闘い続ける者に対する罪は、それほど重いのか。あまりに厳しすぎる現実に、受け止める勇気が持てない。

自由に闘い続けることこそが、彼の生き様だった。戦場を次々と変え、傍若無人とも、自由奔放とも受け取れる彼の行動だったが、それでも我々は彼に楽しませてもらったはずだ。

最後まで格闘家と戦い続けて欲しかった。最後の相手が「がん」だったのは、彼自身も、周りの人々も悔やんでも悔やみきれない。

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山本KIDの死に対する各方面からのコメント

山本“KID”徳郁氏(41)が、18日、亡くなった。2018年8月26日に、自身のインスタグラムにて公開していたが、それからあまりに早急な出来事であった。

 

2004年大晦日に激闘を繰り広げた魔裟斗さんも、自身のインスタで苦しい胸の内を明かす。

 

レスリングの生ける伝説からも、悔やまれる声が聞こえている。

 

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山本KIDのレスリング時代の成績は?

家族の影響で、幼い頃よりレスリングで活動し、幼稚園から小学生の間に6度の全国優勝。中学生の頃も2度の全国優勝。

高校時代は単身でアメリカにレスリング修行に出て、アリゾナ州の王者に3度輝いた。

大学では日本に帰国。山梨学院大にて、3年生の時に全日本学生レスリング選手権大会準優勝、4年生の時に同大会に優勝など、実績を残す。

シドニーオリンピック出場を目指していたが、1999年の全日本レスリング選手権大会で惜しくも準優勝に終わり、その夢は断たれた。

その後、総合格闘技への道へと歩む。レフェリーストップがかかったにも関わらずレフェリーの制止を無視し舌を出して相手選手を笑顔で殴り続ける、リング上からマイクで魔裟斗に対戦を要求するなど、破天荒な振る舞いは、彼の生き様そのものであった。

2006年にレスリングに復帰し、2008年の北京オリンピックを目指したが、途中の試合で右肘を脱臼し、そのまま完治せず、出場はならなかった。

「神の子」などと称されるから、オリンピックでも金メダル確実の選手かと思いきや、改めて調べると、確かに実績はあるものの、世界で対等に戦えるほどではなかったことに、少し驚きを覚えた。

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記録よりも記憶に

記録よりも記憶に残る選手は、スポーツ界でも何人か名前は挙がるが、間違いなく彼はそちらの格闘家であった。

別に皮肉を言っているわけではない。実績を残すことが何も全てでは無く、プロとして闘う以上、エンターテイナーでなければならない面も多々あるものだと思う。

神の子は、間違いなくその勇姿を我々の記憶に刻んだ。

改めて、ご冥福を祈りたい。

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