
仕事一筋サラリーマンから
主夫に転身した唯木です。
これからの社会を支えることになる子供。
これまでの社会を作り上げた高齢者。
国としてどちらの保証を手厚くするべきかと問われた時、自然の摂理やら生産の効率性を考えると、その答えは明白でしょう。
しかし、民主主義社会においては「数の論理」が適用され、摂理を無視しようが多数派が勝つ運命。
超高齢化社会などと呼ばれて久しい昨今、老人クレーマーの減る余地がないのは、本当に嘆かわしいことですね。
目次
老人クレーマーが脅迫状送りつけて逮捕
送迎バスを待つ幼稚園児の声に腹を立て、園児宅の郵便ポストに脅迫文を投函されるという事件がありました。
小さな子供を持つ親としては、許し難き行為。そんな愚行に走ったのは、71歳の男性だという話です。
他にも、子供の声がうるさくなるからという理由で保育園建設を断念するなど、子供に対し不満を募らせる高齢者が話題になる例は絶えません。
老後は静かに暮らしたい
老後は静かに暮らしたいという願いはごもっともなところ。これまで頑張って働いてきたご褒美が与えられて然りというのも理解できなくはありません。
しかし、将来を担う子供たちの学びの場を削ることは、永続的に国家を支えていく上で建設的な行為とは言い難いものがあります。
高齢者たちの行き過ぎた要求がまかり通ってしまう今の日本は、彼らを支える為だけに全力を注ぐ社会に等しいかと。
それが非効率な社会構造であることは、言うまでもありませんね。
老人クレーマーが減らない理由
ゴールドマンサックス出身の金融アナリスト、かつオックスフォード大学で日本学を学び、我が国の文化にも精通するデービッド・アトキンソン氏という方がいます。

デービット・アトキンソン氏
彼は最低賃金をあげるべきと、長きに渡り主張しています。
そんな彼の主張が功を奏したのかは分かりませんが、2019年夏の参院選において、賃金アップをマニフェストに掲げる政党が目立っていました。
賃金上げることは大いに結構!
僕も給料が上がるのであれば嬉しい以外の何物でもないですが、社会全体で見れば、それでは長引く不況が根本的に解決しないと思うところがあります。
賃金が上がっても⋯⋯
賃金増えても国は間違いなく併せて社会保障費を増やすはずと思うのは、おそらく僕だけではないでしょう。
額面上の支給額は上がっても、社会保障費で差っ引かれしまうと。
つまり⋯⋯
基本給が上がっても手取りが同じ
そんな事態になるのではと。
結局、出ていく金が同じであれば、何か新しいものを買ってやろうなどという気概はさっぱり起こりません。
これは個人的な所感で止まらないことを確信しています。

⋯⋯すみません、簡単に言えば、
「そう思ってるのは絶対俺だけじゃない!」
と思っています。
票が欲しい政治家
日本政府が、
「賃金だけを上げる」
そんな奇跡を起こすでしょうか。
高齢者が多数を占める今の日本において、そのような僅かながらの期待を持つのは時間の無駄かと。
どの政党も⋯⋯
特に失言続きで失職する「優秀な人材」が揃う某与党に関しては⋯⋯
「票が欲しい!」
そんなんだから、高齢者を優遇する政策を取るに決まっています。
いい加減、実際に国を支えている生産層を優遇した政策を取らないものかと、いつものように思っているのですが⋯⋯。
今の日本を作ったのは⋯⋯
そういう時に必ず出てくる反論が
「今の日本を作ったのは誰だと思ってる!」
系の主張。
そこに⋯⋯
「私たちは戦後日本の貧しい時を⋯⋯」

「焼け野原の経験」と言われると⋯⋯
などと諭されてしまっては、それに比べて裕福な日々を送る僕らは何も言い返せません。
高齢者を敬うことが全て
ただ、それを盾に⋯⋯
「高齢者は敬うべき」
という論理が正当化されると、高齢者を支えることが全ての社会になり、経済的には非効率極まりない社会になるのではと危惧します。
いや「なるのでは」ではなく⋯⋯
「もうなっている」
が正しいですね。
老人の意見がが保育園建設を止めた事例がある以上。
今の日本は正に「老人天国」であり、生産年齢人口層は日本を支えるというより、戦後日本を作り上げた高齢者を支える為だけに奔走されています。
国家の存続よりも己の存続を優先する老人クレーマーが生き長らえるのも、納得できる話ですね。
老人クレーマーで滅びゆく日本
高齢者が生産年齢人口に比べて生産性が低いのは、だれでも分かるごく簡単な論理。そして生産性の低い層を優遇していれば国力が落ちるのも、目に見えて分かる話。
わがまま老人クレーマーが脅迫状を送り、保育園建設を止めるなどという事象は、滅びゆく日本を現在進行形で見ているような気がしてなりません。
「国家を存続させることが使命か」
「過去の栄光を崇めることが使命か」
生きとし生けるものであれば、どちらが理に適っているかを判断するのは至極容易ですよね。
また稚拙な表現になってしまいますが⋯⋯

わからないのか!
と、心の底から叫びたいのです。