
仕事一筋サラリーマンから
主夫に転身した唯木です。
偏差値が大好きな日本人。
いつまでこの言葉に踊らされ、騙され続けるのでしょうか。その終わりが見えないことが、ただひたすら悲しいです。
目次
偏差値に踊らされる日本人
我が家のすぐそこに学習塾があり、そこには子供は制服、親御さんはスーツ姿の正装で身を固める異様な光景が見られます。
お受験対策ですかね。
とりわけ、親の面接対策?
ただ、学校の入学式ならその光景は理解できるんですが、単なる学習塾に赴くだけでこの仰々しさ。
将来良い大学に入る為にキチンと教育してやるから正装で赴いて来いと、塾側が親に向けた暗に秘めるメッセージのようにも受け取れるのは、僕だけでしょうか。
やはり、日本における塾やら私学の優位性は、確固たるものがあると改めて思い知らされます。下記にて、塾と私学は日本の教育格差を助長していると、拙ながら持論を展開させて頂いています。
詰め込み教育の効果とは?
詰め込み教育だのゆとり教育だの、その在り方に対する是非が二転三転する日本の教育。
そんな偏差値偏重スタイルも一定の効果が見られると、かの著名なジャーナリスト池上彰氏は評価しています。
アメリカでは足し算、引き算、暗算が出来ない人がたくさんいるのに、日本では津々浦々でそれができる学力を有する人がいると、下記にて言及しています。
偏差値にとらわれ過ぎ! 教育“後進国”日本の問題点を池上彰さん、増田ユリヤさんに聞いた。
その点において、アメリカに比べて日本は教育の格差が少ないという評価が出来るのかもしれないですね。
アメリカは日本よりも学歴社会が顕著だという話も聞きますし。
鼻で笑われる偏差値
しかし、アメリカをはじめとする先進国では⋯⋯
「偏差値」
などという概念は、教育の中で全くもって適用されていないようで。
欧米諸国で
「その学校の偏差値は?」
という問いに対しては鼻で笑われるといいます。
ここで、諸外国からバカにされ、日本人が大好きな「偏差値」という考え方について、改めて考えてみたいと思います。
偏差値のメリットデメリット
偏差値の存在意義について考察を進めてみると、何が嬉しくてそれが存在するのかという点が浮かびます。
つまり⋯⋯
「偏差値のメリットって何?」
ということですね。
偏差値のメリット
偏差値のメリットと言えば⋯⋯
「学力の優劣を簡単に判断できる」
という点に尽きますね。
ペーパーテストの良し悪しで国家公務員になれるか、優良企業に入れるかが決まる仕組みにおいて、偏差値という基準は実に利便性が高いものです。
偏差値のデメリット
しかし⋯⋯
「勉強が出来るか出来ないか」
という狭い視点に限られた上で、人としての能力を決めてしまうのは、実に愚かなものだと主張したいです。
しかもその「勉強」とは⋯⋯
「テストでいい点を取れるか否か」
ということ。
日本の教育が目指すものは「国家公務員」という頂に登るためにあります。そこに国力を維持しようなどという大義は存在しないのは明白。
もし、そのような意義があるのだとすれば、税収をむしり取り、予算を無駄に溢れ出させるような国家になっていないはずです。
日本の教育は誰もが等しく教育を受けられることを建前にしていますが、本当のところは金持ち層が既得権益を維持したいがために存在するシステムに違いないはず。
偏差値はいらない
テストでいい点を取れる能力に長けた人間だけが、国家を動かす存在になってしまっているのが、今の日本の実情です。
国のブレーンとなるべき存在に多様性が欠けている現状では、悪しき風習を絶ち、時代に変化に対応できないことは火を見るよりも明らかかと。
高度経済成長期であれば⋯⋯
高度経済成長期からバブル崩壊まで、GDPがうなぎ登りに上がり続け、終身雇用が当たり前だった古き良き時代。
そんな国家の方針に従っていれば安心な時代であれば、素直に働く人間こそ重宝されるのは理に適っています。
景気が良い時だったからこそ、偏差値偏重の詰め込み教育は十二分に効果を発揮したのです。
言う通りに働いていれば裕福になれるし、将来も保証されると分かっていれば、僕も黙って勉強してましたよ。
不景気の今は⋯⋯
しかし、今の時代はどうでしょうか。
某与党は⋯⋯
「いざなぎ景気を越える経済成長」
などと自国の経済を自慢気に評価していましたけど、お世辞にも国民の生活レベルで景気が良い時代とは思えません。
結局、既得権益を持つ人ばかりが潤っていて、持つ者と持たざる者の格差が広がっているだけです。偏差値偏重型の教育は格差を広げる以外、何の役割を果たしていません。
日本の崩壊も近い?
持つ者の裕福は、持たざる者の努力によって支えられています。しかし今、持たざる者の疲弊は限界に達し、日本の土台が崩れようとしています。
国民が再び景気の良さ実感し、真の幸せを実感する世の中を迎える為には、革新的な人間が増えなければなりません。
悪しき慣習に従順な人間ばかりが増えては、現状はテコでも動かず。
偏差値はいらない。
偏差値は今に即していない。
本当の意味で創造性豊かな人材を育て上げるのであれば、テストで良い点を取ることだけを至上とする体制、そしてそれを正確に評価する偏差値はすぐに撤廃すべきです。
画一的な教育が賛美される時代は、とうに終わっているのですから。