TVやSNSを覗いてみると、一日に数回は当問題を目の当たりにするこの頃。お堅い話題ではあるが、それだけ世間が注目しているということは、我々の日常生活に関連性の深い問題なのであろう。

先日、小生もこの話題について言及させて頂いたが、結論としては「正解が無いのが正解」という、結論として適当とは程遠い道標を提供してしまったが、それだけ難しい問題であるということは、世間の御仁方にはご認識いただきたい次第である。

危険地帯に政府意向を無視していったのだから自己責任だ、ジャーナリストとしての基本的な責務を果たしたに過ぎない、無事に戻って来られたからいいじゃないか、様々な意見が飛び交うが、一つの結論に縛り上げるのではなく、多角的な視点で意見を包括し、次に生かしていく事が肝要だと、もっともらしいことを始めに申し上げておく。

そして今回、小生が次に生かすべき教訓として、またひとつ新しい視点を導き出した。恐れながら再度、乏しい知識を絞り出し、言及させて頂きたい。

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自己責任論はバカバカしいのか?

とりわけSNSを中心に巻き起こる自己責任論。安田氏の歯に衣着せぬツイートへの反骨心も相まって「ネトウヨ」などと揶揄されたスラングで呼ばれる保守的な考えを持つ方々を中心に、彼の言動に対し非難の声が飛び交っている。

一方で各方面のジャーナリストを中心とした、TVに出演して解説を務める有識者たちからは、心無い言葉さえも飛び交う自己責任論に対し、冷笑する態度を示す場面が多く見受けられる。

2018年10月28日放送のサンデーモーニングにて、青木理氏が当問題について解説したが、ジャーナリスト擁護的な内容に一貫していた。

「バカバカしくて本当は話もしたくない」

「自己責任なんて下らな過ぎて議論もしたくない」

この自己責任論者たちを強く牽制する言葉を紡いだことは、小生にとっては衝撃的だった。仮にも多くの視聴者が閲覧するメディアに出て意見を述べる上で、上記の台詞はあまりに偏重的ではないかと思われる。

テロリストへの資金源となってしまったなどという情報も流れている以上、自己責任論を振りかざす国民が少なからずいることは間違いない。それを「バカバカしい」などと一刀両断するのは、残念ながら客観性を持って物事を語る能力に欠如していると評価せざるを得ない。

たしかに、フリージャーナリスト達が危険地帯に赴き情報を取ってくることは、意義ある行動であるという評価に対しては論を待たない。そこで小生が思う問題は、そんな意義ある行動に対し有難味を感じない国民の心にあると思うのである。

自己責任論浮上は生きることに困窮している証拠

シリアの何の罪もない住民たちが紛争に巻き込まれ、生活に困窮し、命の危険に晒されていることは周知の事実。力になってあげたいと思うことは、正常な精神を持ち合わせている人間であれば当然のことだ。

しかし、こういった困窮した状況に目を背け、危険地帯への渡航を自己責任と片づけてしまう、ある種「異常」とも受け取れる考えを、なぜ抱いてしまうのか。それは、難しい話ではなく、日本国民の多くも困窮している結果に他ならない。

言ってしまえば、日本も紛争地帯と大して変わらぬ危険な国なのだ。

貧困に苦しむ地域で学校に行けない子供たちがいるのは、痛ましい現実であることに否定しない。それを鑑みれば日本の子供たちは幸せだ。

本当にそうだろうか?

子供達の個性を無視した画一的な教育が強制され、子供達がテストの成績以外で輝くことを許さない日本。勉強に向いていない子供や、塾に通わせるお金のない家庭に育った子供は必然的に取り残され、将来は貧困生活を余儀なくされる。

また、気の強い子、気の弱い子、明るい子、大人しい子など、雑多な性格が入り乱れる学校生活において、いじめの問題は全くなくならない。それを苦に自殺に追い込まれる子供がいる社会を、果たして平和などと呼んでいいのだろうか。

そんな幼いころから争うことを擦り付けられて育った日本人は、大人になればその精神はさらに異常性を増す。ブラック企業などという人間性をまるで無視した労働を強要する集団が世に蔓延り、過労死する人間が続出するという現実。

朝からすし詰め状態の満員電車に乗ることを強要され、会社へと足を運ばせられることを強要される多くの社会人。ナチスにおけるホロコーストの強制移送と変わりないと思っている御仁方は、恐らく小生だけではなかろう。

つまり、日本の大多数の大人たちは、生活に余裕などないと声を上げているはずだ。

そんな日本人たちは、シリアの内情を心配するほどの余裕があるだろうか。自分たちが生きるので精一杯なのに、困窮した地域の情報を欲する心が生まれてくるだろうか。それに対し、小生は甚だ疑問に思う。

ダルビッシュ氏が、ジャーナリスト擁護派のツイートをすることにおいて、納得するところがある。平民が一生かかっても稼げないお金を、一年で稼ぎ出してしまうほどの優れた能力をもったダルビッシュ氏。貧困という言葉からは程遠い、一定の余裕を持った彼だからこそ発言できる、言わば「正常」な精神を持った数少ない人間だからこそ、本来あるべき慈悲の精神を貫ける。

つまるところ、自己責任論を語るのがバカバカしいと批判する以前に「どうしてこうした声が上がってくるのか?」が未だに語られていないことへ、大きな疑問を持っていると、高らかに主張したい。

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中立的な立場を保ちたいのだが

本音を言ってしまえば、小生も自己責任論者の声に傾聴したい。なぜなら、答えは簡単、生活に困窮しているからだ。いくら働けども給料は上がらないし、いくら働けども残業は減らないし、身体と精神は擦り減るばかり。血税を無駄遣いされた悔やみは、正直、奥底には眠っている。

しかし、それでも慈悲の心は失いたくない。だからこそ、ジャーナリスト達の命がけの行動にも、評価をしなければと、心を奮い立たせている。

この安田氏の拘束事件でひとつの教訓を得たとするならば、資本主義の負の遺産である格差社会が日本に蔓延し、日本人に「自分さえよければいい」という精神が擦り付けられてしまっていることが明るみになったことが、一つとして挙げられるだろう。

これを機に、少しでも日本国民が幸せを感じる世の中に帰省していくよう、日本政府はその対策に奔走して欲しい。そして、安田氏の行動が誰もが賞賛するような社会になるよう、心の底からひたすら願う。

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