【第1話】中流家庭で育った男の人生←今ココ
さて、突然ですが、
僕はどこにでも溢れている中流家庭で生まれ育ちました。
ん??
そもそも中流とは何かって?
たしかに議論が分かれるところであり、日本人の9割は「自分は中流」だと思っている調査結果もあるようですね。
我が家はホントに中流なのか!? よその家の貯蓄額は? 怖いけど知りたいお金の真実
中流の捉え方は人それぞれなので、もしかしたら、
「そんなの恵まれすぎ!」
と、ツッコまれてしまうかもしれませんが、これから、僕の中流自慢というか、フツー自慢にお付き合いいただきたく(笑)
目次
中流家庭出身者にあるあるな少年時代とは?
僕の父は某老舗食品会社の地方工場で働くトラックドライバーでした。年収はギリ400万届くか、といったところでしょうか。
母は美容師をしていましたが、5年くらいで辞め、20代後半はフリーター生活をしていました。
母がバイト先で働いているとき、父がドライバーとしてそこに商品を搬入していたことが、2人の出会いのきっかけだそうで。
まあ、ここで何が言いたいかって、二人とも優雅な家系の出身でもないし、エリートコースを歩んできたような経歴もないってことです。
極貧でもなければ裕福でもなく
父は結婚前に築10年くらいの中古の一軒家を、ローンで買っていたようです。
僕は生まれてから、すごくキレイでもなければ、すごく汚いともいえないその家で、少年時代を過ごしてきました。
おもちゃは月に1回、1000円以下のものを。
また、誕生日やクリスマスプレゼントで5000円~10000円くらいのゲームソフトを買ってもらっていた記憶があります。
特に教育熱心な両親だったわけではなく、塾に通ったのは中学3年の夏季講習とか、周りにあわせて行き始めた感じ。
日本人の大好きな偏差値的には、50にギリ届かないくらいの公立高校に通ってました。
こんな感じで、僕は贅沢な遊びをしているわけでもないし、ごくありふれた学校に通う、どこにでもいる普通の少年だったのです。
ちょっと心の弱い少年だった?
僕がフツーと外れているかもしれないという点は、
「打たれ弱くて繊細」
というところでしょうか。
これもよくある話なんですが⋯⋯
僕が小学生の頃は、Jリーグが開幕してサッカー人気が急上昇、男の子は野球よりもサッカーみたいな時代。
僕の周りにもサッカー好きがあふれていて、子供の頃の夢もサッカー選手でした。
みなさんも中学生になって部活に入らせられる経験はあったかと思いますが、僕が選んだのはその流れでサッカー部。
運動神経には少しだけ自信のある僕は、ちょいちょい試合にも出してもらっていて、実力は認められている方でした。
ただ、体育会系の空気がどうにも苦手で⋯⋯。
サッカーはチームプレーなので、試合中に声を掛け合うのは基本中の基本だったりするのですが、それは罵声が飛び合うに近いものがありまして⋯⋯。
そんな殺気立った雰囲気に耐えられず、僕は1年半ほどでサッカー部からドロップアウト。
さらにそれが原因で身体が震えるようになり、学校に行くのも嫌になって、半年ほど不登校になるという事態に陥りました。
僕の自己主張が苦手で繊細な心を持ってしまったのは、物心つく前に受けた親からの体罰が原因みたいですが⋯⋯。
どちらにせよ、僕は裕福な家庭に生まれたわけでもなく、頭が良かったわけでもないのです。むしろ打たれ弱すぎで、フツーに比べたらちょっと難ありな人間なのではないかと。
中流家庭出身者にあるあるな学生時代とは?
いろいろあった中学生時代でしたが、偏差値的には中の下くらいの公立高校に合格した唯木。
相変わらず打たれ弱く、教師や友達などの人間関係にビクビクしながらも、授業やら部活をこなす毎日を過ごします。
長所のない人間なんていない!?
できれば部活なんてやりたくなかったんですけど、
「部活は強制!」
みたいな高校でしたので、サッカー部から陸上部に転身してみました。ちょっと足の速さには、自信がありましたので。
「フツーとか言いながら、足が速いって長所があるじゃん!」
そう思ったあなた。
長所がまったく無い人間を探す方が難しいんです。
の〇太くんだって、射的はすごく上手いじゃないですか。


思いつかなくて⋯
とにかく、どんな人間にも、ここだけは他人よりも優れていて、ここだけは他人よりも劣っている点があるはずと、強調したく。
「何もかもが平均点」
「何でもそれなりにこなす」
そんな人間の方が、フツーじゃないはずだし、むしろスゴイくらいです。
大学なんてだれでも入れる時代
僕が高校を卒業する頃は、大学全入時代なんて言葉も出始めていた時期。選り好みをしなければ、だれでも4年制大学に入れる感じでした。
やりたいこともなく、ただ何となく過ごしてきた高校生の唯木。
「大学は入るのも簡単だし、入った後は遊べるラクだぜ~」
みたいな声に流され、面接を受ければ受かるような地元の大学に入りました。
僕の親も「大学くらいは行かせたい」みたいな思いがあったようで、学費をコツコツ貯めていてくれたみたいです。その辺は本当に感謝というか、恵まれていたのかもしれませんね。
なんとなくIT業界を志望
大学に入っても、基本的に高校生の時から行動とか考え方は変わりません。
いかに単位をラクして取るか
いかに遊ぶ時間をつくるか
そんなことを思いながら大学生活を過ごしていました。
3年生くらいになると、就活がはじまるのですが、僕も周りにあわせて開始します。
そして⋯⋯
仕事がありそうだから
食うのに困ることはなさそうだから
という理由で、なんとなくIT業界を志望。
エントリーシートやら、面接マニュアルみたいなものと格闘する日々が始まり、結果、社員数400人くらいのIT企業に内定をもらうことができました。
「ちょっと大きめのIT企業に就職できるなんてスゴい!」
「ITエンジニアなんて、一生手に職じゃん!」
なんて思ったあなた。
実はIT関係の仕事なんて、たいしたことないんです。
さて、僕は晴れて社会人デビューを果たすことになるのですが⋯⋯。
中流家庭出身者にあるあるな社会人時代とは?
「一生食っていけるだけのスゴい技術を持った人」
「理系の大学で小難しいことをよーく勉強してきた人」
IT業界で働いていた僕は、今でもそんな風によく言われるんですけど、そんなスゴい方々はごく一部だけなんです。
健康で素行に問題なければ誰でもOK
IT関係の仕事なんて、文系の大学で4年間遊んで暮らしてるようなヤツでも、ちょっと教育を受ければ、仕事ができちゃうんです。
僕のような下っ端エンジニアは、
「ごく一部のスゴい方々が、小難しいことを噛み砕いてくれたもの」
そんな作業を消化していくので、特に難しい知識がなくてもOK。
あまりに人手が不足している業界なので、健康で素行に問題なければ、誰にでも仕事はあります。
「未経験からエンジニアに」
なんて広告をよく見かけますけど、あれはウソじゃなくて、若くて健康であれば、本当にだれでもできます。
ただし「本当に」健康であればの話。
激務のあまりうつ病になる
IT業界の下っ端の仕事は、本当に激務です。
残業なんざ当たり前。
毎日終電の日々が続く月もしばしば。
土日出勤なんて可愛い方。
年末年始すら拘束される時もあり。
中には、残業代未払い、見なし残業なんて会社もあるらしいですけど、一応、フルで残業代が出る会社だったので、そこだけは救われた気がします。
しかし、どんなに頑張っても給料はちょっとしか上がらず、将来への不安が見え隠れするように⋯⋯。
そして、社会人になって5年くらいたったある日のこと。
元々、打たれ強くはない僕は、うつ病になり、声が出なくなるという事態に陥ります。

と思いましたが⋯⋯。
使い捨ての駒として教育されてきた
それでも、会社は僕を見捨てるようなマネはしませんでした。
上司の人は毎日のように僕を励まし、復職に尽力してくれました。その甲斐もあり、僕は1か月ほどで現場へ復帰。
ただ、今になって思えばその上司の心内には、
「使い勝手の良い傭兵を手放すものか⋯⋯!」
という思いが強かったに違いありません。
僕はその時から
「自分は社会の使い捨ての駒として教育されてきたんだな⋯⋯」
と、思うようになります。
まあ、これまで何となく過ごしてきた自分が悪いので、自業自得と言われれば、それまでなのですが⋯⋯。
ただ、僕のように「何となく」過ごしてきた人って、他にもたくさんいるんじゃないかと。
僕のこれまでの人生を聞いてみて「自分にも当てはまるなー」と思う人は、ぜったいに多いはずです。
仕事を乗り越える為に結婚
仕事漬けの日々を送る唯木は、20代後半を迎えました。その頃から、結婚していく同僚やら友達が目立つように。
そんな彼らの様子を見た僕は、だんだん焦ってきます。また、今の辛い仕事を乗り越える為には、何か大きな支えが必要だと悟るようになり⋯⋯。
僕は気づけば出会いを求め、積極的に合コンやら街コンに参加⋯⋯、
いわゆる婚活をする自分がいました。結局ゴールインを決めたお相手は、結婚相談所で出会った人だったんですがw
まあ、出会いのきっかけはともかく⋯⋯。
ゴールインを決めたお相手の方、つまりは今の妻ですが、何でも僕のことを理解してくれて、一緒にいるだけで幸せだなと思える人でした。
さて、守るべきものができて、仕事にも熱が入っていきそうな唯木の人生。僕は果たして、これから順風満帆な人生を歩んでいくのでしょうか。
続きは第2話で!