第2話 同級生の願い
滝河警察署・刑事生活安全課の主任である
滝河市は都心近郊のベッドタウンであり、目立った犯罪のない温和な町であったが、突如として、二人の男女が同時に行方を眩まし、世間を騒がせていた。
『 一ノ瀬さんって、こんなに可愛かったっけ!?』第2話
グレゴリオ暦 二〇XX年七月七日
小畑拓也は少年少女の行方を追う
二人が行方不明になってから四日目になるが、未だ足取りは全く掴めていない。
小畑が得ている情報は、二人は市内の同じ公立高校に通っていて、クラスも一緒だということ。しかし、二人の接点はそれ以外になく、交流は疎か、会話をしている様子もないという話である。
軽犯罪の取締り、安全パトロールを主な業務としてきた小畑にとって、失踪事件の解決というタスクは、非常に重いものであった。小畑は、本庁の体制が整うまで、周辺住民から聞き込みを行い、報告することを課せられていた。
小畑は今、失踪した二人の内の男子である
その同級生と待ち合わせていたファミレスに到着すると、小畑はやや乱暴に前方駐車し、颯爽と鞄を手に取り、車を出た。
汗で湿ったグレーのストライプ柄のワイシャツと、皴の目立つ紺のスラックスを身にまとった小畑は、手汗に満ちた掌で、ファミレス入口のドアノブを握った。
◇
小畑は店内に入り、待ち合わせの旨を店員に伝え、周囲を見渡した。
すると彼の視界に、禁煙席の手前の方に座っている一人の若者の姿が映った。
茶色に染め上げれた短髪を生やし、ワイシャツの第二ボタンを開けたその若者は、無表情でスマホを眺めていた。
「
小畑は、待ち合わせ相手だと思われる月村蒼一の同級生、梅野竜司に声を掛けた。
竜司は虚を突かれたのか、慌てた様子で小畑の顔を見上げた。
「あっ⋯⋯! はい」
竜司が軽く狼狽した口調で返事をすると、小畑は彼の向かい側の席に腰を下ろした。
「待たせて悪かったね。何か飲むかい? 腹減ってるようだったら、食いモン注文してもいいぞ、奢るから」
「あ、すみません⋯⋯。じゃあ、自分⋯⋯ドリンクバーで」
竜司はそう答えると、やや疑心暗鬼な瞳で小畑を見つめた。
「あの⋯⋯刑事さん、ですよね?」
「ああ、忙しいとこ悪かったね。バタバタしてて、着くの遅れちまったよ。あ、お姐さん、ドリンクバー二つね」
小畑は呼び鈴があるのにも関わらず、通りかかった若い女性店員を呼び止め、そう伝えた。
「じゃあ早速、話を聞きたいんだけど、いいかい?」
小畑の問い掛けに対し、竜司は軽く頷いた。
「いきなり話が逸れるかもしれないが、君は
「一ノ瀬⋯⋯ああ⋯⋯蒼一と一緒に行方不明になった人ですか? ハイ、全然⋯⋯」
「そうか。月村君とは同じクラスだったみたいだけど、彼が一ノ瀬さんの話題を振ったことはなかったかい?」
「いや、それも全然。っていうか、一ノ瀬って人、事件になってから初めて知りましたし。蒼一のクラスに、そんな人いたんだって感じです」
「そうか。それじゃあ、月村君と一ノ瀬さんはクラスが同じだっただけで、友達でもないし会話もしたことがないと聞いていたが、それは本当みたいだね」
「まあ⋯⋯たぶん。俺の知る限りですけど」
小畑は軽く溜め息をつき、腕を組み始めた。
「とりあえず二人の関係は置いておくか。今度は、月村君自身のことについて聞かせて欲しい。彼が失踪する前、何か変わったことはなかったかい?」
竜司は小畑に問われると、決まりが悪そうに下を向いた。
小畑は暫く俯いたままの竜司を見て、軽く困惑した。
「やっぱり、俺が悪いのかな」
竜司は小畑から目を逸らしたまま、呟いた。
小畑はテーブルに肘をつき、覗き込むように竜司を見つめ直した。
「何か事情がありそうだね」
「⋯⋯ハイ」
「詳しく話してくれないか?」
明朗としない竜司の振る舞いに、忙しさに追われる小畑は苛つきを隠せないでいたが、彼はそれを押し殺すよう、竜司が語り始めるのを待っていた。
竜司は相変わらず俯いた様子を見せながらも、懸命に口を開き始める。
「蒼一がいなくなる前の日、アイツと一緒に部活を辞めようとしたんです」
「部活を?」
「ハイ。陸上部なんですけど、顧問の高梨って先生が、あまりにムカつくんで」
「ほう⋯⋯。そんなに嫌な先生だったのかい? その高梨って先生は」
「今年の四月から転任してきて、陸上部の顧問になったんですけど、練習、メッチャ厳しくなって。去年よりもみんな成績よくなったけど、何か軍隊みたいで。不満で辞めたヤツも何人かいました」
「なるほど。でも、成績良くなったなら、その先生に少し感謝してもいいんじゃないかい? そういう経験は、将来必ず活きてくる」
「確かに大人は⋯⋯ウチの親もそう言いますけどね。去年よりタイム良くなったのは嬉しかったけど。ただ、高梨のやり口に、俺はどうしても耐えられなかった」
「やり口というと?」
「アイツ、強そうな選手にはやたらと厳しくするんです。俺なんて大した選手じゃないんで、大したことなかったけど、蒼一は凄いヤツだから、高梨に目を付けられてました」
「月村君は、そんなに優秀だったのかい?」
「成績自体は、県大会ベスト8ですけど、ウチの学校では快挙ですよ。それに、蒼一はやればもっと出来るヤツです。その気になれば全国だって夢じゃない。蒼一とは小学生の頃から一緒ですけど、アイツには何をやっても絶対勝てないって、いつも思ってました」
「へえ、そこまで思わせるとは。『その気になれば』と言うけど、月村君はあまり真面目な性格ではなかったのかい?」
「いや、アイツくそ真面目ですよ。性格もすごく大人しいし。俺、よく宿題とか手伝ってもらってたし。学校だって休んだことないんじゃないかな。何て言えばいいのか、蒼一って欲が無いって感じなんですよ」
「欲がない?」
「アイツ、頭も凄くいいんです。中学の頃は成績もかなり上の方で、進学校とか行けたはずなのに、なぜかウチみたいな良くも悪くもない学校を選ぶし。陸上の強豪校からも推薦の話もあったみたいですけど」
「なかなか勿体無い話だな。彼なりに考えがあるのだろうか」
「俺も、もったいないだろって言ってたんですけどね。けどアイツは『将来困らずに食っていくだけのことが出来れば十分』って言うんです。まあ、アイツの性格は良く分かってるし、今さら否定する気もないし。むしろ、それが蒼一らしさだと思ってますから」
「何と⋯⋯。その年にして、仙人みたいな考えを持った少年だな」
小畑は、少し呆れた様子で声を発した。
「彼がそういう性格なのは良く分かった。それで、陸上部を辞めたって話に戻ると、彼が特別に
竜司はそう聞かれると、小畑から軽く目を逸らし、表情を引き締めた。
「ですね。高梨の奴、やる気が無いだの気持ちが弱いだの、みんなが見てる前で蒼一をディスりまくるんですよ⋯⋯!」
竜司は、語気を強めて喋り続ける。
「確かに、蒼一だってもっと欲を出した方がいいと思うこともありますよ。でも、さっき言ったみたいに、それがアイツらしさだと思う。でも、高梨はそんなことはお構いなしで、蒼一の価値観を全部否定して、フツーにビンタやら前蹴り喰らわすし⋯⋯マジで人として信じられねえ⋯⋯!」
吐き捨てるように竜司が言い放つと、再び少しの間、沈黙が訪れた。
「体罰か⋯⋯」
小畑は憐れむ表情で竜司を見つめ、呟いた。
「何度か高梨に向かって、蒼一だけ厳しくするのは止めろって言ったけど、ヤツは全然聞く耳を持たなくて。それで、蒼一がいなくなる前の日も、高梨の体罰がいつも通り始まって、俺はもう我慢ならなかった。蒼一と一緒にこんな部辞めてやるって高梨に言って、二人で練習を途中で抜け出したんです」
「なるほど。しかし、君は勇気があるな。いくら友達の為とはいえ、気の強そうな目上の人に歯向かうなんて、なかなか出来るもんじゃない」
「別にカッコつけたいわけじゃないし、褒められたいわけでもないし。蒼一がホントに辛そうだったから。アイツ、病んで自殺でもするんじゃないかって思ったから」
徐々に竜司の口調が弱くなっていくと、彼は完全に俯いてしまった。さらに弱々しい声で竜司は語り続ける。
「でも、結果的に蒼一はいなくなっちまった。二人で練習抜け出した後、一緒に飯食いに行ったんですけど、その時はアイツも
相変わらず俯いたまま竜司は語り終えると、そのまま黙り込んでしまった。竜司から鼻を啜すする音が聞こえ、小畑も彼の目元から流れ出すものを確認した。その場の雰囲気は明らかに異質なものとなり、周囲の客も二人の席をチラチラと見始めた。
「どうしたのかな、彼ら」
「お説教かしら⋯⋯? こんな人前で」
周囲が二人を気に掛ける声が、小畑の耳にも僅かに入ってきた。決まりが悪そうに小畑は周囲を見渡し始め、諭すように竜司に語りかける。
「君は何も間違ったことをしていない。寧ろなかなか真似できない立派な行いだよ。それに、話を聞く限り、二人で練習を抜け出したことが、月村君の失踪に直接関わっているとも言い切れない」
小畑が言い終えると、竜司は再び顔を上げた。
そして小畑を見つめ直し、ゆっくりと口を開く。
「刑事さん⋯⋯、蒼一、見つけてくれますよね?」
竜司は力なく声を発し、子犬のように切ない眼差しで、小畑に懇願した。
「ああ、それが俺の仕事だ」
小畑は力強く竜司に声をかけ、彼の右肩を軽く叩いた。
◇
その後、二人は軽く雑談を交わし、ドリンクを飲み干すと、店を後にした。
小畑は竜司を最寄の駅まで車を送ると、彼の通う滝河中央高校へ舵を取った。
--高梨先生ねえ⋯⋯。果たして本当のところはどうなのやら。
小畑は、先ほどの会話で浮上した体罰教師の名を心の中で呟き、その姿を思い浮かべた。
また、彼の