第93話 精霊を束ねる者
「ソーちゃん!」
僕を呼ぶ叫び声が耳に入ってくると、僕はサフィーさんに介抱されていることに気付いた。
「げふっ、げふっ!」
僕は激しく噎せた。
そして徐々に、霞んでいた視界が、次第に明るくなっていった。
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第93話
アルサヒネ歴 八六六年五月一三日
月村蒼一は異世界で再会を果たす
「大丈夫!? 平気?」
サフィーさんは必死で僕に声を掛け、僕の肩をゆすっていた。
「は、はい⋯⋯何とか⋯⋯」
「よかった⋯⋯!」
「むぐぅ⋯⋯!」
サフィーさんは胸元で僕を抱きしめ、僕は変な声を出した。
顔に柔らかな感触が襲った。
羞恥心は無かった。
最早、彼女がわざとやっているかどうかなど、どうでもよかった。
この事態が収束するなら、何でも良かった。
出来ることなら、僕はこの胸元でずっと、赤子のように甘えていたかった。何もかもを捨てて安堵したいと思うくらい、僕の精神は極限まで擦り減らされていた。
「あれ? 抵抗しないの?」
サフィーさんは、不思議そうな目で僕を見た。
「もう⋯⋯疲れました。どうでもいいっす⋯⋯。出来ることなら、ずっとこうしてたいです⋯⋯⋯⋯」
僕は完全に脱力した声で、彼女に喋りかけた。
「ははっ⋯⋯珍しく素直ね」
彼女は瞳を潤わせ、ニコリと笑っていた。
「ところでサフィーさん⋯⋯」
「ん?」
「あそこにいる、何かとんでもないオーラを放つ方は⋯⋯?」
僕は、何やら神々しい雰囲気を醸し出す男がいることに気付き、彼の方を指差した。
彼は、アルディンさんと一ノ瀬さんの前に立っていた。
「ああ、あの人は⋯⋯」
サフィーさんは、神妙な目をして呟いた。
「とにかく、あの人のところに行きましょう。肩貸してあげるから」
僕はそう言われ、少し間を置いた。
「もうちょっと、こうしていたいんですけど」
「こら、調子にのるなっ」
彼女は笑いながら、僕の頭を軽く叩いた。
「すいません⋯⋯」
僕はサフィーさんに支えられながら、男の立つ下へ歩き出した。
◇
「いやな、気持ちはわかるんだわ」
「ははーっ⋯⋯!」
神々しい雰囲気を醸し出す男の前で、アルディンさんが深々と頭を下げていた。一ノ瀬さんは、アルディンさんの側で横になっていた。
「おう、サフィー、お疲れ」
男は僕らのことに気がつくと、精霊であるサフィーさんに、軽々しい声で挨拶した。
「お疲れ様です」
サフィーさんはいつものような軽快なノリは見せず、少し恐縮しているような態度で男に挨拶を返した。
「おおー、生きてたか、そいつ」
「はい、何とか」
「よかったよかった、危うく貴重な人材が一人減るところだったぜ」
相変わらず軽妙な口調で語られた男の言葉に、サフィーさんは、少し考え込んだ。
「一人減る?」
「ああー、まあ結論から言うとだな、お前ら二人とも、合格ということで」
「はいっ!?」
サフィーさんは、男の言葉に驚愕していた。
「管理者は変わらず、七人のままということで」
「大丈夫なんですか? 人員削減はクライアントの強い意向だって、言ってたじゃないですか」
異世界ファンタジーに迷い込んだ筈なのに、二人の会話には妙に現実味を感じ、僕は強い違和感を覚えた。
「アトミカリアンで規格外のマナを持つなんて希少な存在、無視するわけにいかんだろ? しかも二人。さっきの闘いぶりを見てたが、想像以上の逸材だったんだな、これが」
「はあ⋯⋯そうすか」
「で、クライアントを説得するだけの材料には充分ってわけ。だから、その子供ら二人をアンチ・ヌクリナーとして招き入れ、お前ら二人も変わらず、保守のPLを頑張りなってこと」
「まあ⋯⋯そういうことなら、それで構わないんですけど⋯⋯」
サフィーさんは、何となく不服そうだった。
一方の僕は、聞き覚えの無い横文字が並ぶ会話に、全くついていけなかった。
「まあ、そんな顔するなや。だから今、アルディンを説教してやってんだろ?」
男は、アルディンさんの方を見た。アルディンさんは、相変わらず頭を下げたままである。サフィーさんも、アルディンさんの弱気な姿を見ていた。
「⋯⋯ですか。ではきっちり、お灸を据えてやってください」
サフィーさんは細々と言った。
「だとよ。まあ、俺としてはその娘の精神的フォローをしっかりやって、キッチリ戦士として使い物になるようにしてくれりゃ、それでいいんだが」
「はっ⋯⋯! 承知しておりますっ!」
アルディンさんは、異様な低姿勢を見せた。
さっきまでの威勢の良さは完全に失い、まるで別人のように思えた。
「それも出来ないとなったら⋯⋯、どうなるかわかってんな?」
「ははっ! 勿論でございます!」
脅しをかけるような男の台詞に、アルディンさんは従順に返答し、少し震えているようにも見えた。
兎にも角にも、この男の人はいったい何者なのであろうか。
二人の精霊が低姿勢で接しているので、それを超えた存在であることは、容易に察しが付くところだが。
「あの⋯⋯サフィーさん。この方は⋯⋯?」
僕は、サフィーさんにこっそりと問い掛けた。
「ん? ああ⋯⋯そうよね。この人は⋯⋯」
やや言葉に詰まるサフィーさんの方に、例の男は顔を向けた。
「まあ、今はまだ、当たり障りのない感じで」
サフィーさんも、男の目を見た。
「わかりました」
サフィーさんは淡々と返事をすると、改めて僕の方を見た。
「この人はね、私たち七人の精霊を束ねる、言わば『精霊王』と呼ばれる存在」
「せ、精霊王⋯⋯!?」
何となく、僕は驚いてみた。
「そう。精霊王・クラスティス様よ」
「精霊王⋯⋯クラスティス様⋯⋯!」
僕は恐れ多い表情を見せ、精霊王とされる男の顔に目をやった。
「よろしく」
彼はドヤ顔を見せ、僕に挨拶してくれた。
「ただ⋯⋯それもあれですよね? 『便宜上』ってやつ?」
僕は軽いノリで言うと、精霊王・クラスティス様は、目を丸くした。
「こらっ⋯⋯! ソーちゃん!」
「え⋯⋯?」
サフィーさんは、ボロボロになった僕の服を引っ張った。
「ははははははっ!」
クラスティス様は、高らかに笑い出した。
「面白えことを言う小僧だな。なかなか気に入ったぞ」
彼は、僕の顔を凝視してきた。
「お前には、世界の真実ってもんを見せてやるよ。楽しみにしてな」
「は、はい⋯⋯」
僕はクラスティス様の勢いに圧倒され、小声で返事を漏らす他なかった。
「さて、ここまで来るのに、色んなことを捻じ曲げてきちまったな。この地域の後処理、しっかり頼むぜ、二人とも」
「はいはい、わかってますよ」
「ははっ! 承知しましたっ!」
サフィーさんとアルディンさんは、クラスティス様の言葉に対し、承諾の姿勢を示していた。
すると、クラスティス様は、何の前触れもなく姿を消した。
「さて、私達は後片付けをしなきゃ。ソーちゃんは疲れたでしょ? 帰るなり、そこの控え室で休むなり、体力の回復に努めてちょうだい」
サフィーさんは、僕の肩をポンと叩いた。
「あ⋯⋯ハイ。わかりました⋯⋯。だけど⋯⋯」
僕は、横たわる一ノ瀬さんのことが気になっていた。
「ああ〜、クレアちゃんが心配? まあ、今はあなたの顔を見ても、余計混乱するだろうからさ。気持ちは分かるけど、しばらくは、あのバカに任せてあげて」
「フンっ⋯⋯!」
不機嫌そうに鼻息を荒くするアルディンさんが、一ノ瀬さんを抱きかかえ、フィレス側の控え室へと歩いて行った。
「そのうち、クレアちゃんが自分を取り戻す為に、あなたを必要とする時がやってくるだろうから。その時はよろしくね」
「そう⋯⋯ですか」
僕は、遠くなっていくアルディンさんの背中を見つめていた。
「あらあら? さみしい? クレアちゃんに会えなくなって」
「え!?」
僕は揶揄うサフィーさんの方を、思わず振り返った。
「な、何言ってるんですかっ⋯⋯! しばらくあの恐い顔を見なくてもいいんだと思うと、安心してますよっ!」
「ははっ。もう〜、強がっちゃって。かわいい」
彼女の笑顔は、少し憎たらしく感じた。
「じゃあ、またね。これからあなたには、お願いしたいことが山ほどあるの。準備ができたら、また会いに行くから」
「はい、待ってます」
僕は晴れやかな返事をして振り返り、キャリダット側の控え室へと歩いて行った。