第92話 高みを目指す果てに
「ゴメン⋯⋯大丈夫? 痛かった?」
僕の放ったリスヴァーグをモロに喰らい、仰向けになって倒れた一ノ瀬さんに、僕は声をかけた。
しかし、彼女は僕の言葉に反応せず、泣きじゃくっていた。
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第92話
アルサヒネ歴 八六六年五月一三日
月村蒼一は異世界で再会を果たす
--この状況は気まずいな⋯⋯。何か、俺がいじめたみたいじゃないか。
きまりの悪さに眉を顰める僕を他所に、ただひたすら、一ノ瀬さんの啜り泣く声が聞こえた。
ーーつっても、いじめられたのは俺の方なんだけどな⋯⋯。全く、泣きたいのはこっちだよ⋯⋯。
僕は男に生まれて後悔したことを、強く感じていた。
『シビれたぞっ! 小僧っ!』
『とんでもねえ逆転劇だ!』
『いいもの見せてもらったっ!』
大きな歓声と共に、僕を褒めたたえる声を耳にした。喜ばしいことではあるが、一ノ瀬さんの様子が気になり、素直に彼らと同調し、歓喜に浸ることはできなかった。
とにもかくにも、彼女の蟠りを晴らすことは、出来たのだろうか。
延々と泣きじゃくられるだけで、気持ちが全く読めない。
『もう、闘う意思はなさそうだな』
僕は自分の横に、一人の男がいることを確認した。どうやら審判団の一人のようだ。
『そうみたいですね⋯⋯』
僕は自信なさげな声で、その人に返した。
『では、勝者、キャリダット国の大将⋯⋯』
「クレア!」
「!?」
審判団の人が僕の勝利を告げようとした、その時であった。
目の前に、大柄で赤い髪を生やした男性が現れた。
この男の姿、決して忘れることはない。
フィレスの精霊・アルディンさんだと、僕はすぐに認識できた。
『ひぃっ⋯⋯!』
審判団の人は、悲鳴をあげていた。
突然、目の前に崇拝すべき存在が現れたのだから、無理もない。
「ア、アルディン様⋯⋯」
一ノ瀬さんは涙を流しながら、彼の方を見ていた。
「どうしたクレア! そんなところで寝ている場合ではないだろう!」
「!?」
何を言ってるんだ、この男は?
こんな状態になった一ノ瀬さんに、まだ闘えと言うのか?
「アルディン様⋯⋯ごめんなさい⋯⋯私、わたし⋯⋯」
「何だクレア!? 何が悲しいというのだ!?」
「私⋯⋯ずっと自分に嘘をついていました⋯⋯。私、つきむ⋯⋯いえ、ソーイチ君のこと⋯⋯」
「わかっている! わかっているぞクレア!」
アルディンさんは、一ノ瀬さんに奇妙な視線を送っていた。
「あ⋯⋯あああああああああっ!」
「一ノ瀬さんっ!?」
彼女は悶絶し、叫び声を上げ始めた。
「こんなに痛めつけられたこの男が、憎いんだろう!? そうだ!憎め! その怒りを燃え滾らせ! そうすれば、お前さらに強くなるっ!」
「あああ⋯⋯あああああああっ!」
「やめろっ!」
僕は、思わず怒鳴りつけた。
アルディンさんは僕の声に反応し、こちらを見た。
一ノ瀬さんが自分の意図しない苦しみに襲われているのは、目に見えてわかった。
確実に、この男に操られている。
「ふはははっ⋯⋯! 貴様、勝ったつもりでいるんじゃないぞ。更なる地獄というものを見せてやるっ⋯⋯!」
「何を言ってる⋯⋯彼女に地獄を見せてるのは、アンタの方だろうがっ!」
僕は柄になく乱暴な口調で、アルディンさんを怒鳴りつけた。
「人間風情がこの俺に説教しようとは、いい度胸だ。貴様のその罪、既に償いきれぬものと思え!」
彼は堂々と叫ぶと、再び一ノ瀬さんの方を見た。
「いやあああああああっ!」
彼女は、さらに苦しそうに叫び出した。
「やめろよ!」
僕はアルディンさんを制止しようと、彼に駆け寄った。
「うっ!」
しかし次の瞬間、立ち眩みが襲った。
僕は地べたに膝をつく。
「ぐっ⋯⋯くそっ!」
僕はさっきの攻撃でマナ切れを起こし、まともに動けない状態であることを認識した。
「さあ、立つんだクレア!」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
一ノ瀬さんは、再び立ち上がった。
先ほどの僕の一撃で服が破れており、腹部の辺りは剥き出しになっていて、大きな傷が確認できた。
彼女はフラフラになりながらも、僕のことを一点に見つめていた。
しかし、その瞳は荒んでおり、人間としての感情はまるで感じられなかった。
僕を殺す為だけに作られた人形。
今の一ノ瀬さんを形容するなら、そんな表現しか当てはまらない。
「さあ、やれっ! 悪を滅せ!」
アルディンさんの狂った声と共に、一ノ瀬さんはゾンビのように蛇行しながら、僕に歩み寄ってきた。
「このバカっ!」
不意に聞こえたその叫び声は、僕の真横から発せられていた。
振り向くと、そこにはサフィーさんの姿があった。
「これ以上やって何になるっての! いいからクレアちゃんを止めなさい! じゃないと彼女、本当に死ぬわよっ!?」
突如として現れたサフィーさんは、アルディンさんに向かって声を荒げていた。
「黙れ! オレは⋯⋯オレは、こんなところで負けるわけにはいかないのだ!」
アルディンさんも負けじと、発狂に似た声を上げた。
「オレはこんな精霊⋯⋯いや、一介のシステム管理者如きで燻っている場合ではないのだ! もっと上へ⋯⋯更なる高みを目指さねばならぬのだ!」
「それが⋯⋯それが地表の人間⋯⋯、しかもこんな若い女のコを、ボロボロになるまで闘わせることが、その答えっていうわけ!? だからアンタはバカっていうのよっ! 他にやり様があるでしょうがっ!」
よくわからない会話が、二人の間で展開されていた。
僕はどうしたら良いのか全く分からず、立ち竦むしかなかった。
「ぐぅっ⋯⋯!」
完全に思考が停止いていた僕は、強く首を掴まれていることに気が付いた。
その主犯は、操り人形と化していた一ノ瀬さんだった。
「ソーちゃん!」
それに気付いたサフィーさんは、僕の方を見て叫んだ。
僕は一ノ瀬さんの手を解こうとするも、全く手に力が入らない。
供給される酸素は、少なくなる一方であった。
「よし⋯⋯! クレア、やれっ!」
アルディンさんの下劣な叫び声が聞こえた。
「アルディン! アンタいい加減にしなさいよっ⋯⋯! こんなんでソーちゃんを殺させたところで、プロマネは認めるわけないでしょ!?」
サフィーさんは必死になって、アルディンさんを説き伏せようとしている。
しかし、それも空しく、僕の全身からは力が抜け、手がブラリと垂れ始めていた。
「ソーちゃんっ⋯⋯!」
悲痛なサフィーさんの声が、僅かに聞こえる。
僕の意識は、失いかけつつある。
目の前が、白くなり始めた。
『さすがにそれはマズい。やめさせろ』
すると、どこからともなく、エコー掛かった声が、微かに耳に入ってきた。
その直後、僕らのすぐ側で爆風が吹き荒れ、僕と一ノ瀬さんはそれに飛ばされた。
彼女の僕を締め付けていた手も、その勢いで離れていた。