第84話 気になる独り言
闘技場の戦況を見ていたキャリダットの精霊・サフィローネは、不敵な笑みを浮かべた。
「さすがはハプスね。没後は『パリウム』に昇華せんとする存在」
隣に座るアルディンは、サフィローネの言葉に反応し、彼女の方へ目をやった。
「円熟味のある、彼女らしい闘いだったわ。これなら、ソーちゃんにも勝てる可能性が十分に出てきた」
希望に満ちたサフィローネの言葉に、アルディンは眉間に皺を寄せた。
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第84話
アルサヒネ歴 八六六年五月一三日
とある両国の友好イベントの一幕
「ああ⋯⋯!? 何言ってる!?」
「独り言よ。気にしないで」
サフィローネがあっさりと言い放つと、アルディンは勢い良く立ち上がった。
「貴様、何を考えてるかわからないが、あのガキがクレアに勝つ可能性など、万に一つないぞ」
サフィローネは聞こえないふりをしているのか、アルディンの言葉に全く反応を示さないでいた。
「一ヶ月前、奴はクレアに完膚無きまでに打ちのめされたのだ。力、技、スピード、そして何より大志を成し遂げんとする心! 全てにおいてクレアは奴を大きく凌駕している!」
サフィローネは指を耳の中に突っ込み、変わらず聞く耳を持たない態度を示した。その姿は、明らかにアルディンを小馬鹿にしているように映る。
「ふん、何も言えんのか。そうだろうな。所詮、その独り言とやらも、強がりというわけだ」
アルディンが語気を強めて言ったその後、若干の静寂がその場を支配した。
「ふふっ⋯⋯ふふふふふふっ」
突然、サフィローネが手を顎に当て、笑い出した。
「何がおかしい!?」
アルディンは声を荒げた。
「アンタのそういう余裕の無いところ、今のクレアちゃんにソックリ」
指摘を受けたアルディンは息を飲み、少し間を空けた。
「何だと!?」
アルディンは右手を振り、サフィローネに襲いかからんとする勢いを見せた。
「まあ『直接』指導した師匠ですからぁ〜、そういうところも似て然りよねぇ?」
「オレのどこに余裕がないと言うのだ!? 貴様、人を馬鹿にするのもいい加減にしろっ!」
「だぁ〜かぁ~ら〜、そういうとこっ!」
サフィローネはアルディンの方を向き、人差し指を彼に向けた。
「!?」
突然指を向けられたアルディンは、軽く狼狽した。
「クレアちゃんが負けるわけないってんなら、どっしり腰を構えて見てればいいじゃない。何で私にイチイチ突っかかってくんのよ?」
「くっ⋯⋯!」
アルディンは悔しそうに顔を顰め、元にいた椅子に腰掛けた。
「馬鹿なアンタのことだから、きっと私の『独り言』の真意がわからずに、ビビってるんだけなんでしょうけど」
「ふんっ⋯⋯! 何をふざけたことを。そんなわけあるか」
「どうだか」
「まあいい、答えはこの後すぐに出る。貴様の絶望に歪む顔、楽しみに待っててやる」
二人はその後、一切目を合わせず、闘技場の様子を注視していた。
◇
会場の雰囲気は一変していた。
フィレスの大将選手であるクレアは、ここ数年、圧倒的強さを誇っていたゴルシを、一瞬のうちに倒した。
しめやかだったフィレス側の観客は、ニューヒロインの誕生に、お祭り騒ぎの如く、盛大に湧き上がっていた。
一方、英雄的な存在であったゴルシを失ったキャリダットの観客達は、完全に意気消沈していた。
「クレアとかいう娘、ベテランのハプスも全く相手にしなかったな⋯⋯」
「ゴルシが負けたのも、マグレじゃなかったわけか⋯⋯」
彗星の如く現れたフィレスのニューカマーを褒め称える声が聞こえるも、自分たちの勝利を疑わなかった状況が一変したことに、気は沈む一方であった。
「ウチらの大将は誰だ?」
「ソーイチ⋯⋯。ああ、今売り出し中の若手クエスターか」
「クエスターランク三位⋯⋯代表戦ではゴルシと良い勝負をしてたが、結局負けたんだよな⋯⋯」
観客の多くは大将格にあたる選手に期待をかけるものの、ゴルシを一瞬で倒した相手のことを思うと、重くなった空気を一変させるような状況には到底至らなかった。
闘技場の中央にはクレアが立ち、キャリダット側の選手が出てくるのを待っていた。
暫くすると、キャリダット側の舞台袖から、一人の少年が姿を現した。
「遅ぇぞ、この野郎! 何やってやがったんだ!?」
「ビビってんのか!? もう降参していいんだぞ!」
フィレス側の観客席から激しい怒号が、キャリダットの大将であるソーイチに向かって浴びせられた。
「イケるぞ! そいつもぶっ倒しちまえ!」
「お前は、ウチらのエンジェルだ!」
「クレアかわいいぞ! 俺の嫁になってくれ!」
「クーレーア!」
「クーレーア!」
また、自国の大将の名を讃える叫び声が、彼らの口元からこだましていた。
「負けたらどうなるか、わかってんだろうなっ!?」
「死ぬ気で闘えよ! 若僧!」
キャリダット側からも、似たようなトーンの罵声が飛んでいた。看板選手二人を相手の大将にあっさりと奪われた彼らには、自国の敗北、または相手国による植民地支配が頭をよぎっていた。彼らの叫び声には、恐怖心が大いに付帯されていた。
舞台上には二人の若い男女が対峙し、両国の明暗を決する時は、今まさに訪れようとしていた。