第2話 同級生の願い

 滝河たきがわ警察署・刑事生活安全課の主任である小畑拓也おばたたくやは、慣れない捜査に奔走していた。

 滝河市は都心近郊のベッドタウンであり、目立った犯罪のない温和な町であったが、突如として、二人の男女が同時に行方を眩まし、世間を騒がせていた。

 

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『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第2話

グレゴリオ暦 二〇XX年七月七日
小畑拓也は少年少女の行方を追う

 二人が行方不明になってから四日目になるが、未だ足取りは全く掴めていない。

 小畑が得ている情報は、二人は市内の同じ公立高校に通っていて、クラスも一緒だということ。しかし、二人の接点はそれ以外になく、交流は疎か、会話をしている様子もないという話である。

 軽犯罪の取締り、安全パトロールを主な業務としてきた小畑にとって、失踪事件の解決というタスクは、非常に重いものであった。小畑は、本庁の体制が整うまで、周辺住民から聞き込みを行い、報告することを課せられていた。

 小畑は今、失踪した二人の内の男子である月村蒼一つきむらそういちの足取りを追っていた。小畑は彼と仲が良かった同級生から話を聞けるよう、手筈を整え、捜査車両を運転していた。

 その同級生と待ち合わせていたファミレスに到着すると、小畑はやや乱暴に前方駐車し、颯爽と鞄を手に取り、車を出た。

 汗で湿ったグレーのストライプ柄のワイシャツと、皴の目立つ紺のスラックスを身にまとった小畑は、手汗に満ちた掌で、ファミレス入口のドアノブを握った。

 小畑は店内に入り、待ち合わせの旨を店員に伝え、周囲を見渡した。

 すると彼の視界に、禁煙席の手前の方に座っている一人の若者の姿が映った。

 茶色に染め上げれた短髪を生やし、ワイシャツの第二ボタンを開けたその若者は、無表情でスマホを眺めていた。

梅野竜司うめのりゅうじ君かい?」

 小畑は、待ち合わせ相手だと思われる月村蒼一の同級生、梅野竜司に声を掛けた。

 竜司は虚を突かれたのか、慌てた様子で小畑の顔を見上げた。

「あっ⋯⋯! はい」

 竜司が軽く狼狽した口調で返事をすると、小畑は彼の向かい側の席に腰を下ろした。

「待たせて悪かったね。何か飲むかい? 腹減ってるようだったら、食いモン注文してもいいぞ、奢るから」

「あ、すみません⋯⋯。じゃあ、自分⋯⋯ドリンクバーで」

 竜司はそう答えると、やや疑心暗鬼な瞳で小畑を見つめた。

「あの⋯⋯刑事さん、ですよね?」

「ああ、忙しいとこ悪かったね。バタバタしてて、着くの遅れちまったよ。あ、お姐さん、ドリンクバー二つね」

 小畑は呼び鈴があるのにも関わらず、通りかかった若い女性店員を呼び止め、そう伝えた。

「じゃあ早速、話を聞きたいんだけど、いいかい?」

 小畑の問い掛けに対し、竜司は軽く頷いた。

「いきなり話が逸れるかもしれないが、君は一ノ瀬紅彩いちのせくれあさんと知り合いってわけじゃないんだよね?」

「一ノ瀬⋯⋯ああ⋯⋯蒼一と一緒に行方不明になった人ですか? ハイ、全然⋯⋯」

「そうか。月村君とは同じクラスだったみたいだけど、彼が一ノ瀬さんの話題を振ったことはなかったかい?」

「いや、それも全然。っていうか、一ノ瀬って人、事件になってから初めて知りましたし。蒼一のクラスに、そんな人いたんだって感じです」

「そうか。それじゃあ、月村君と一ノ瀬さんはクラスが同じだっただけで、友達でもないし会話もしたことがないと聞いていたが、それは本当みたいだね」

「まあ⋯⋯たぶん。俺の知る限りですけど」

 小畑は軽く溜め息をつき、腕を組み始めた。

「とりあえず二人の関係は置いておくか。今度は、月村君自身のことについて聞かせて欲しい。彼が失踪する前、何か変わったことはなかったかい?」

 竜司は小畑に問われると、決まりが悪そうに下を向いた。

 小畑は暫く俯いたままの竜司を見て、軽く困惑した。

「やっぱり、俺が悪いのかな」

 竜司は小畑から目を逸らしたまま、呟いた。

 小畑はテーブルに肘をつき、覗き込むように竜司を見つめ直した。

「何か事情がありそうだね」

「⋯⋯ハイ」

「詳しく話してくれないか?」

 明朗としない竜司の振る舞いに、忙しさに追われる小畑は苛つきを隠せないでいたが、彼はそれを押し殺すよう、竜司が語り始めるのを待っていた。

 竜司は相変わらず俯いた様子を見せながらも、懸命に口を開き始める。

「蒼一がいなくなる前の日、アイツと一緒に部活を辞めようとしたんです」

「部活を?」

「ハイ。陸上部なんですけど、顧問の高梨って先生が、あまりにムカつくんで」

「ほう⋯⋯。そんなに嫌な先生だったのかい? その高梨って先生は」

「今年の四月から転任してきて、陸上部の顧問になったんですけど、練習、メッチャ厳しくなって。去年よりもみんな成績よくなったけど、何か軍隊みたいで。不満で辞めたヤツも何人かいました」

「なるほど。でも、成績良くなったなら、その先生に少し感謝してもいいんじゃないかい? そういう経験は、将来必ず活きてくる」

「確かに大人は⋯⋯ウチの親もそう言いますけどね。去年よりタイム良くなったのは嬉しかったけど。ただ、高梨のやり口に、俺はどうしても耐えられなかった」

「やり口というと?」

「アイツ、強そうな選手にはやたらと厳しくするんです。俺なんて大した選手じゃないんで、大したことなかったけど、蒼一は凄いヤツだから、高梨に目を付けられてました」

「月村君は、そんなに優秀だったのかい?」

「成績自体は、県大会ベスト8ですけど、ウチの学校では快挙ですよ。それに、蒼一はやればもっと出来るヤツです。その気になれば全国だって夢じゃない。蒼一とは小学生の頃から一緒ですけど、アイツには何をやっても絶対勝てないって、いつも思ってました」

「へえ、そこまで思わせるとは。『その気になれば』と言うけど、月村君はあまり真面目な性格ではなかったのかい?」

「いや、アイツくそ真面目ですよ。性格もすごく大人しいし。俺、よく宿題とか手伝ってもらってたし。学校だって休んだことないんじゃないかな。何て言えばいいのか、蒼一って欲が無いって感じなんですよ」

「欲がない?」

「アイツ、頭も凄くいいんです。中学の頃は成績もかなり上の方で、進学校とか行けたはずなのに、なぜかウチみたいな良くも悪くもない学校を選ぶし。陸上の強豪校からも推薦の話もあったみたいですけど」

「なかなか勿体無い話だな。彼なりに考えがあるのだろうか」

「俺も、もったいないだろって言ってたんですけどね。けどアイツは『将来困らずに食っていくだけのことが出来れば十分』って言うんです。まあ、アイツの性格は良く分かってるし、今さら否定する気もないし。むしろ、それが蒼一らしさだと思ってますから」

「何と⋯⋯。その年にして、仙人みたいな考えを持った少年だな」

 小畑は、少し呆れた様子で声を発した。

「彼がそういう性格なのは良く分かった。それで、陸上部を辞めたって話に戻ると、彼が特別にしごかれて苦しんでいるのを、君は黙って見過ごせなかったってことかい?」

 竜司はそう聞かれると、小畑から軽く目を逸らし、表情を引き締めた。

「ですね。高梨の奴、やる気が無いだの気持ちが弱いだの、みんなが見てる前で蒼一をディスりまくるんですよ⋯⋯!」

 竜司は、語気を強めて喋り続ける。

「確かに、蒼一だってもっと欲を出した方がいいと思うこともありますよ。でも、さっき言ったみたいに、それがアイツらしさだと思う。でも、高梨はそんなことはお構いなしで、蒼一の価値観を全部否定して、フツーにビンタやら前蹴り喰らわすし⋯⋯マジで人として信じられねえ⋯⋯!」

 吐き捨てるように竜司が言い放つと、再び少しの間、沈黙が訪れた。

「体罰か⋯⋯」

 小畑は憐れむ表情で竜司を見つめ、呟いた。

「何度か高梨に向かって、蒼一だけ厳しくするのは止めろって言ったけど、ヤツは全然聞く耳を持たなくて。それで、蒼一がいなくなる前の日も、高梨の体罰がいつも通り始まって、俺はもう我慢ならなかった。蒼一と一緒にこんな部辞めてやるって高梨に言って、二人で練習を途中で抜け出したんです」

「なるほど。しかし、君は勇気があるな。いくら友達の為とはいえ、気の強そうな目上の人に歯向かうなんて、なかなか出来るもんじゃない」

「別にカッコつけたいわけじゃないし、褒められたいわけでもないし。蒼一がホントに辛そうだったから。アイツ、病んで自殺でもするんじゃないかって思ったから」

 徐々に竜司の口調が弱くなっていくと、彼は完全に俯いてしまった。さらに弱々しい声で竜司は語り続ける。

「でも、結果的に蒼一はいなくなっちまった。二人で練習抜け出した後、一緒に飯食いに行ったんですけど、その時はアイツも清々せいせいしたとか言ってたし、嬉しそうな顔してたと思ったんだけどな⋯⋯」

 相変わらず俯いたまま竜司は語り終えると、そのまま黙り込んでしまった。竜司から鼻を啜すする音が聞こえ、小畑も彼の目元から流れ出すものを確認した。その場の雰囲気は明らかに異質なものとなり、周囲の客も二人の席をチラチラと見始めた。

「どうしたのかな、彼ら」

「お説教かしら⋯⋯? こんな人前で」

 周囲が二人を気に掛ける声が、小畑の耳にも僅かに入ってきた。決まりが悪そうに小畑は周囲を見渡し始め、諭すように竜司に語りかける。

「君は何も間違ったことをしていない。寧ろなかなか真似できない立派な行いだよ。それに、話を聞く限り、二人で練習を抜け出したことが、月村君の失踪に直接関わっているとも言い切れない」

 小畑が言い終えると、竜司は再び顔を上げた。

 そして小畑を見つめ直し、ゆっくりと口を開く。

「刑事さん⋯⋯、蒼一、見つけてくれますよね?」

 竜司は力なく声を発し、子犬のように切ない眼差しで、小畑に懇願した。

「ああ、それが俺の仕事だ」

 小畑は力強く竜司に声をかけ、彼の右肩を軽く叩いた。

 その後、二人は軽く雑談を交わし、ドリンクを飲み干すと、店を後にした。

 小畑は竜司を最寄の駅まで車を送ると、彼の通う滝河中央高校へ舵を取った。

--高梨先生ねえ⋯⋯。果たして本当のところはどうなのやら。

 小畑は、先ほどの会話で浮上した体罰教師の名を心の中で呟き、その姿を思い浮かべた。

 また、彼のはやる気持ちが、運転する車のスピードを上げていた。

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