第76話 置かれている立場
友好闘技会まで、あと二週間余り。
僕はひたすら、一ノ瀬さん対策に奔走していた。
サフィーさんの助言通り、僕は防御のスキルを高めることに注力した。
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第76話
アルサヒネ歴 八六六年四月二六日
月村蒼一は異世界で再会を果たす
僕はこれまでの仕事の伝手を頼りに、世界中の破壊力自慢のクエスターの下を訪れていた。彼らには、仕事の合間を見つけてもらい、協力を仰いだ。
彼らにやってもらっていたことは、実に単純で、僕をひたすら痛め付けることであった。
目的意識も出来たお陰か、マナも随分と高まった気がするし、破壊力自慢のクエスター達の攻撃も、日に日に耐えるに苦にしなくなってきた。
ただ、一ノ瀬さんの攻撃に耐えられるかどうかは、全く読めない。
二週間前に闘った時の彼女だが、本気を出していなかったことは明らかである。狂ったように声を荒げていた彼女だが、息は全く切らしていなかった。どれだけ防御力を高めれば良いかなど、想像がつかない。
そもそも、協力を仰いでいるクエスターは、人間からしてみれば名だたる存在であるものの、それでも『人間』の域を出ない。
僕と一ノ瀬さんは、精霊の使いであって、人間を超えたところにある存在。最早、人間に協力を仰いだところで、徒労に終わる可能性は十分にある。
そういえば、一ノ瀬さんはアルディンさんに直接指導を受けるという、反則的な行動をしているという話であった。もしかしたら、人間を超えた存在を練習相手にしていることも考え得る。
そうだとしたら、僕の今やっている対策など、全く見当違いの可能性もある。そもそも、反則を犯している彼女の攻撃を耐えようなど、無謀な話なのかもしれない。
いや、そうだとしたら、サフィーさんは人間を超越した存在を派遣してくれるなど、それなりの対策を寄越してくれるはずだ。きっと『人間』レベルの訓練で何とかなると、見込んでくれている。
やるしかない。
結局のところ、出来るところまでやるしかない。
どんな結果になろうと、やりきるしかない、
⋯⋯のだが、不安は尽きない。
--誰か⋯⋯相談に乗ってくれれば。
僕はここ二週間、ひたすら孤独だった。
破壊力自慢のクエスター達も、心良く協力してくれたものの、精霊の使いとしての悩みを打ち明けるには、荷が重すぎる。
彼らはあくまで『人間』なのだから。
相談できる相手、強いて言えばサフィーさんになるのだが、あの人は来て欲しいと言えば来てくれる存在ではない。
基本、放置プレイのスパルタ方針。
--ホント⋯⋯優しいんだか厳しいんだか、分からない人だよな⋯⋯。
そんなことを愚痴りながら歩いていると、僕はなぜか、ハプス派のアジトに来ていた。
--何でこんなところに⋯⋯。早く戻ってトレーニングしなきゃ⋯⋯。休んでる暇なんか⋯⋯。
そんなことを心で呟きつつも、僕はアジトの中へと歩み始めていた。
◇
アジトの中は、賑わいを見せていた。
僕が代表闘技会でゴルシさんを追い詰めたことが、ハプス派に好影響をもたらしていると、風の噂で聞いたことがある。
せっかくの上昇ムードの彼らに、僕のような沈没しかけの船みたいな奴が来ては、甚だ迷惑だろう。
--俺がここにいちゃ、マズいよな⋯⋯。
そうは思っても、ここの居心地の良さに身体が勝手に反応し、立ち止まらせてしまう。
「あ! ソーイチ!」
心地の良い響きの声がした。
この音源の方を向くと、グラシューがいた。
--元気そうだな、グラシュー。でも、あの子に迷惑をかけるわけにはいかない。
僕はグラシューから目を逸らし、空いている椅子に腰掛けた。
みんなが、僕の方を見ている気がする。
何か話しかけようと思っても、気まずくて話しかけられない、そんな雰囲気があった。
--だから、ここにいちゃダメなんだって⋯⋯。何で俺はここに⋯⋯。
僕が上の空で俯いていた、その時だった。
「おいっ、バカ弟子! 久しぶりに会って挨拶もないなんて、いい度胸してんじゃねーかっ!」
聞き慣れた甲高い声が、耳に入ってきた。
この声を聞いていると、何となく気が楽になる。
ゆっくりと声の主の方を向くと、ムスッとした表情を見せるグラシューの顔があった。自然と心が洗われるようで、彼女と一緒に仕事をしていた日々の記憶が、蘇ってきた。
そういえば、今までは辛いことがあってもグラシューが側にいた。どんな些細なことでも話せる、師匠でもあり、同い年の友達⋯⋯それが彼女だった。
--俺⋯⋯グラシューに会いたかったのかな⋯⋯?
本能的に、僕は彼女を求めていたのだろうか。
だから、わかっていても、ここから離れられないのだろうか。
とはいえ、彼女に頼る訳にはいかない。
今の僕の抱えている悩みは、精霊の使いとしての、人間を超えたところにあるもの。
一ノ瀬 紅彩などという危険極まりない人物の話をすれば、彼女の性格からすると、必ず首を突っ込んでくる。
この一件に、グラシューを巻き込むわけにはいかない。
「ああ⋯⋯、ゴメン」
僕は力無く言うと、また下を向いた。
「ちょっと、どうしたの!? 元気なさすぎじゃない?」
声を荒げるグラシューが、僕の近くに身を寄せてきていたが、僕は変わらず顔を上げずにいた。
「え⋯⋯、ソーイチ、何か傷だらけじゃね⋯⋯? 大丈夫なの?」
「!?」
グラシューがそろりと喋る声が聞こえ、僕はハッとした。
--しまった、身体の傷⋯⋯! こんなの見せたら⋯⋯!
僕は咄嗟にグラシューの方を向き、彼女を睨め付けるように見た。
「いいから! 放っといてくれよっ!」
僕は意図せず、グラシューを右手で突き飛ばしていた。
「ソーイチ⋯⋯?」
グラシューの切ない声が耳に入ってきた。それを聞いた僕は顔を上げ、彼女の表情を確認した。
実に寂しげな彼女の顔。
今まで見たことのない裏の彼女が、そこにいた。
--やばっ⋯⋯! 何してんだ俺は⋯⋯。
違う。
違うんだ⋯⋯。
僕は、グラシューのそんな顔が見たいんじゃない。
雲一つない空から照らす太陽が如く、眩しい笑顔。
僕が求めているのは、その一点。
しかし、訳もわからず暴力を振るう理不尽な男に対し、そんな稀有な一品を見せるほど、グラシューの心は安くなかった。
「あ⋯⋯ゴメン! つい⋯⋯イライラしてて」
「⋯⋯⋯⋯」
無心で発した言葉に、グラシューは何も返してくれなかった。
当たり前だ。
自分でも笑えるくらい、意味の無い台詞。
僕は完全に自分を見失っていた。
「⋯⋯ちょっと、一人にしてもらえないかな⋯⋯。大丈夫だから、俺は」
脳内に浮かんだ言葉をそのまま口にし、僕は俯き、頭を抱えた。
何でこんなことになったのだろう。
全てはあの日、一ノ瀬さんに再会してからだ。
彼女が順風満帆だった僕の異世界生活を、あっという間に崩壊させた。
辛い。
前の世界でも、これほど悩んだことがあるだろうか。
--違うな⋯⋯。これは『ツケ』なんだ。
僕はあることに気付いた。
僕は精霊の使いというチート的な立場を利用して、この世界でチヤホヤされるなど、良い思いを味わい続けてきた。
苦労もせず甘い汁を吸ってきたからこそ、同じくチート的な存在でこの世界に降り立った人物が目の前に現れ、天罰を下してきた。
一ノ瀬 紅彩という、僕を現実に引き戻さんとする存在が。
試練なのだ。
間違いなく、これは試練なのだ。
だから、誰も助けてはくれない。
ここにいても、助けは来ない。
僕は精霊の使いなのだ。
人間を超越した存在は、人間に頼ることなど、言語道断。
僕は今まさに、試されている。
そう強く胸に秘め、僕は立ち上がった。