第87話 用意された逃げ道
目を開けると、僕は眩い光の中にいた。
僕は一ノ瀬さんの両手から放たれた特大の光線を正面から受け、果てしない衝撃を感じたが、それから、僕の記憶は途切れている。
とにかく視界が白い。
ここはどこだ?
観客の声で騒ついていた会場の音も、今は聞こえない。
僕はやはり、彼女の攻撃で絶命してしまったのか?
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第87話
アルサヒネ歴 八六六年五月一三日
月村蒼一は異世界で再会を果たす
--やっぱり⋯⋯そういうことなのかな。
僕は心の中で呟き、俯いた。
やむなく、この状況を飲み込む決意をする他なかった。
⋯⋯⋯⋯
⋯⋯
その時であった。
視界が少しずつ変わってきた。
目の前に立つ一人の少女が、徐々に姿を現してくるのが見えた。
「うそ⋯⋯? どうして⋯⋯!?」
僅かに映る目の前の少女が、唖然と声を漏らすのが聞こえた。
そして、観客の声が湧く声もまた、少しずつ僕の耳に入ってきた。
『すげーっ! すげーぞ!』
『よく耐えた! よっしゃあ、これから反撃したれっ!』
背後から、キャリダット側の観客の声がする。
ようやく状況が見えてきた。
結論、僕は生きていたようだ。
さっきの白い空間は、天国でも何でも無かった。
結果、僕は一ノ瀬さんの恐るべき攻撃に、耐えることができていたようだ。
目の前が真っ白になっていたのは、彼女の攻撃による光源が強すぎて、一時的に目が眩んでいたからだと思われる。
また、観客の声が入ってこなかったのは、その光を受け止めた瞬間に起きた爆音で、耳の聞こえが悪くなっていたからであろう。
ただ、防御に使っていた剣と盾が、ボロボロに崩れ去っていた。
クエスターデビューの時にグラシューに買ってもらった大事な品だったが、ここで半年間の役目を終えてしまった。きっと、後で彼女にどやされることだろう。
「さて⋯⋯もう終わりかい?」
僕は気を取り直し、不敵な笑みを浮かべ、一ノ瀬さんに問いかけた。
「はぁっ、はあっ⋯⋯くそっ、しぶといヤツね⋯⋯!」
前屈みになり、激しく息を切らしている彼女を尻目に、僕は歩み寄っていった。
「いいから死ねよっ!」
一ノ瀬さんは女らしからぬ台詞を吐くと、僕に人差し指を向けた。
その指からは、例によって光熱線が放たれた。
しかし、先ほどの勢いは完全になくなっていた。
「弱いっ!」
僕は叫びつつ、右手でそれを弾き飛ばした。
「えっ⋯⋯!?」
一ノ瀬さんは目を丸くしていた。
今の攻撃で確信した。
彼女にはもう、残されたマナは殆ど残ってない。
魔術師タイプにとって、マナが切れることは致命的である。それ故、魔術師タイプはマナを調節しながら戦うことが求められる。しかし、一ノ瀬さんは感情的になりやすく、必要以上の力を出してしまう。つまり魔術師タイプなのに力のコントロールに難があるという、極めて重大な弱点があった。
ハプスさんとの闘いを見ていてそれを感じてはいたが、ハプスさんもそれを僕に伝えたかったのであろう。僕はその弱点を突く為、彼女に対して奇襲を仕掛けたり、怒らせることを言ったりしたわけである。
実に単純な作戦だが、どうやら功を奏したようである。
マナが無ければ、一ノ瀬さんはただの小柄な女子。
マナを使えない条件で闘うなら、体格に優れた男である僕が有利なのは、明白である。
さらに僕は彼女に近づく。
「くそっ⋯⋯! 死ねっ! 死ねっ!」
彼女は持っている鞭を振り回した。
「死になさいよおっ⋯⋯!」
しかし、マナの込められていないその軌道は、全く生温いものである。僕は鞭の先端を手で捉え、強く握りしめた。
「!?」
「無駄だって」
僕は彼女から鞭を強引に取り上げ、後方に投げ飛ばした。
「まだ、やるっていうのかい?」
僕は小柄な一ノ瀬さんを見おろした。
「うっ⋯⋯」
彼女は何も言えず、言葉に詰まっていた。
「ただ、俺にもほとんどマナは残ってない。条件は一緒だよ」
それを聞いた彼女は下を向き、しばらく黙り込んだ。
僕も静かにその様子を見つめていた。
「ふふっ⋯⋯ふふふふふっ⋯⋯」
暫く待っていると、一ノ瀬さんの不気味な笑い声が聞こえてきた。
その後、彼女は顔を見上げて僕の目を凝視した。
その目は血走っているかのように赤く、大きく見開かれていた。
相変わらず、彼女の狂乱さが窺えた。
「はははははははははっ!」
彼女は狂ったような笑い声を上げた。
しかし、僕が動じることは無かった。
「マナがお互い無くなった状況なら、女の私が男である君に勝てる道理がない、とでも言うつもり!?」
図星であるが、僕はその言葉に狼狽えることはなかった。
「違うのかい? 俺は素の状態でも、それなりに身体能力には自信があるけど」
「それは⋯⋯」
一ノ瀬さんは呟くと、少し間を置いた。
すると、彼女が右手を握り拳に変えているのが、僕の視界に入ってきた。
そして次の瞬間、その拳が僕の鳩尾辺りを直撃した。
「ゔっ⋯⋯!」
僕はそれを受けて蹲った。
その後、彼女の前蹴りが僕の腹部を襲った。
「うおっ!」
僕はそれを受け、後方へよろけた。
女性が放つ蹴りとは思えない、凄まじい威力を感じた。
「いってぇ⋯⋯」
僕は腹を押さえながら、一ノ瀬さんの姿を見た。
すると、彼女は様になった構えを見せていた。
「それは⋯⋯私のコレを見ても、同じことが言えるかしら!?」
彼女は再び襲ってきた。
突きやら蹴りを次々と繰り出してくるが、どれもキレが鋭い。
容易に避けられる代物でないことは、明らかだ。
「やあああああっ!」
気合いの入った掛け声と共に、彼女の拳が僕の顎直撃した。
それを受けた僕は頭を揺さぶられ、尻餅をついて倒れた。
「⋯⋯顔面への攻撃って、本当は反則なんだけどさ」
一ノ瀬さんは、倒れた僕を鋭い目付きで見おろしてきた。
「こ⋯⋯こんな技もアルディンさんに教わってたのか?」
彼女は黙ったまま、しばらく僕を見つめていた。
「私⋯⋯小さい頃から空手やってたの。一応、国際大会とかも出たことある」
「⋯⋯マジか!?」
意外な答えに、僕は図らずも声をあげた。
「中学生になった時くらいに、やめちゃったけどね⋯⋯!」
一ノ瀬さんは、倒れた僕を蹴り飛ばしてきた。
「うあっ!」
僕はその蹴りで、数メートルほど後方に飛ばされた。
肋骨にヒビでも入ったか。
激しい痛みに襲われる。
この威力は、素の人間が出せるものではない。恐らく、彼女は僅かながらのマナを込めて放ったと思われる。
そんな絞り粕のようなマナとはいえ、爆発に煽られるが如くの威力。
彼女の素の蹴り技に、それだけキレがあるということだろう。
これは一朝一夕で身に付けられる代物ではない。彼女が空手経験者だということは、紛れも無い事実だと確信した。
「私が感情的になり易くて、力のコントロールが下手なことくらい、わかってるわよ」
「何っ⋯⋯!?」
「ただ、その感情の激しさも私の良いところだって、アルディン様は言ってた。そこをムリヤリ直して利点を殺すよりも、マナが切れた時の逃げ道を作っておけって、そう言われてた」
一ノ瀬さんは、僕を例の妖艶な笑顔で見つめていた。
勝ち誇っている様子が、何となく窺えた。
「月村くんが私のマナ切れを狙ってるのは、何となくわかってたわ。でもやっぱり、私は感情を抑えられなかった。それで今はこの様」
結局、僕は彼女の掌で踊らせていたのか。
僕は一ノ瀬さんを単なる激情家だと高を括っていたが、冷静な策略家の一面も持っていたということか。
「すばしっこく動き回って遠隔射撃に徹する魔法使いは、仮の姿。私の真骨頂はここから。接近して素手で闘うのが⋯⋯」
彼女は僕に接近し、嵐のような打撃を繰り出してきた。
「私の本当のスタイルだからっ! さあ、今度こそ覚悟しなさいよ月村くんっ! 私の『手』で、直接この世から連れ去ってあげる!」
「く、くそっ!」
僕はガードを固める。
「甘いっ!」
「ぐあああああっ!」
一ノ瀬さんの手練れた打撃は、僕のような素人の構えなど、すり抜けるのは容易だった。
まさにサンドバッグ状態。
僕はひたすら、彼女にタコ殴りにされるしか無かった。