第77話 背中の感触と共に

 僕はハプス派のアジトを出た。

 もう誰も助けてはくれないという絶望感を会得しつつも、乗り越えなければならない試練だと思うと、自然と足は前へ前へと踏み出していた。

 振り返ってはならない。

 ここに、僕に帰る場所は無い。

 精霊の使いとして、人間を超越する存在としての自覚を持って、新たな一歩を踏み出さねばならない。

 決意を胸に秘め、また一歩前に足を踏み出したその時であった。

 

『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第77話

アルサヒネ歴 八六六年四月二六日
月村蒼一は異世界で再会を果たす

「ソーイチ!」

 背後から、僕を呼び止める声がした。

 甲高く、聞き心地の良い声。

 振り返らずとも、誰だか分かる。

 僕は一瞬、足を止めたが、すぐに前へと足を運んだ。

 彼女を巻き込むわけにはいかないし、甘えるわけにもいかない。

「あ⋯⋯ちょっと⋯⋯待ってってば!」

 グラシューは変わらず僕を呼び止めているが、僕はひたすら無視を決め込み、歩く速度を上げた。

「もうっ⋯⋯! めんどくさいなあっ!」

「!?」

 次の瞬間、僕は背中に柔らかな感触を覚えた。

 腹回りには、透き通るような白い肌に加え、魔人族特有の幾ばくかの黒い筋を有した腕が絡まり、僕の歩みを止めた。

 こうして彼女に抱き締められるのは、何度目だろうか。

 ただ、今回の感触は一味違う。

 こうやって彼女が抱き締めてくる時、決まって彼女の身は、硬い防具で固められていた。

 今日、彼女はプライベートの日だったのだろうか。薄着のまま、僕の背中に身を寄せてきていたと思われる。

 その分、背中から得る胸の感触が、強く伝わってくる。

「!?」

 グラシューは、腕をさらに強く締め付けてきた。

 僕の冷め切った脳内は、さらに刺激される。

「⋯⋯放っといてくれって、言わなかったっけ?」

 それでも僕は目を瞑り、平静を保ったまま、淡々と喋った。

「放っとけないし⋯⋯! アンタみたいなバカ」

 グラシューが叫んだ後、しばらく僕らは沈黙した。

「⋯⋯それは失礼しました、師匠」

 僕はそろりと言ったが、彼女から返事はなかった。

 その後、僕は何も言われず、ひたすら背後から抱きしめられていた。

 背中に当たる柔らかな感触が、いちいち突き刺さって気になっていた。

「あの、師匠。胸が当たってますけど⋯⋯」

 僕は思わず声に出してしまった。

「⋯⋯ヘンタイ」

 僕は人差し指で、軽く頭を掻いた。

「いや、だって⋯⋯そっちが抱きついてきたんじゃないか」

「⋯⋯うるさい」

 グラシューは小声で言うと、また黙り込んだ。

 どうにも埒が開かないこの状況を、僕は何とか打破しようと、口を開く。

「俺、もう行かなきゃ。そろそろ放してくれないかな?」

「⋯⋯やだ」

 だだっこの如く要求を拒む彼女に対し、僕は溜息に似た鼻息を、強く吹き出すしかなかった。

「じゃあ、どうすれば放してくれる?」

「アタシにこれ以上心配かけないって、約束してくれたら」

「心配って言われても⋯⋯」

「ねえ、アンタが殺されかけたクレアって女の子、そんなに強いの?」

「!?」

 僕は息を飲んだ。

「⋯⋯ハプスさんから聞いたの?」

「誰だっていいじゃん」

 グラシューが相変わらず小さな声で言うと、僕らはまたしばらく黙り込んだ。

「⋯⋯その人も俺と同じ、精霊の使いなんだ。強さで言えば、この世の人間では到底追いつけないレベル」

「ふーん⋯⋯」

 しきりに、妙な間が僕らを襲う。

「だから⋯⋯俺じゃなきゃどうにもならないんだよ。これはもう、精霊の使いとしての問題なんだ。ハプスさんや君に、余計な心配をかけたくないんだ」

「だから、心配かけてんだって」

「あ⋯⋯」

 グラシューのもっともな突っ込みに、僕は閉口した。

「えっと⋯⋯」

「アタシは別に『精霊の使い』の仕事に首を突っ込む気なんざ、サラサラないし。でも『人』として悩んでるソーイチを、元気付けることくらいは出来る」

「⋯⋯うん」

「一人で抱えてないで、何でも言ってよ。ウチら、ずっと一緒に戦ってきた仲間じゃん」

「⋯⋯そうだよね」

 グラシューに諭させられると、僕の気持ちは何となくだが、晴れ始めた。

「ごめん⋯⋯、俺、何か変なこだわりを持ってたみたい。ハプス派の仲間達には関係の無い話だから、俺は精霊の使いだから、絶対に迷惑をかけちゃダメだって」

「関係ないよ。精霊の使いだろうが何だろうが、ソーイチはソーイチだから」

「⋯⋯ありがとう。でも、本当に心配しないで。俺、今の特訓をやりきれば、いちの⋯⋯いや、そのクレアって人に、必ず勝てる自信があるから」

「ふーん⋯⋯」

「いや、勝つんじゃなかったな。その人を、救ってあげなきゃいけないんだ」

「何それ? どういうこと?」

「その人はフィレスの精霊に、俺を邪神の使いだなんて吹き込まれて、俺を殺そうと洗脳されてるんだ」

「はあ⋯⋯」

 グラシューの呆れたような声が聞こえてくるが、僕の口調は激しくなる一方で、熱気がこもり始める。

「彼女は、元から抱く俺への思いと、植えつけられた俺を殺したいという思いの板挟みにあって、苦しんでる。だから、俺は彼女を救わなければならないんだ。彼女の気持ちに答えてあげる必要があるんだ」

「⋯⋯何かよくわかんねけど、クレアって人、ソーイチの恋人なの?」

「え!?」

 グラシューに問い掛けられ、僕は我に返った。

「前の世界の知り合いだって聞いてたけどさぁ⋯⋯。何かそれ聞くと、すごく大事な人って感じ」

 要らぬことを口走ってしまった。

 しかし、これはこの状況を打破するチャンスかもしれない。

「えっと⋯⋯もし、そうだとしたら?」

 僕は、意味を膨らませた一言を放った。

「⋯⋯別に。何も」

 グラシューは、少し間を置いて答えた。

「じゃあ、勘違いされるとアレだから、放してもらってもいい?」

 僕があっさりとした口調で言うと、しばらく静寂が訪れた。

 深々と吹きすさぶ風の音だけが、僕の鼓膜を刺激する。

「もしかしてアタシ⋯⋯、やんわりとフラれてる?」

 グラシューの静かに喋る言葉が聞こえると、僕は少し息を飲んで考えた。

「そうかもしれないね」

 僕は、明白な口調で答えた。

「⋯⋯サイテーだな、お前」

 グラシューの冷めきった声が耳に入ると、背中の柔らかい感覚が消え、締め付けられた腹回りが解放された。

 僕はすぐに後ろを向き、グラシューの表情を確認すると、口角を上げた。

「冗談だって。その人とは顔見知りなだけで、前の世界では喋ったこともないから」

「ふーーーーん⋯⋯」

「ははっ、怒らないでよ」

「怒ってねーし!」

 彼女は僕を睨み付けていた。

「そうそう、その顔だよ。俺が見たかったグラシューの顔」

「はあ!?」

「やっぱり、しんみりとした感じは、君には似合わないよ。そうやって元気よく怒ってる方が、君らしくていい。そんなグラシューの顔を、俺は求めてたんだ」

「ふざけんなっ⋯⋯! こんな時におちょくりやがって⋯⋯! どれだけアンタのこと心配したと思ってんだよっ!」

 グラシューは顔を膨らませつつも、目の色は赤く、潤み始めていた。

「グラシュー、ありがとう。お蔭で元気でてきたし、忘れてた大事なことも思い出した気がするよ」

「人の話、聞けって!」

「友好闘技会が終わったら、また一緒に仕事に行こう。それまで、もう少し待っててくれるかな?」

 僕はグラシューの両肩を軽く叩き、軽快に声を発した。

「もう⋯⋯何だよ、それ⋯⋯」

 力無く言う彼女の右目から、一筋の光るものが流れた。

 そして、僕はそれが地面に落ちるのを見届けた。

「じゃあ、またね!」

 僕はそう言い残して後ろを向くと、駆け出してその場を去った。

 

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