第96話 また会える、その日まで
僕と一ノ瀬さんの会話は全く弾むことなく、かれこれ一五分くらい、僕らは無言の空間を過ごさざるを得なかった。
「⋯⋯ところでさ」
僕はその場の重い空気に風穴を開けるが如く、言葉を発した。
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第96話
アルサヒネ歴 八六六年五月二六日
月村蒼一は異世界で恋に落ちる
「なあに?」
その言葉の雰囲気から、一ノ瀬さんは別に機嫌が悪かったり、怒っているわけではなさそうに見えた。
むしろ必死で打ち解けようと、努力している気概が感じられる。
「クエスターになる為の洗礼、一ノ瀬さんはどうだった?」
「洗礼⋯⋯?」
「受けなかった? 精霊の目の前でマナを開放してもらうやつ⋯⋯」
「ああ⋯⋯うん、受けたよ」
このままでは何も進展がないと思い、僕はとりあえず話題を振った。
「だよね⋯⋯! 俺の時はさ、俺自身記憶が飛んじゃって、全然覚えてなくて。で、後から聞いたら、俺から溢れ出したマナで、洗礼場が崩壊寸前だったんだって」
「そうなんだ」
彼女は興味ありげに返事をしてくれた。
「で、一ノ瀬さんの時はどうだったのかなって。あれだけ凄いマナを持ってたんだから、大変だったんだろうね」
「うーん⋯⋯吐いてた記憶しかない」
「は⋯⋯」
「もうひたすら気持ち悪くて、何度も諦めようと思った。たぶん、アルディン様にはその時が一番怒られた。何でこんなところで躓いてるんだって」
「そ、そうなの⋯⋯か」
「今思い出しただけでも、吐き気がでそうな感じだよね」
「あ⋯⋯⋯⋯」
振る話題を間違えた。
余計に空気が重くなった。
「じ、じゃあさ、クエスターになって最初の仕事は!?」
「仕事?」
「俺はアージェントウルフの退治! いきなりヘビーな案件でビックリしたよ! 一ノ瀬さんは?」
「私は⋯⋯、悪徳領主の暗殺案件」
「あ、暗殺⋯⋯?」
「アルディン様は、まず悪を殺めることに罪悪感をもたないことから始めろって」
「う⋯⋯」
「おかげで月村くんを殺すことにも、何の抵抗もなくなってたし⋯⋯」
一ノ瀬さんは、下を向いてしまった。
「はは⋯⋯私、やっぱりおかしいよね」
「い、いや、そんな⋯⋯」
何の話題を振っても、暗い方へと向かって行った。
再び手詰まりになった僕は、一ノ瀬さんから顔を逸らし、俯きながら考えた。
俯きながら途方に暮れた⋯⋯、
といった方が、正しいか。
--この状況はまずいぞ⋯⋯。俺は何しにここへ来たんだ? むしろ傷口を抉ってないか? 一ノ瀬さんを、元気づけること元気づけること元気づけること⋯⋯元気⋯⋯。
僕はチラリと、一ノ瀬さんの方を見た。
--っていうか、やっぱり一ノ瀬さん⋯⋯。
僕は無意識のうちに、彼女の顔付きや全身のシルエットを、舐め回すように見てしまっていた。
--絶対可愛くなってるよな⋯⋯。こんな可愛いコと二人きりで話してるなんて、前の世界の俺からしたら、奇跡的な状況じゃないか?
窓から差し込む夕日に照らされた一ノ瀬さんは、一際美しく見えた。
--っていうかしかも、今まで聞いた話からすると、一ノ瀬さんは俺のこと⋯⋯。
僕は唾液を強く飲み込んだ。
--うーん⋯⋯そんな美味しい話ってあるか? そもそもこの人、本当に一ノ瀬さんなのか? よく考えたら、こんな可愛いコがクラスにいたら、一目で気付くはずだけど⋯⋯。
一ノ瀬さんに見惚れていると、窓の方を向いていた彼女が、こちらを振り向いた。
目があってしまった僕は、思わず視線を彼女から逸らした。
「⋯⋯どうしたの?」
「えっ⋯⋯!?」
その問い掛けに反応し、僕は再び彼女に視線を合わせた。
「なんか⋯⋯私の顔に付いてる?」
「え、いやっ! その⋯⋯」
暫く、僕らは黙って見つめ合った。
「あの⋯⋯変なこと聞いていい?」
僕は一ノ瀬さんの視線に耐えられず、彼女の瞳から再び目を逸らして言った。
「変なこと?」
彼女は目を見開き、首を傾げて言った。
「本当に⋯⋯、君は一ノ瀬さん⋯⋯なんだよね?」
「え?」
一ノ瀬さんが不思議そうな目で僕を見ると、再び場の空気が固まった。
お互い、次に出す台詞が思い浮かばないようだ。
「そんなこと言われても、私は私としか⋯⋯。誰かが化けてるとでもいいたいの?」
「あ⋯⋯いや、そういうことじゃなくてね⋯⋯」
僕は頭を掻いて少し間を置き、次に発する台詞の準備をした。
「あの⋯⋯気を悪くしちゃうかもしれないんだけど⋯⋯」
「うん、いいよ。全然」
「あの⋯⋯正直、一ノ瀬さんの顔、俺、あんまり覚えてなくてさ⋯⋯。この世界に来て初めて君と会った時、誰だか全然わかんなくて⋯⋯」
「そうだね。そんな感じだった」
「制服着てる時の一ノ瀬さんしか、見たことなかったから⋯⋯。その⋯⋯何ていうか、ファンタジー感あふれる、オシャレな魔法使いの格好をした君の姿を見ても、全然ピンとこなくて⋯⋯」
「うんうん」
彼女は嫌な顔を一切せず、頷いている。
「ゴメン、本当に失礼な話だと思うんだけど⋯⋯。同じクラスだった人の顔くらい、覚えとけって感じだよね⋯⋯」
「気にしないで。私自身も外見が変わったって、自覚してるし。闘った時に言ったと思うけど、私、空手やめてから一切運動してなくて。この世界に来る前の私って、太ってたでしょ?」
「え? いや、そんなことなかったと思うけど⋯⋯」
「いやいや、ホントのこと言っていいから。それで、こっちに来てから、アルディン様にすごく鍛えさせられたんだけど、そのお陰でメッチャ痩せられてさ。あと、クエスターたる者、常に周りから見られてる意識を持てって言われて、髪型とか服装も気にするようになったんだ」
「ああ⋯⋯、そういうことね」
「ただ、私は紛れもなく、あなたと同じクラス、滝川中央高校二年C組の一ノ瀬 紅彩です。証明しろって言われても、困るけどね。あ、でもそういえば、ドサクサに紛れて持ってきたカバンの中に、学生証があったかも⋯⋯」
一ノ瀬さんは、辺りを見渡し始めた。
「あ、いいよ⋯⋯、そこまでしなくても。もう、わかったから」
「本当に? ならよかった」
彼女はニコリと笑った。
その笑顔を見て、僕は少し背中が熱くなった。
--やっぱり一ノ瀬さんなんだ、この人。改めて思うと不思議な感じ⋯⋯。それにしても⋯⋯。
僕はまた、一ノ瀬さんのシルエットを見渡してしまった。
--やっぱ可愛い⋯⋯。しかも闘った時の悪魔みたいな感じとは、今は全然違うし、むしろこのお淑やかな感じ⋯⋯。ヤバい、ギャップ萌えキタな、コレ⋯⋯。
「あ、あの⋯⋯月村くん?」
「⋯⋯え?」
一ノ瀬さんは僕の目の前で、掌を縦に振っていた。
「大丈夫⋯⋯? 何か固まっちゃってるけど⋯⋯」
「あ、ああ! ゴメン、考え事してた!」
ふと、我に帰った僕は、意図せず声を上げた。
「私の顔、じっと見ながら?」
「え⋯⋯」
「ははっ、月村くん、ちょっとキモいから」
彼女は目を細めて笑っていた。
僕は、そんな悪魔から天使に変貌を遂げた一ノ瀬さんの一挙手一投足を見て、熱くなっていた背中の温度を更に上昇させ、その火照りは、身体中を駆け巡ろうとしていた。
「ふふっ、何かそんな話してたら、ちょっと元気でてきたかも」
彼女は朗らかな口調で言うと、組んだ掌を上げ、思い切り背伸びをした。
「!?」
それと共に強調された、大きな胸元の出っ張り。
それを見て、僕は図らずも興奮してしまった。
--ヤバい⋯⋯俺、自分を抑えられるかな⋯⋯。でも、一ノ瀬さん、何となく元気出してくれたみたい。こっちに来てからの話は、避けた方がいいのかもな。特にアルディンさん絡みの話は⋯⋯。
「そういえば月村くん、時間は大丈夫なの? 今日、急に来てもらっちゃったけど⋯⋯」
一ノ瀬さんは、チラリと僕の方を見た。
「ああ⋯⋯帰って案件の完了報告しないといけないけど、まあ、別にそんなに急がなくてもいいかな」
「そっか、仕事の途中だったんだね。ゴメン、忙しいところわざわざ⋯⋯。無理しなくていいからね」
「いやいや、気にしなくていいから」
申し訳なさそうに語る一ノ瀬さんを気遣い、僕はそう答えた。
いや、彼女を気遣っているのではない。
僕がただ、この場に少しでも長く居たいだけであった。
「それでさ⋯⋯月村くん」
突然、不安気に語り始める彼女は、僕から目を逸らしていた。
「どうしたの?」
僕は、一ノ瀬さんを軽く覗き込むように見て答えた。
「私のこと⋯⋯許してくれる?」
彼女は上目遣いで問い掛けてきたが、それに対する僕の答えは、すんなりと喉を通るものであった。
「許すも何も、君は俺に対して何もしてないじゃないか。君はアルディンさんに良いように操られてただけだ」
一ノ瀬さんは、真剣な眼差しでこちらを見つめている。
そんな彼女の瞳に応えるように、僕はさらに語り続ける。
「俺はあの時、一ノ瀬さんと闘ってたわけじゃない。一ノ瀬さんの心に巣食う野心と闘ってたわけであって。ただ俺は、俺の勝手で君を助けたかっただけなんだ」
一ノ瀬さんは、また僕から目を逸らした。
「だから、君から謝られる道理はない。俺に対して、罪悪感を持つ理由もないはずだよ?」
僕が言い切ると、一ノ瀬さんから鼻をすする音が聞こえた。
気付けば、彼女は目元を拭っていた。
「え⋯⋯、あ、あの⋯⋯」
僕はその姿に慌てた。
「もう⋯⋯月村くん⋯⋯優しすぎるよ」
一ノ瀬さんは、声を震わせていた。
「え⋯⋯そう? フツーじゃない⋯⋯?」
「フツーじゃない!」
「!?」
なぜか彼女は怒っていた。
「ご、ごめん⋯⋯」
そして、僕もなぜか謝った。
感情的なところは、闘った時と同じ。
あの時の彼女も、ありのままの姿。
僕は、そう勝手に分析していた。
しばらく、一ノ瀬さんは泣き続けてしまっていた。
僕は、その姿を見つめることしか出来なかった。
--これって、嬉し泣き⋯⋯だよな? 一ノ瀬さん、怒ったり悲しんでるわけじゃない⋯⋯よな?
僕は頭の中を巡らせ、次に発する台詞のタイミングを待った。
「あの⋯⋯一ノ瀬さん?」
「なによぉ⋯⋯?」
相変わらず泣き噦る彼女の口調は、愚図る赤ん坊のようだった。
「もし、外に出られるくらい元気になったらさ、いっしょにご飯でも食べに行かない?」
「!?」
彼女は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、僕の方を振り向いた。
そして、両手で自身の口元を覆った。
そしてしばらく、彼女は僕の目をじっと見つめていた。
「ど、どうかな? ダメ⋯⋯?」
「⋯⋯ずるい」
一ノ瀬さんは、覆っていた手をゆっくりと離しつつ、呟いた。
「え⋯⋯?」
「ずるいよ、月村くん⋯⋯そんなの⋯⋯」
「な、何が?」
「そんなの、断れるわけないじゃない。私の罪悪感につけ込んでそんなお誘い⋯⋯反則だよ⋯⋯」
「い、いや⋯⋯そういうわけじゃ⋯⋯」
僕は人差し指で頭を軽く掻き、下を向いた。
「じゃあ、罰として、月村くんのおごりね」
「!?」
僕は瞠目し、一ノ瀬さんの顔を見た。
彼女は、屈託の無い笑顔を見せていた。
「も、もちろん! 言われなくとも!」
僕は、図らずも叫んでしまった。
「また、様子を見に来るよ! どうしようか⋯⋯じゃあ、また三日後くらい?」
「ええ〜っ⋯⋯、毎日来てよ」
「ま、毎日って⋯⋯」
「ふふ、冗談だって。いつでもいいよ。待ってるから」
僕を揶揄う彼女の言動もまた、愛おしくて仕方なかった。
僕らはその後、たわいの無い話で盛り上がった。
出来ることなら、このまま時が止まってほしい。そんな、途方も無いことを願う自分がいた。
◇
背後でドアの開く音がした。
「随分とお楽しみのようだな。」
僕らの間を切り裂くように、アルディンさんは部屋に入ってくるなり言った。
「アルディン様!」
一ノ瀬さんは、快活な雰囲気で彼の名前を口にした。アルディンさんは一ノ瀬さんの表情を確認するよう、しばらく彼女の顔を見ていた。
「顔色が良くなったじゃないか、クレア」
彼は微笑を浮かべて言った。
「はい⋯⋯! アルディン様、ソーイチ君を連れてきてくれて、本当にありがとうございます。そのご配慮、どれだけ感謝しても足りませんわ⋯⋯!」
その口振りからすると、やはり一ノ瀬さんにとってアルディンさんは大切な存在であり、彼女の心の中で相当なウェートを占めているようだ。
「⋯⋯ふん、全く良いコだな、お前は。こんなオレの為に」
彼は優しい口調で言った。
アルディンさんはその後、僕の方を見た。
すると、彼は柔和な表情を一変させた。
「癪に触るが、貴様には礼を言うしかないようだな」
彼は脅すように、僕に向かって言い放った。
僕は、少し顔を歪ませた。
「⋯⋯月村くん、アルディン様なりの感謝の意思表示だから。許してあげて」
そんな僕の様子を窺ったのか、一ノ瀬さんが彼の言動にフォローをした。申し訳なさそうな顔をする彼女を見ると、思わず僕の表情は緩んだ。
「クレア、余計なことを言うな」
そして、彼女の神対応を、アルディンさんは一言で崩壊させた。
僕の顔は、また険しくなった。
「もうっ⋯⋯! アルディン様ったら!」
一ノ瀬さんは、顔を膨らませていた。
僕はたまらず、アルディンさんを睨むように見た。
「ちょっといいすか⋯⋯」
僕は立ち上がり、アルディンさんに詰め寄った。
「月村くんっ⋯⋯ちょっと!」
一ノ瀬さんの制止を無視し、僕はアルディンさんをガンつけるように見上げた。
「何だ?」
「気にしないでください。俺はアンタに感謝される覚えなんて、少しもないですから」
「あぁん⋯⋯?」
「俺は俺の勝手で彼女を助けただけですから。アンタを手伝ったつもりなんて、毛頭ない」
しばらく、僕らは睨み合った。
「⋯⋯死にたいのか? 貴様」
「ア、アルディン様!? 何を⋯⋯!」
一ノ瀬さんの慌てふためく声を他所に、僕は動じることなくアルディンさんの顔を見た。
「へえ。精霊様は、人間に手を出してもいいんですか? ねえ? 掟破りの異端の精霊、アルディン様」
僕の強気な台詞に、アルディンさんの目付きはさらに鋭くなった。
僕も負けじと、眼力を強めた。
「二人ともやめて⋯⋯!」
一ノ瀬さんの悲痛な叫びに反応したのか、アルディンさんは後ろに振り返った。
「ふん⋯⋯用が済んだなら、とっとと帰れ。これ以上ここの神聖な空気を、貴様のような無礼者に穢されたくないんでな」
「たしかに『邪神の使い』にとっては、ここの空気は合わないようですので、ここらでお暇させて頂きます」
僕は皮肉をたっぷりと込めて言ってやったが、アルディンさんは何の反応も示さず、僕に背中を向けていた。
ただ、何となく、彼の引き攣った表情が想像できた。
倒すべき本当の敵を、打ち負かせた気がした。
「じゃあ一ノ瀬さん、俺、そろそろ行くから」
僕は一ノ瀬さんの方を振り向き、別れを告げた。
「あ⋯⋯うん⋯⋯」
彼女は、呆気に取られた表情を見せていた。
「近いうちに、また来るから」
「わかった⋯⋯待ってるね」
一ノ瀬さんは困ったような表情を見せつつも、朗らかに笑い、手を振ってくれた。
僕はその笑顔を忘れまいと、目に焼き付けるように、彼女の顔を見つめていた。