第89話 既に決していた勝負

 もうどれくらい、彼を殴り続けたのだろうか。

 時間の感覚すらなくなるくらい、月村君を襲い続けた。

 それでも、彼は倒れなかった。

 固めたガードを決して崩さず、そこに立っていた。

 彼の腕の痣は、我ながら見ているのも痛々しかった。

 また、私の彼を叩き過ぎて出来た手の甲の傷もまた、だんだんと酷くなっていった。

 

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『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第89話

アルサヒネ歴 八六六年五月一三日
一ノ瀬紅彩は異世界で再会を果たす

「はあっ⋯⋯はぁっ⋯⋯ほ、ホントに⋯⋯しつこい」

 完全に、私の息は切れていた。

「⋯⋯もう、終わり?」

「!?」

 大人しく私の攻撃を受け続けていた月村君は、その沈黙を突然破った。

「一ノ瀬さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「な、何よっ!?」

「君さ⋯⋯前に俺のことをずっと見てたって、言ってたよね?」

「!?」

 彼のその台詞に、私の背中は急に熱くなり、顔も火照ってきた。

「何よ突然⋯⋯そ、そんなの⋯⋯昔の話だからっ!」

 慌てて私は返答した。

「俺が陸上部だってことも、知ってる?」

 私はそれを聞かれ、改めて焦った。

--ウソ⋯⋯。練習、覗き見しているの⋯⋯バレてた?

 私に、異様な羞恥心が襲ってきた。

「そ、それが何だってのよっ!?」

 次に彼が何を言ってくるか恐ろしくなり、私は再び彼に襲いかかった。

「今度は、その減らず口を叩かせなくするくらい、痛めつけてやるからっ!」

 私は気力を振り絞って、彼に手を出した。

 それでも彼は全く動じることは無く、私は逆に少しずつ焦りを覚えていった。

「もう一つ聞きたい。君は空手をやめてから、ずっと運動はしてない?」

「はあっ⋯⋯!?」

 月村君の冷静な質問に、私は咄嗟に攻撃をやめた。

「な、何よ⋯⋯。そうよっ! それからずっと帰宅部ですけど、何か!? 悪かったわねっ! どうせ私はアンタと違って、何の取り柄もない、ただの地味な女子ですよっ!」

 何か彼に馬鹿にされているような気がしたので、私は思わず怒鳴りつけるように言い返した。

「⋯⋯そうか」

 月村君は下を向いて囁くと、また沈黙し始めた。

「何なのよ⋯⋯そうやって私をバカにして⋯⋯くそっ⋯⋯アンタなんか⋯⋯アンタなんか⋯⋯!」

 私はまた、彼に向かって走り出した。

「好きになるんじゃなかった!」

 私は叫んで、右手の拳を繰り出した。

「!!」

 月村君は急に防御を解いたかと思うと、私の攻撃を見切り、私は右腕を掴まれた。

「今、君が何に怒ってるのか、よくわからないけどさ」

 そう言いながら、彼は私の腕を強く握りしめ、私の目をじっと見ていた。

「やっぱり、君がマナを切らした時点で、この勝負は決まってたんだよ」

「はあっ⋯⋯!? くそっ、離しなさいよっ!」

「君にど突かれ続けてたけど、一〇分もすると、段々とそれが弱まっていくのがわかった。やっぱり、マナが無ければただの女子なんだなって」

 彼に見つめられて、私の力は段々と抜けていった。

「体力は、普通の女子高生並だってことがさ。もう、君は息も切れ切れで、歩くのもやっとでしょ? 俺の身体は傷だらけだけど⋯⋯!」

「きゃっ!」

 月村君は、私の腕を強引に振りほどいた。

「走り回れるくらい元気ってわけ」

 彼は、急にどこかへ向かって走り出した。

 月村君は止まったその先でしゃがみ、何かを拾っているように見えた。何かを拾い上げた彼は、こちらへ一歩一歩ゆっくりと歩み寄ってきた。

「俺、君みたいに国際大会とまではいかないけど、陸上では強豪と言われる県内でベスト8に入るくらい、足の速さと体力には自信があるんだ」

「うっ⋯⋯」

 私は遠目から感じる彼の圧力に、意図せず身を引いた。

「つまり、何が言いたいかって、小学校の頃から今までずっと陸上を続けてきた男の俺と、中学から運動をしてない女の君とでは、素の体力が天と地ほどの差があるってこと」

 だんだんと、彼の姿が大きくなってきた。

「素の体力が高いと、マナの回復もその分早い。今だったら俺、自分の得意技を放つだけのマナは充分溜まっている」

 彼は、刃が折れて柄だけになっていた短剣を、握りしめていた。

 私は、自然と後退りしていた。

「出来ることなら、君のことを傷付けたくない。最初の不意打ちの一撃だけで済ませたい。だから、俺のお願いを聞いてほしい」

 相変わらず彼は、少しずつ私に近付いてくる。

「謝ってほしい。俺がお世話になってるサフィーさんを、邪神だなんてディスったことに」

 彼は今までの消極的な様子が嘘のように、喋り続ける。

「君にとって、アルディンさんがどれだけ大きい存在かは、わかったよ。君に生き甲斐をもたらしてくれた、素晴らしい精霊。すごく、真っ直ぐな人なんだと思う。ただ、その真っ直ぐ過ぎる性格が故に、今は周りが見えなくなってしまっているんだと思う」

「アルディン様は⋯⋯周りが見えてない⋯⋯?」

「サフィーさんに勝ちたいが為に、彼女を悪役に仕立て、君の正義感を煽っている」

「私の⋯⋯正義感⋯⋯」

「今まで言ってきたことを真っさらに取り消して、ゴメンって言ってほしい。それで、もうこの闘いを終わりにしよう。これ以上やっても、何も生まれない。ウチらに何の得もないよ」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

「真実と向き合って、一緒に正しい道を歩んでいこう。この世界を平穏な姿に戻していこう。俺、一ノ瀬さんがいてくれたら、このことに関しては、もっと簡単に事が進むと思うんだ」

 私はしばらく黙り込んだ。

 乱雑に散らかされた頭の中を整理した。

 そして、言葉を選んだ。

「⋯⋯だれが⋯⋯⋯⋯」

 そう言って、また息を飲んだ。

「誰が謝るかっ! ホンットに人を馬鹿にしやがって! この期に及んでまだそんなことを言う気!? アルディン様は絶対なのよっ! 騙されてるのはアンタの方でしょ!? サフィローネとかいう邪道極まりない悪魔に!」

 今更そんなこと、信じられない。

 認めたくない。

 この半年間、信じてやってきたことを否定されたくない。

 私は月村君を怒鳴りつけ終えると、しばらく、彼は固まったままになった。

「⋯⋯そうかい。なら仕方ないな!」

「!?」

 月村君から、マナらしき光が発せられた。

 一旦、使い切ったとは思えない、眩いばかりの激しい光が溢れている。

「言葉で伝えても無駄なようだね。君の心に植え付けられてる捻じ曲がった野心、コイツで叩ッ斬るしかないっ!」

「ぐっ⋯⋯! な、何をする気っ!?」

「俺の得意技、リスヴァーグ。この短剣を買ってくれた俺の師匠に、教わった技さ」

「ふんっ⋯⋯! そんなボロボロになった剣で、何が出来るっていうの!?」

「心配ご無用。この技は、剣圧とマナを組み合わせて波動を飛ばすだけの単純な技さ。刃が無くてもあまり関係ない」

「何ですって⋯⋯!?」

 月村君は剣を持つ手を引き、その圧力はますます高まっていった。

「道理に背くその野心、今ここに滅せ!」

 彼が叫び、折れた剣を振るった。

 空気を切り裂くような、青白い光が発せられた。

 そしてそれは、物凄いスピードで私に向かってきた。

 満身創痍の私には、どうすることも出来なかった。

 月村君の放った光は私に直撃し、私の目の前は真っ白に光り輝き始めた。

 

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