許し難い思考回路。理解不能な精神。

 被告の男にどういう事情があるにせよ、どのような教育を受けてきたかにせよ、誰もが情状酌量の余地など微塵もないと認める東名あおり運転。

 検察側が突き付けた23年間の獄中生活。

 日本中の誰もを敵に回した男に対するこの求刑に、納得の声を挙げる者は微々たるものであることに、疑いようは無い。

 これが現状の日本司法の限界なのか。

あおり運転石橋被告に懲役23年求刑

 神奈川県大井町の東名高速で昨年6月、一家4人が乗るワゴン車を「あおり運転」で停車させ、大型トラックによる追突事故で夫婦を死なせたなどとして、危険運転致死傷罪などに問われた石橋和歩被告(26)の裁判員裁判が10日、横浜地裁での審理が終了した。

 検察側が「交通規範を順守する意図が全くない」と懲役23年を求刑。一方、弁護側は「不運な事情が重なった」と同罪について無罪を主張し、執行猶予付きの判決を求めた。

 公判においては、危険運転定義の適用に注目が集まる。

「通行中の車に著しく接近し、かつ、重大な危険を生じさせる速度で車を運転する行為」

 上記のように規定される自動車運転死傷処罰法。それが適用できるか否かが、争点の分かれ目とされているが、被告のあまりに倫理観にかけた行為は、道路交通法違反で裁かれる以前の問題なのではと、強く感じる。

 まず、鉄の凶器にもって猛スピードであおる、進路を塞ぐという行為を行った時点で、重大事故を起こす可能性は十二分に高まり、これは暴行に値する所作かと考える。さらに、高速道路の追い越し車線上に運転手を引きずり出した行為。結果的には死亡事故を誘発したが、そもそも追い越し車線上に地に足をつけさせたこと自体、あまりに危険な行為。

 状況証拠が十分に集まり、報道されていることが真実だとするならば、倫理的な観点からすれば、被告は二人を殺害したということで極刑に処されても不思議ではない。しかし、日本司法というデジタルな規定では、凶悪極まりない被告に対し、抜け道を作ってしまうような穴が存在する。

 懲役23年という求刑は、司法に精通した検察側が妥当とする限界ギリギリの重いラインなのだろう。

 

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石橋被告に極刑望むネットの声

 ネット界隈では、被告に対する厳しい声が占有されている。

正直極刑以外ないと思っていた。この男は一生涯反省しないし、更正は望めない。多くの人の安心安全で平和な生活のため、この世にいない方がいいだろう。見せしめというと言葉はよくないが、ここで司法が判断を誤ると、犠牲者は増えるよ。判例からするとありえないような重い判決が出ても、国民は皆納得したと思う。

危険運転をする人間が世の中には沢山いる。見せしめの為にも厳罰は当然だと思います。求刑が出ましたが軽すぎる。当事者でなくとも納得がいかないです。

刑務所に入れるのは、懲罰的な意味と、更正を期待する意味があると思うが、石橋に関して言うと、更正は期待できない。人は何度でも生まれ変われるという言葉は真実だが、生まれ変わるチャンスを何度も何度も棒に振っている。それでも人を信じるんだと言うものもいるかも知れないが、それはあまりにもお気楽な意見であって、我々は目に見える、耳に聞こえる過去でしか判断できないし、してはならない。今までしてきたことでしか人を判断することはできないということだ。事故の前後(特に後)、それから、生まれ変わる最大のチャンスであった裁判で、何を語ったか。「結婚」「30万円」「わかりません」「勢い」。更正を期待できないと言い切るの十分でしょう。それでも刑務所に入れるのでしょうか。税金を使って養うのでしょうか。極刑は無理とわかっていても、どうしても納得いきません。

 判決通り23年の獄中生活が確定したとしても、まだ若い被告は50歳手前で社会に戻ってくる。異様な精神を持った人間を檻から解き放つのは、あまりに危険なのは言うまでもない。

 もし、無期懲役だとしても、卑劣極まりない悪魔に税金で養ってやるのも癪である。

 だとすれば、やはり極刑が適当なのかと望んでも、日本司法の加害者目線の壁は厚い。

 

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あおり運転に対する厳しい定義を

 オウム事件後に破壊活動防止法が制定されたように、飲酒運転事故が絶えない現実を鑑みてその厳罰化が進んでいるように、危険極まりない「あおり運転」という行為に対し、政府は即刻その対処にあたるべきだ。

 消費税増税、水道民営化、入管移民法など、国民が誰も納得しない審理を国会で続けている場合ではない。凶悪なる人間を法の目から掻い潜らせない規定を作り、誰もが安心できる社会を作ることが、法を管理する政府のあるべき姿ではなかろうか。

 

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