第99話 両手の華に引き連れられ
「お会計、一万八千リィラ・キャリダットでございます」
「は、はい⋯⋯」
煌びやかな雰囲気漂う、レストラン。
そのレジカウンターの前で、僕は渋々、財布を開けていた。
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第99話
アルサヒネ歴 八六六年五月二七日
月村蒼一は異世界で恋に落ちる
--ランチで一人、六千って⋯⋯。グラシューのヤツ、やってくれたな。
この世界では珍しく、キャリダットは資本主義化が進んでいる。
この国で高品質のサービスを受けようものなら、それなりに高い対価が求められる。
平民の外食ランチの相場は、だいたい八〇〇リィラ・キャリダットだが、それを考えれば、この店の品質の高さが窺えるのは容易であろう。王宮貴族、もしくは上級クエスター(ゴルシ派に限る)でないと、恐らくは手が出ない。
僕のなけなしの生活費が、品の良さそうな店員の手に、儚くも渡っていった。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
「ご、ごちそうさまでした」
僕は足取り重く、店を出た。
◇
店を出たところに、グラシューがいた。
「よお、男前〜! やるときゃやるねえ!」
普段お目にかかれない美味を得た彼女は、とても上機嫌に見えた。
「⋯⋯お気に召して頂き、何よりです、師匠」
僕はグラシューを睨みつけた。
「なーに、機嫌悪そうな顔して!」
グラシューは、僕の肩を強く叩いてきた。
「ハプス派クエスターは、贅沢禁止のはずでは⋯⋯?」
「こういう時くらい、いいじゃん! 友好闘技会の賞金、たんまりもらってんでしょ?」
「⋯⋯言うほどもらってないけどさ」
「それに、こういう店を一つでも多く覚えておくことは、今後のキミの為になると思ったわけさ」
グラシューは僕の肩を組み、顔を近くに寄せてきた。
「どうせこっちの方は、からっきしダメなんでしょ? ソーイチぃ」
彼女は、突き立てた小指を見せてきた。
「⋯⋯ノーコメントで」
「うぷぷぷぷぷ⋯⋯言われなくてもわかるさー。アンタとクレアの様子を見てれば」
厄介なことになった。
タチの悪い師匠は、新たな余興を覚えたようだ。
「どうやら、まだまだ教えることはあるようだね、バカ弟子くん」
「余計なお世話っす、師匠⋯⋯」
「まあ、そう言うなって〜。アタシは今日のランチで、けっこう距離が縮まったって思うけど」
僕は彼女の面白がる言葉に、溜息をついた。
正直、そっとしておいてほしい。
「つーわけで、今日のアタシへのランチ代は、今後の授業料ということにすれば、そー高くはないっしょ?」
「⋯⋯キミはホントにご飯を奢らせることに関しては、頭が回るよね。ちょっとは悪いって思わないの⋯⋯?」
「キャハハハハハッ! めでたくゴールインでもした時は、今までのツケ、全部払うくらいのお祝いしてやっからさーっ!」
グラシューが品なく叫びながら、僕の肩を強く叩き続けた。
「⋯⋯期待しないでおくよ」
僕がボソリと口を開いた、その時であった。
「ごめん、お待たせ!」
麗しい声が、僕の耳を震わせた。
その音源の方を振り向くと、その場を外していた一ノ瀬さんがいた。
「お会計、終わったの?」
「おう! 我がキャリダットの精霊の使い様の男気ってヤツに、感謝せよ!」
グラシューは訳の分からないことを叫びつつ、また僕の肩を叩いた。
「ありがとね、ソーイチさん」
「いやいや、気にしないで」
平静を保つものの、一ノ瀬さんの笑顔を見ると、僕の体温はまた上昇していた。
『今度は、私がおごるからね』
『!?』
突然、一ノ瀬さんは日本語で喋りかけてきて、僕は思わず目を瞠った。
『あ、ありがとう。気持ちだけは受け取っておくよ』
僕も日本語で返すと、一ノ瀬さんは目をつぶり、満面の笑みを見せてくれた。
「ん? なんだって?」
グラシューは不思議そうな目をして、僕らを見ていた。
「何でもないよー」
一ノ瀬さんは揶揄うような口調で、グラシューに向かって言った。
「ずりーぞっ! アンタらしか知らない言葉を使うなんてっ!」
「もう、しょうがないなあ」
一ノ瀬さんは僕を一瞥すると、再びグラシューの方に顔を向けた。
「私が『また、みんなで来ようね』って言ったら、ソーイチさん『そうだね。またご馳走してあげるよ』だって」
「!?」
一ノ瀬さんの言葉に、再び僕は刮目した。
「いや、そんなこと言ってないでしょ!?」
「あれー、そうだっけ?」
一ノ瀬さんは、無垢な笑顔を見せて言った。
「よしっ、よく言ったバカ弟子っ! やれば出来るじゃないか! それじゃあ、今度は食べ損ねたあのお肉を注文して⋯⋯」
「だから、言ってないって!」
「キャハハハハっ! じゃあクレア、来る途中に見つけたかわいい雑貨屋、いこーよっ!」
「そうだねっ! 行きたい!」
「きっとおねだりしたら、ソーイチ買ってくれるよ〜っ!」
「ホントに? うれしい!」
彼女たちは、小走りでその場を去って行った。
「⋯⋯自由すぎるだろ」
僕は大きく息を吹き出しながら、彼女たちの後をゆっくり追って行った。
◇
僕の住むシンセーロ地区から、馬車で二〜三〇分移動したところに、音楽祭が開催される『ファルヴ』という街がある。
僕、グラシュー、一ノ瀬さんの三人は、ファルヴにある野外コンサートホールの観客席に立ち、音楽家たちの演奏を聴き入れていた。
千人は収容できる観客席に、隣の人と肩が触れてしまうくらい、人が密集していて、それなりの規模感を感じさせるイベントであった。
この時代において、歌や音楽は主要なエンターテイメントである。素質や努力次第で飯が食べられるくらい、大きな市場が生まれている。
吟遊詩人のように各地を転々としながらチップを稼いだり、王宮に雇われて貴族たちを楽しませるなど、この時代の音楽家の業務形態は多岐に渡る。
僕の友人のバリーも、その市場で生きて行こうと努力を重ねている一人であった。僕らはバリーの演奏順が来るのを、今か今かと待ちわびていた。
「まだかね? バリー」
「プログラム見た感じだと、もうちょっと先だね」
「ふーん。けっこう色んな人が出るんだね〜。観に来てる人も多いし、バリー、緊張してんじゃないかな?」
「そうだよね。かなりプレッシャーかかりそう⋯⋯って、んんっ?」
僕はプログラムを見ていて、気になる名前を見つけた。
「ねえ、グラシュー、次に出てくる人って⋯⋯」
僕はグラシューにプログラムを見せ、次に出て来ると思われる人の名前を指差した。
「え? ハプス⋯⋯、ハプスぅぅ!?」
グラシューは、僕らのリーダーの名前を叫んだ。
「同じ名前ってだけかな⋯⋯?」
「ハープを奏でてるのは、ちょいちょい見かけるけど、まさか音楽祭に出てるって⋯⋯」
ひそひそとグラシューと会話をしていると、壇上に演者が現れ、一際大きな歓声と拍手が湧いた。
壇上に見えたのは、竪琴を携えた一人の小さな少女だった。
いや、少女ではない。
僕はその人の見た目は少女に見えるが、実は成熟した立派な大人であることを知っていた。
「あれは⋯⋯紛れもなくウチのリーダーですねぇ⋯⋯」
「ですねぇ⋯⋯」
僕は唖然と口を開け、壇上に立つ演者を眺めていた。
「あの人、もしかして⋯⋯!」
一ノ瀬さんは右手を口元に当て、ステージに立つハプスさんを見ながら、驚いたように声をあげた。
「どした? クレア?」
「闘技会で、私がソーイチさんの前に闘った人⋯⋯」
「あー、そっか。クレアもハプスさんのこと知ってんだっけ。そーいや、あの時、闘ってたね」
「あの時、ハプス様には、悪いことしちゃったな⋯⋯」
一ノ瀬さんは小声を発しながら、俯いてしまった。
ハプスさんを見て、再び罪悪感が蘇ってきてしまったか。
「もう気にすることないよ。ハプスさんは今はああやって元気にやってるし、何度も言うけど、君が悪いわけじゃないから」
「うん⋯⋯わかってるけど⋯⋯」
一ノ瀬さんは、なかなか顔を上げようとしなかった。
「じゃあさー、この後、ハプスさんに直接あやまったら? 言いたいこと言えばスッキリするかもしれないよ? ウチらも一緒に行ってあげるから」
俯いていた一ノ瀬さんは、グラシューの顔を見上げた。
「そうだね⋯⋯、ありがとう」
一ノ瀬さんは申し訳なさそうに笑いつつ、囁くように言った。
「よーーし、そうと決まれば、ウチらのリーダーの晴姿をしっかり拝んでやろうぜっ! 手ぇ振ったら気付くかな? おーい、ハプスさぁーん!」
グラシューは飛び上がりながら、両手を大きく振り出した。
すると、ステージの上にハプスさんは、僕らに気付いたのか、一瞬だけ驚いたような表情を見せたが、すぐに用意された椅子に腰掛けた。
ハプスさんが腰掛けると、観客の声と拍手はパタリと止んだ。
「今、ちょっとこっち見た気がしない?」
「だよね!? ハプスさーーん! がんばってねーっ!」
グラシューが大声を出すと、観客の一部が僕らの方を見た。
明らかに、迷惑そうな視線を感じた。
「何か『空気読めよ』的な目で見られましたけど⋯⋯」
「⋯⋯ですよね」
「後でハプスさんに怒られるんじゃない?」
「うぅ⋯⋯やっべぇ。やっちまったなぁ⋯⋯」
「ご愁傷様です、師匠」
僕は両手を合わせた。
「うっせぇ⋯⋯! お前も連帯責任だっ⋯⋯!」
「ふふっ⋯⋯」
僕らのコソコソとしたやり取りを横目で見ていた一ノ瀬さんが、くすっと笑っていた。
そんな僕らのおふざけを尻目に、壇上からは静かな音色が流れ始めていた。