日本資本主義の祖・渋沢栄一

 

「渋沢栄一って誰だか分かりますか?」

この質問に多くの日本人が首を傾げる。

「分からないです」

「(見たことも)ないです」

「顔は見たことがあるような気がするが、名前は出てこない」

日本近代経済の礎を築き上げ、お札の肖像画になるべき1番手であって然るべき存在であるにも関わらず、それを知らない民衆が多いこの国の教育に、相も変わらず多大なる疑問を投げ掛ける今日。

 

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渋沢栄一が新一万円札の肖像画に

2019年4月9日、政府は偽造防止などを目的に、一万円札、五千円札、千円札の3種類の紙幣のデザインを一新すると正式に発表。

新たな肖像画のラインナップは以下の通り。

●一万円札:近代日本経済の父・渋沢栄一

渋沢栄一

 

●五千円札:日本最初の女子留学生・津田梅子

津田梅子

 

●千円札:近代医学の父・北里柴三郎

北里柴三郎

 

日本政府は5年後の2024年を目途に発行する方針だ。

新しく紙幣を発行するにもお金がかかる、渋沢栄一は植民地支配の象徴だと隣国に批判を浴びるなど、この決定に様々な物議が醸されているが、そもそもこういった声が多く聞こえる。

「渋沢栄一って誰?」

 

「信長の野望の人」のツイートは大変草生えたが、近代日本経済の父とされ、これほど紙幣の肖像画に相応しい人物であるにも関わらず、彼を知らない人が多い現状に、驚きを隠せない。

渋沢栄一とは誰なのか、その足跡を追ってみることにする。

 

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渋沢栄一って誰?

渋沢栄一とは誰なのか。彼の功績を簡単に以下に記す。

若かりし頃の渋沢翁

 

渋沢 栄一(しぶさわ えいいち)
天保11年(1840年)~昭和6年(1931年)
満91歳没

渋沢 栄一の主な職歴または功績

■公職関連
 ・15代将軍・徳川慶喜の幕臣
 ・明治政府・大蔵少輔事務取扱

■企業関連
 ・商法会所設立(日本最初の株式会社)
 ・第一国立銀行設立(現在のみずほ銀行)
 ・東京証券取引所設立

■学校関連
 ・二松學舍第3代舎長(現在の二松学舎大学)
 ・商法講習所設立(現在の一橋大学)
 ・大倉商業学校設立(現在の東京経済大学)

幕府や明治政府に仕えるなど、公的機関でも働いたこともある渋沢翁だが、とりわけ有名なのは、日本最初の銀行である第一国立銀行(現在のみずほ銀行)を設立したことで知られている。

渋沢栄一の経歴

渋沢栄一は藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける豪農、つまりは金持ち農家出身であった。幼いころから算盤をはじき、商業的な才覚を磨かされた。

そんな渋沢は24歳のころ、尊王攘夷に目覚めて幕府を倒そうとするなど、政治的活動に手を出しはじめる。初めは幕府を敵視していたようだが、巡り巡って一橋慶喜(後の徳川慶喜)に仕え、幕臣となる。

幕臣時代にヨーロッパを視察することとなったが、合理的な経済システムに感銘を受け、これが日本近代経済の礎が作られるきっかけであった。

明治に入り、欧州で学んだことを元に、日本初の株式会社「商法会所」を設立。もともと経済的手腕が認められいた渋沢は、大隈重信に説得され、大蔵省に入省を果たす。しかし、政界の大御所と予算編成で対立し、4年で退官。

退官後は、第一国立銀行(みずほ銀行)や東京証券取引所など、現在の日本経済を支える企業の設立に携わる。

 

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渋沢栄一のすごいところ

渋沢翁は、三井高福・岩崎弥太郎・安田善次郎・住友友純といった、現在でもなお日本経済界の中心となる企業の創始者とは違い、財閥なるものを作らなかった。

「私利を追わず公益を図る」

この考えを生涯に亘って貫き通し、多くの慈善事業に従事し、社会貢献を果たしてきた。

儲けたお金は社会に還元するべきだという彼が、一万円札の肖像画になったことは、目先の利益に溺れる現代人に警鐘を促す事象なのかもしれない。

兎にも角にも、紙幣の肖像画に相応しい存在である渋沢翁。彼が日本経済の新たな「顔」になることで、その全容はどのように変化するのだろうか。

 

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