたから。明日の決勝、ソーイチがゴルシを痛めつけてくれたおかげで、私にも勝機があるかもしれないわね」

「そ、そういうことですか⋯⋯さすが」

 僕の声は震えていた。

「さて、私は明日に向けて、早目に宿に戻ろうかしら。ソーイチは大事を取って、もうしばらくここで休んでなさい」

「そうですね⋯⋯まだちょっと頭痛いし」

「私とリチャードはご飯食べに行くけど、グラシュー、アンタはどうする? ソーイチと一緒にいる?」

 ハプスさんに誘われたグラシューは、目を見開いていた。

「い、いないからっ! アタシも行きますって!」

「そう? 無理しなくてもいいのよ?」

 ハプスさんは、面白げな表情をしていた。

「無理してないしっ! もう〜っ!」

 慌てて二人について行くグラシューがいた。

 医務室と思われるこの部屋に残された僕は、大人しく目を瞑った。

「オイ」

「!?」

 眠りにつこうかと思ったその時、野太い声が聞こえてきた。それに反応した僕は、声がした方を向いた。

「あ、ゴルシ⋯⋯さん?」

 そこには、痛々しく包帯だらけになっていたゴルシさんがいた。

「だ、大丈夫ですか?」

「ああ? それはこっちの台詞だろうが。何で勝ったオレがそんなこと言われなきゃならんのだ?」

「ま、まあ⋯⋯そうですね」

 たしかにその通りであるが、恐らくは僕よりもずっと重傷であると思われる彼の様子を見ると、そう声をかけざるを得ない。

「まさか、オレの一撃をまともに受けて生きてるとはな。しかも思ったより、ピンピンしてやがる。まったく、気に食わねえ野郎だぜ」

「き、恐縮です⋯⋯」

 ゴルシさんは、睨み付けるように僕を見ていた。

「わざとか?」

「へ⋯⋯?」

「お前を倒したオレの一撃、あの時だけ、お前の動きが止まったように見えた」

 ゴルシさんは強張った表情で言うと、間を置いた。

 彼の鋭い視線が、痛々しい。

「正直に言え。オレの気が済まん」

 僕は、ゴルシさんから目を逸らした。

「すみません⋯⋯あなたを殺してしまうかと思ったから、そうせざるを得なくて」

「⋯⋯ちっ、甘ったれが」

 僕は恐る恐る、再びゴルシさんの方を見た。彼は相変わらず、顰めた顔で僕を見ていた。

「あの⋯⋯ゴルシさん。どうしてあなたは、そこまでして⋯⋯」

「あぁん?」

 僕が恐る恐る聞くと、彼は不機嫌そうな声を発した。

「いや、その⋯⋯。何でそこまでして、闘う必要があるのかなと⋯⋯。さっきの闘いで、明らかにあなたの体は、限界を超えていました。あなたを奮い立たせる原動力は、いったい何なのかと、気になって⋯⋯」

 歯切れの悪い口調で僕は言葉を連ねると、ゴルシさんは僕を凝視した。

「負けたくねえからだよ」

 しばらくして、脅すような彼の声が響き渡った。

「弱えヤツは食われる。それがこの世界の原理だと、オレは思ってる」

 相変わらずドスの利いた口調で、ゴルシさんは言い放っていた。

「いや、決してそんなことは⋯⋯」

 僕は、怯えながらも反論した。

「おめえにはわからねえだろうな。奪われたヤツの気持ちなど」

「奪われた⋯⋯?」

 僕は目を瞠って問い掛けると、ゴルシさんはしばらく下を向いて、沈黙した。

「⋯⋯オレの出身は、フェームだ」

「はいっ!?」

 彼の告白に、僕はさらに目を見開き、驚愕した。

「平凡なクエスターだった俺は、故郷の護衛にあたっていた。そんな時、ラクティが襲ってきてよ。ヤツらの強さに、当時のオレは手も足も出ず、街はあっという間に陥落した」

 ゴルシさんは俯いたまま、淡々と語り続ける。

「だが、リーダーのグランは、オレの素質を見抜いたのか、一時的にオレをラクティに引き抜いた。そしてオレはヤツに、野心の心得をひたすら説かれた」

「そんな⋯⋯。ゴルシさん、あなたはもしかして⋯⋯」

 僕は淡い声を発し、間を置いた。

「元々、ラクティが憎かった⋯⋯? それに、グランさんにも恨みが⋯⋯?」

 僕の朧気な問いかけに、ゴルシさんは顔を上げた。

「そんなことはどうでもいい。とにかく、ラクティが現れて以来、オレは分かったのさ。弱い奴は喰われる、負けた奴は惨めになる、そして野心さえあれば、人は強くなり続けるということを。そしてそれが、人間の本質であり、世界のあるべき姿だと」

「ゴルシさん⋯⋯」

 ゴルシさんの心の奥底に潜む悲愴感を受け取った僕は、力無く彼の名前を呟いていた。

「ふん⋯⋯何でこんなくだらんことをベラベラと⋯⋯。まったく、お前といると調子が狂うわ。本当に気に食わねえ」

 乱暴な口調で言い放つゴルシさんだが、妙な温かみも感じた。

「今度は試合なんか生温い環境ではなく、何でもアリの殺し合いでやるぞ」

「え⋯⋯?」

「次やる時は、必ずテメエをぶちのめしてやる。その時まで、誰にも殺されるんじゃねえぞ」

 ゴルシさんは、ひたすらガンを飛ばすが如く目で、僕を凝視した。

「わかりました。受けて立ちましょう。そして、今度こそあなたを⋯⋯」

 僕はそう言いかけて、少し言葉を飲んだ。

「荒んだ思いから、救ってやります」

 僕は明白な口調で言い切るも、ゴルシさんの厳しい表情は変わらなかった。

 しばらく彼は僕を見つめたままでいると、後ろに振り返った。

「ふん⋯⋯。腐るほどの甘ったれだな」

 ゴルシさんは静かに吐き捨てると、入り口に向かって歩いて行き、そのまま部屋から出て行った。

「これで⋯⋯良かったんだよな?」

 僕は強く息を吹き込み、再びベッドの上に横たわった。

 翌日、代表闘技会の三位決定戦と決勝戦が行われた。

 三位決定戦で、僕はミルカという女性クエスターと闘ったが、一〇秒ほどで試合を決めることが出来た。

 決勝戦はハプスさんと、手負いのゴルシさんとの対戦となった。

 傷を負っているとはいえ、ゴルシさんの堅い身体は健在で、ハプスさんの魔法攻撃を全く寄せ付けなかった。結局、ハプスさんはゴルシさんの装甲を崩せず、体力の落ちてきたところに一撃を喰らい、ゴルシさんは代表闘技会三連覇を成し遂げた。

 そして、フィレスとの友好闘技会の代表は、ゴルシさん、ハプスさん、僕の三人に決まった。

 今はその表彰式で、僕らはキャリダット王・ノビルタに激励の言葉を受けている最中であった。

「皆、素晴らしい闘いぶりであった。そなたらの力があれば、必ずやフィレスを打ち負かし、憎きその存在を我が国の手中に収めることであろう。期待しているぞ」

 王は高揚した口調で語り、僕ら一人一人に握手をした。友好闘技会の名はどこへ行ったのやら、と突っ込みを入れたくなる彼の言葉だった。

 僕は彼の手を握り締めた瞬間、思いの丈を噛み殺すのに、苦心した。

 表彰式が終わり、観客も席を後にし始め、コロシアムは熱戦の余韻に包まれていた。僕とハプスさんはコロシアムの中央から、控え室へと足を運んでいた。

「すいません、ハプスさん」

 控え室へと歩みを進める途中、僕はハプスさんに声をかけた。

「ん? 何が?」

 ハプスさんは、不思議そうな顔をして僕の方を見ていた。

「結果的に、ゴルシさんに負けてしまって。ハプス派の影響力を考えると、やっぱり良くなかったですよね?」

「まあ、いいんじゃない? 死人が一人出るよりマシだと思う。殺生はしないという私たちの理念、それは死守しないとね」

 ハプスさんは特に気にする様子もなく、サバサバとした表情であった。

「それに、ソーイチがあれだけのゴルシを追い詰めたのは、確実に情勢を動かすと思う。今日の結果は私たちにとって、大きな一歩になったはずよ」

「だと⋯⋯いいですけどね」

 僕はもっと上手い方法があったのではと、何かが胸につかえる心地がしていた。

「何よ、浮かない顔して。自信を持ちなさい、エース。少なくとも私は、今日の結果に満足してる。ここまで君を育ててきた甲斐があるって、本気で感じてるから」

 ハプスさんらしい控えめな笑顔が視界に入ってきた。それを見た僕は、少し蟠りが晴れた気がした。

「さて、帰ったら打ち上げをしましょう。私も久し振りに、ハメを外そうかしら」

「⋯⋯はい!」

 彼女のその一言には、今まで抱えていた重圧の甚大さを感じられた。

 その言葉を聞き、僕はようやくこれまでの苦労が報われた心地がした。前途洋々な未来が待ち構えていることは、間違いなかった。

 

 間違いなかった⋯⋯はず。

 

 そのはずなのに⋯⋯。

 

 僕の煌々たる日々を妨げる者は、その日から程無くして現れるのであった。

 

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